恋人の条件

「………」


とあるお昼時。部屋で二人、共にくつろぎながら、膝に乗って丸くなる愛猫の手をとり、ご機嫌ににゃんにゃん動かして遊んでいる彼女の顔をそっと覗き見る。


「なぁに?」


ほんの一瞬、ちらりと目を向けただけだ。だというのに、彼女は容易くそれに気づく。

ロロの肉球をこちらに向けて楽しそうに振るその瞳も、表情も、いつになく柔らかくて、今の彼女は真に心から安らいでくれているのだと、そう窺い知れる。


「…いえ、何でも」


けれど、その笑みを向けられて尚、俺の胸の奥では小さな棘が抜けずにいた。







『…お前みたいな冴えない奴の何がいいんだか…』




それは、覚えも無い見知らぬ…恐らくは先輩、がすれ違い様にこちらに投げかけた問い、ついでに足。

そこに込められた隠しもしないあからさまな敵意。幸い、隣にいた血の気の多い友人がばっちり見逃しも聞き逃しもせず、即座に臨戦態勢に入ったおかげで向こうは尻尾を巻いて逃げて行ったが、既に心に突き立てられた刃だけはどうにもならなかった。


『…藤堂、あんなの気にすんなよ』

『そうだね、未だに名前も出てこない可哀想なマイフレンド』

『そう思うんなら呼んで!?』


呼ばない。いや、この間、間違えて一度だけ呼んじゃったっけか。くそうしくじった。何とか奴の意識を逸らさねば。


『でも、そういう謎に満ちた人って案外モテるかもよ』

『え゙♡マジ?』

『まじ』

『……しゃあねぇなあ!』


ちょろい。

小さな共通点から始まった我らクラスメイトの友人関係、その中でも女遊びしてそうな半端にチャラい見た目して、日々彼女に飢えているくせに、半端故に何だかんだ真面目から抜け出せないファッションチャラ男な友人略してファラオに改めてお礼を言えば、彼は照れくさそうに頭を掻いて歩幅を速める。


『………ふぅ…』


その頼れる背中に頭を下げながら、俺はこの胸中の些細な変化にまず間違いなく気づくであろう恋人殿をどの様にして掻い潜ろうかと頭を悩ませ



「ふ〜ん。まだいるものなのね。そういう輩」


る暇さえ与えてくれませんでした。

これから回想に入りますぜとかそんなこと一切気にすることなく、あの後即座にとびっきりの輝く笑顔で顔面を鷲掴みにされ、無言で先を促された結果、敢え無く全てを打ち明ける羽目になったヘタレな藤堂くんは、今ソファーの上で長い脚を組んで優雅に肘をつく真鶴様の前で姿勢良く正座しております。何なら回想の裏でずっと鷲掴まれておりました。因みに、白いのは助けを求めようとしたその時には既に音もなく逃げ去っていました。あんにゃろう、いや、あんにゃんこめ。

そこでこそさ、ご自慢のお姉さん力発揮して打ち明けるのを優しく待ってあげる〜、とかじゃないんですかね。強くなりてぇ。


「…ねえ、聞いてて思ったのだけど、その人…」

「…はい?」




「…………………………………………………………………誰?」




………。




「そりゃあ……、凪沙に告白して振られた誰かなのでは?」

「告白してきた人の顔は余さず覚えているけれど……いまいち当てはまる人がいないのよね、聞いた限り……」

「さらっとやばいこと言いましたね」

「そ?」


本気で悩んでいる様子の彼女、その口から出てきた台詞に思わず唖然とする。

自分がどれだけの人に告白されてきたか分かっているのだろうか。それを逐一数えてきたと?呆れを表情に滲ませる俺に気づいているのかいないのか、凪沙は愉快そうに微笑むと白い人差し指を立てる。


「困るじゃない?忘れた頃に『よっしゃもうワンチャン!』とか思われても」

「思いませんて」

「私、忘れた頃にワンチャン狙いみたいなものだけど?」

「………まぁ……」


そう言われても自覚が無かった我が身からしては多くを言える筈もなく。

小学生(当時)を何年も待ち続けるとか、一途ってレベルではないよね。…ないのか?そもそもそういう話なのか?

首を傾げる俺を、やはり彼女は気にもとめない。もう暫く腕を組んで天井を仰いだ後、諦めた様に息を吐く。


「ふ〜む……思いあたらないわね…やはり」

「それはつまり?」

「つまり君は私に告白したこともないそもそも顔すら知られていないくせに何かさも自分の方が優れていたはずなのに何故?とかご機嫌な勘違いしちゃってる見知らぬ阿呆に謂れもない中傷されて守ってくれた優しい友人の厚意もそぞろに必要の無いというか傷つく振りすら必要無いのだけどそれをうじうじ気にして落ち込んでいるお馬鹿な蓮ちゃんということかしら」

「………それはつまり?」

「可愛いから抱きしめてあげちゃう、ということ」


は、と声を漏らす前に、既に身体は絡め取られていた。

首の後ろに手を回し、強く強く俺の首筋に顔を埋めると、凪沙は面白くて堪らないとでも言わんばかりに身体を揺らす。けれども、その腕に込められた力から感じ取れるのは確かな。


「…実は怒ってたりします?」

「君は怒らないの?恋人を馬鹿にされて」

「………」


「うふふ。な〜に〜?もしかしなくても『僕ちゃん可愛くて美しくて完璧で非の打ち所がない傾国の美女たる凪沙さんの隣にいてもいいのかしらん?』だなんてそんなくだらない事でさっきから悩んでいたの?可愛いっ♡」

「……………流石『私なんて何の価値も無いけれど嫌われてもいいから鬱陶しくてもいいから傍にいたいですいさせてくださいお願いします』と泣きながら懇願してきた凪沙ちゃん」

「やんのか小僧」

「ごふぇんなふぁい!!」


そしてアイアンクロー再び。

こんな刺さる暴言を言われても、最早落ち込むことなく即座に『暴には暴を』で対してくる様になったそのたくましい成長っぷりを果たして喜ぶべきか悲しむべきか。


「…別に恋人に条件なんて出した覚えなんて無いのだけれどