第2話 とある国の事情
それが悟りというものなのかも知れないが、その時点で、完全にその人は宗教に足をふい入れていて、洗脳された状態になっている。
しかし、この洗脳は、自分から行ったもので、誰かが行ったわけではない。ここまでは、宗教には何の落ち度もないだろう。
しかし、宗教団体の幹部は、その役割として、
「団体を運営していかなかればならない」
という、現実的な問題がある。
これは、俗世の会社と何ら変わりなく、ある意味
「俗世に一番近いところにいる」
と言えるのではないだろうか。
運営するためにはお金がいる。
これは、一般社会と同じお金であり、そのお金の価値は、宗教団体だからと言って、変わるわけではないのだ。
そうなると、運営のためには、信者を養っていくために、信者を洗脳する必要がある。
俗世間で働いてお金を稼いできて、それを団体運営に役立たせることであったり、自給自足のために、まるで農民や、工芸のようなことをしないといけない場合もあるだろう。
「いくら入信したからと言って、霞を食べて生きているわけではない」
ということなのだ。
つまりは、他の世界のように、身分制度というか、階級制度のようなものが存在する。
支配階級の幹部がいて、一般の人は、
「支配される人たち」
になるのだ。
彼らには、洗脳を施すことになるのだろうが、そこには、
「奴隷のような立場であっても、それを辛いことだとは思わない」
というところまで考えさせられることだろう。
彼らは、奴隷になったとしても、それを受け入れるためには、
「奴隷の神様」
の存在が必要なのだ。
俗世間では、古代から続く奴隷制度を当たり前のこととして、行なわれてきた。
しかし、近世になってやっと、
「奴隷解放」
が叫ばれるようになり、そこで、
「民主主義」
の考え方が生まれてきて。
「階級制によるピラミッド世界が崩壊してくる」
ということになるのだ。
それが絶対王政であったり、封建制度であったりしたのだ。
だが、民主主義になり、自由競争によってもたらされた世界は、
「勝者もいれば、敗者もいる」
というそれまでにもあった理屈で、自由競争によって、それがさらに鮮明になってくるのだった。
それが経済的なことが絡んでくると、
「貧富の差が激しい」
ということになり、それが、
「民主主義、資本主義の限界だ」
と言われるようになった。
そこで出てきた。
「社会主義、共産主義」
という考えは、絶対王政や、封建主義のような、
「国家が絶対的に強い」
という過去の時代に戻ろうとすることであった。
過去の時代に戻るということが、どれほどの混乱を生むかということを、支配階級は分かっていなかったの、百年もその体制が保たれたわけではない。
今の世界では、数か国しか残っていない社会主義国であるが、まだ根強い国もある。
「昔の冷戦は、形を変えて、今も存在している」
と言えるのではないだろうか。
ただ、この社会では、
「奴隷の神」
が存在した。
その奴隷の神というのは、奴隷制度を肯定したうえで、
「奴隷というものが、いかに奴隷として、幸せに生きられるか?」
ということを基準にした考え方で、一種の宗教のようなものである。
奴隷というと、上流階級のために、尽くして、働かなければいけない。そして、
「奴隷というものには、人権というものはない」
というものであった。
だから、奴隷に対しては、支配階級には、
「生殺与奪の権利」
が与えられていて、何かあれば、いつでも処罰の名目のもとに、殺されても仕方のないものであった。
さらに、スポーツの一環としての格闘技も、
「どちらかが倒れるまで」
であり、それによって命を落とす奴隷も少なくはなかった。
「奴隷の一人や二人、死んだところで、痛くも痒くもない」
という人がいたが、実際には、
「働き手が減るのは困る」
という、単純に、
「自分たちのため」
ということで、奴隷をむやみに殺すことを諫める人もいた。
彼らは奴隷に対しての善意から言っているわけではない。労働力の一つとして、道具がなくなるのを諫めているだけだ。
日本においても、
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
と言った福沢諭吉が、聖人君子だったわけでもない。
日清戦争の時には、戦争賛成派だったわけで、人殺しの戦争を否定していたわけではない。
ある戦争が起こった時に、反戦を唱えたという人も、別に聖人君子でもない。
例えば、日露戦争の時、ロシアとの戦争に反対した伊藤博文は、反戦論を唱えたわけではなく、
「今、ロシアと戦争をしても、勝ち目はない」
という、時期尚早を唱えただけだ。
「今、やらないと、ロシアは国力を強化して、日本が追い付けないところまで行ってしまう。だから、やるなら今だ」
ということで、戦争もやむなしということになり、日露戦争が開戦したわけであった。
そういう意味でリンカーンがどうだったのかまでは分からないが、奴隷解放を唱えている人も、本当は、奴隷のためというわけではなく、自分のための政策の一つだったのかも知れない。
だから、奴隷解放を唱えている人のすべてが、
「奴隷のため」
と考えるのは、あまりにも浅はかな考えではないかと思うのだ。
下手をすると、奴隷解放を唱えておきながら、体制が変わってくると、奴隷制度擁護派に変わるかも知れない。それはあくまでも、言っていることが、自分のためだからである。
奴隷というのは、今では存在しない。身分制度があるところはあるが、基本的な人権は守られているといってもいいだろう。
ただ、この世界は奴隷というものを容認している。ただ、奴隷と言っても、人権は存在し、奴隷に対しての、
「生殺与奪の権利」
などというものは存在しないのだ。
奴隷というのはあくまでも、人足としての意味合いにしかすぎず、あくまでも人権は持っているが、奴隷が奴隷以外になることは許されない。奴隷が奴隷と言われるゆえんは、
「奴隷に生まれたならば、死ぬまで奴隷だ」
ということであった。
奴隷を逃れる自由はないが、それ以外では、ちゃんとした権利は存在する。つまり、働いたら働いただけの給料はもらえるし、命の保証ももちろんある。ただ、生まれながらの奴隷ということで、奴隷は奴隷以外との結婚は許されないし、契りを結ぶと、
「男女ともに死刑だ」
ということであった。
それだけ、一般市民の血に、奴隷の血が混じることは許されないのだ。
もちろん、身分的な絶対的な差別に不満を抱いている奴隷もいただろうが、生活や命の保証は受けていることで、そこまでの不満はなかった。
そこで、奴隷には奴隷にだけの宗教が存在した。さすがに国家としても、その宗教の布教を否定することはできなかったが、逆に、奴隷が、一般人が信仰するような宗教に入信することは許されなかった。
だから、この国には、二つの憲法が存在する。一般市民用と、奴隷用の憲法だ。同じ国にあって、同じ土地に住み、奴隷として使われているのに、まったく世界は違っている。そんな国が存在したのだ。
憲法が違っているのだから、他の法律。民法であったり、刑法などもまったく違う。そんな国の存在は、最初は認められていなかった。
元々、この国は宗教団体から始まっていた。
二つの宗教が一緒になって、一つの国家を形成したのだが、元々のその二つの国には、当然奴隷制度は存在しなかった。
普通の宗教団体であり、ただ、考え方はかなりの隔たりがあった。
その隔たりのある国が一緒になったのは、国土上の問題であった。
それぞれが隣国同士であったが、それぞれの反対側に接している国は、世界の体制を決めるような大国であり、お互いにいがみ合っていた。
そのため、いつ、小国である自分たちの国が脅かされないとも限らない。そこで、最初は軍事同盟を結ぶにすぎなかったのだが、そのうちに、
「国土が大きい方が、安全保障の意味でもいい」
ということで、合併することになった。
最初は対等合併だったのだが、実際には、それぞれの国では、国内に複雑な問題を抱えていた。
政治的な問題もあり、合併で国を新しくしていく状態であることに乗じて、軍事政権を打ち立てようと、隣国の大国と結んで、軍事クーデターに走ったのだ。
だが、クーデターを起こされた方の区には、反対の大国に援助を頼んだが、
「内政干渉になることは、できない」
という理由で、援軍を断った。
そうなると、一気に国家は統一されて、独立国家としての体裁は取っているが、援軍を出した方の大国の、属国となってしまったのだ。
「しまった」
ともう一方の大国が思ったとしても、後の祭りである。
何とか、講和条約をむずび、不可侵条約を締結するところまで行ったのだが、その条件として、
「我が国への内政干渉は許さない」
というもので、この条件は、世界的にも承認された。
だから、この国では大々的な政治改革が行われ、それまで廃止されていた奴隷制度も復活した。
ただ、
「奴隷はあくまでも、自国民の中でのことであり、他の国や地域から、奴隷として国に入れることは許さない」
という法律が形成されたのだった。
奴隷は、当然、占領された方の民族から出されることになった。
彼らが元々持っていた土地は、一度国に没収され、天領地となった。天領地とは、国家が管理する土地であり、その土地は、国家のために尽くした人のための賞品として与えられることになったのだ。
その土地に、元々の住民が暮らしているのだから、彼らは奴隷として、土地主になった人に尽くさなければいけない。
これは封建制度における、
「小作人」
よりも、立場の弱いものであり、本来の意味の奴隷とまではいかない、一種の中途半端な立場の人たちだったのだ。
純粋な古代から続いてきた奴隷とは違うということを、国連には報告し、これが、
「我が国の体制の一つ」
として、承認を得ようとしたが、各国が相談し、それなりの条件をつけて、
「条件付きの承認」
を与えることになった。
奴隷制度が復活した唯一の国となった。
その時の一つの条件として、
「奴隷の神を創造し、それを、奴隷たちの信仰にさせること」
だったのだ。
内政干渉ギリギリと言えるところであったが、さすがにそこまでしないと、
「昔の悪しき時代に戻ろうとする」
という大きな社会秩序に逆行するようなことは認められなかったからである。
さすがに他の国から、
「我が国も、奴隷制度の復活を考えたい」
というところはなかった。
しかし、もし、この国が奴隷制度の運営に成功すれば、自分の国も、試すに値すると考えているところもあったに違いない。
「今は様子を見る時だ」
という考えであった。
この国の奴隷というのは、基本的に、その土地を預かって、土地を運営する土地所有者の配下に入るということだ。
制限というと、前述のような、婚姻の自由や、職業選択の自由はない。
その土地に縛られるというわけではなく、奴隷同士の、売買はできるのだった。
一種のトレードのようなもので、
「物々交換」
のように、奴隷同士を交換したり、金や物で、奴隷を買うこともできた。
奴隷は、その土地での産物をお金になるように作り上げるという義務が存在するので、そのための教育は、土地主が受けさせる義務があるのだった。
ここまでは厳しい法律になっているが、奴隷と言っても、差別的なことはしてはいけないようになっている。
仕事をすれば、それなりに給料も支払われる。ただし、通貨や紙幣も、奴隷用と、一般用では別のものになっている。
なぜなら、憲法も、一般法も違うからだ。
なぜ別れているのかというと、それは、
「奴隷には奴隷の人権がある」
ということからであった。
かつての奴隷制度では、奴隷には人権はなく。支配階級のしたい放題であったが、それでは秩序が保たれないし、そもそも、国連が容認もしてくれない。
そういう意味で、
「法律を分けること」
というのは、国連からの条件であり、奴隷たちの法律の草案は、国連で決められたものだった。
そういう意味では、一つの国家の中に、奴隷という一つの国家があり、それは、その国土を収める支配国との結びつきよりも、国連からの結びつきの方が大きい。
円の就寝が奴隷たちであるとすれば、この国は、ドーナツ化していて、そのドーナツと結びつきが一番深いのは、国連だということになるのだ。
そもそも、この国を形成した元々の国は、他民族の存在を許さないという考えの人が大きかった。
国は、鎖国していた。
他の国との交渉であったり、問題が発生した場合は、その仲裁に国連が出ていくということになっていた。
だから、この国の中心部にできた奴隷の国家は、
「国連あずかり」
になるというのが、当然の考え方であろう。
だから、同じ国土の中の同じ国であっても、別々の国家が存在する。まるで、イタリア国内にある、バチカン市国のようなものではないか。
ただし、奴隷国家には、政府は存在せず、立法、行政、司法などは存在しないことになるのだ。
そもそも、三権分立でなくとも、立法、司法、行政は存在する。それがすべて一人に委ねることになると、独裁国家ということになるのだ。
この奴隷国家の司法、立法、行政は、すべて国連に任されている。
国連では、この奴隷国家のための立法、行政、司法は、それぞれの機関を国連内に作り、国連加盟国の中の、先進国が、数年で持ち回りで管轄しようということになっていた。
もちろん、奴隷国家と国を一つにしている国は、その中に入ることはできないというのが前提であった。
そんな中で、ある国が行政を受け持っていた時のことである。
「奴隷たちの間で、奴隷の神なるものを信仰しているようなんだが、誰もそのことに気づいていなかったのかな?」
と会議の中で聞いたことがあった。
すると、他の国の代表たちは顔を見合わせるようにして、
「それは気づいていましたが、わが国としては、それを問題にすることは、内政干渉になるという思いと、彼らの信じているものを、まわりが余計なことを言って、せっかくおとなしくしている連中を怒らせるようなことはしたくなかった」
と、代表して、一つの国の委員がいうのだった。
「他の皆さんも、同じかな? 分かってはいたが、言ってはいけないという認識だったと思っていいのでしょうか?」
というと、皆、頭を下げて、賛同したのだった。
少し、そのことについて議論の時間がもたれたが、議長が、
「彼らのモチベーションという意味で、彼らは宗教として活動できないかということを言っていなかったかな?」
と聞くと、
「それはありましたね。元々は、この国は、二つの宗教団体が国家を形成した形になっているので、今でも、その二つの宗派は、一般市民の方では信仰されているようです。ただ、奴隷国家の方では、彼らには宗教を信仰しようという意識が薄れていったようですね。それはそうでしょう。どうして自分たちだけが、奴隷とならなければいけないのかという思いが奥底にはあるでしょうからね」
という。
「じゃあ、信仰する気が今はないだけということなんだろうかな?」
と議長がいうと、
「そうだと思います。何かきっかけがあれば、元々信仰心の厚い民族ですからね」
という。
「じゃあ、こちらで、彼らの意見を組んで、法律とまではいかないが、法典のようなものを作ってやればいいんじゃないかな? そうすれば、そもそも、彼らは奴隷としては自由な立場なのだから、変な気を起こすこともないと思うのだが」
と、いう議長に、
「それはそうでしょうね。でも、押し付けになると、宗教としての意味がなくなってしまいますからね」
というのだった。
どういう草案にするかというのは、実際に、国連の政府から派遣された委員が、半年ほど見てから考えるということになった。
派遣される人員は、数十人で、それぞれの奴隷たちの生活を垣間見るのが仕事だった。
相手は自分たちを統治している政府なので、嫌だという権利はない。ある程度の人権は認められているといっても、実際の、奴隷国家というものは、国連にとっては、
「占領地」
であることに変わりはない。
統治するというのを、国連本体から委任された、国連内にある組織による、
「委任統治」
という形であるがら、占領されているというのが、一番適切な状況であろう。
奴隷国家の立場と、そのまわりの一般国家との関係を考え、奴隷国家の中に政府を置かなかっただけで、
「遠隔統治」
という、今までにない形の状態となっていたのだ。
そもそも、この国家に、
「宗教団体としての体制を作ろう」
と言い出したのも、この遠隔統治というものをなるべくなくし、国内に、政府を代理するような機関を持たせたいというのが目的だった。
形は、宗教団体の組織というkとにしておいて、実際には、政府の代理とでもいう形を作りたかったというのが、政府の本音だった。
そこでは、
「宗教団体という建前であれば、相手も元々は宗教国家なので、反対はできないだろう」
というのが、目的だった。
それが正解だったようで、一般国が反対することはしなかった。
だが、最初に、
「わが国家が侵略される可能性がある」
と言い出した人がいることで、話が少しややこしくなった。
「お涙程度しかない人権が、本当になくなってしまうと、俺たちは古来からの奴隷として、命すら奪われなけなくなってしまうと、もうどうしようもない」
というのであった。
そのために、国連政府では、
「国家が宗教の骨幹を作成する」
という方法を取った。
元々、信じられていた宗教を勉強し、それに基づいたものを、経典として、形にしようというものである。
その中には、戒律であったりもあるが、これ以上、自由を脅かすことはしないという意味での戒律であり、決して彼らを苦しめるものであってはいけなかった。
派遣委員が、彼らの中に入り、研究、勉強をする。それを国連政府に持ち帰って、明文化するというやり方を行った。
まず、この宗教の特徴は、一人の神が存在するということだった。
その神は、
「今は天界におられるが、いずれ降臨され、自分たちを最大の危機から救ってくれる」
というものであった。
そして、彼らの危機というのは、
「自分たちの自由が脅かされ、命の保証もない世界」
であった。
そういう意味で、口には出さないが、皆今の時代に危機感を持っていた。だが、
「いずれ降臨される神が助けてくれる」
という願いを元に、ひそかに皆心の中で祈っていたのだ。
なぜなら、この国の支配層の連中は、基本的には、奴隷たちの自由に立ち入ってはいけないことになっているが、睨みは利かせていて、しかも、自分たちが信じる方の宗教とは違う宗派を信仰している奴隷たちを、明らかに見下しているのが、よく分かるからだった。
あくまでも、
「表から見た目」
であって、
曲がりなりにも、
「土地の支配者と搾取される関係」
というのは、支配という意味で、圧倒的な力を持っている。
しかし、支配階級であっても、奴隷の権利や命は保証しないといけないという法律が、一般法として、支配階級の国家にはあったのだ。
それが、憲法に明記されているので、守らなければならない。
もちろん、破れば刑法でも、民法でも罰せられる。
破ってしまえば、懲役刑、慰謝料の支払い。さらには、この国で生きていくうえで、憲法違反者というレッテルを貼られて生きていかなければならない。
「もう、人生は終わりだ」
と言わんばかりのものに違いないだろう。
だから、搾取される側の人権は保障されているも同然なのだ。
言葉は奴隷などという言葉を使っているが、
「奴隷らしくない奴隷」
ということで、違和感はあったかも知れないが、奴隷側も別に反対派しなかった。
搾取する側がなぜここまで厳しい法律になっているのかというと、
「歴史上、過去の制度に立ち戻ろうとした場合、まず成功した例はない」
ということで、
「決して過去に戻ることを許さない」
という考えの表れなのだろう。
そして、奴隷国側が、奴隷という言葉を嫌がらなかった理由は、
「我らが神が、降臨なされる時は、我々が奴隷として、支配階級から搾取させるその時だけだ」
ということが伝わっていたので、それが、今だということになったのだろう、
そのことを、初めて派遣委員は知った。彼らとしても、
「なぜ、彼らが奴隷という言葉に難色を示さず。それどころか快く受け入れたのか、疑問で仕方がなかった」
と思っていたのだ。
「しかし、そういう理由だったら、分からなくもないな」
ということで、納得するのだった。
そういう意味で、彼らは派遣委員が自分たちの宗教を勉強しにきたのは、嫌ではなかった。自分たちのことを知ってほしいという願望も手伝ってか、彼らは、派遣委員を快く受け入れてくれたのだ。それだけに、開放的になった奴隷たちの様子も、
「彼らだって、普通の人間なんだ」
と、今さらながらに感じるのだった。
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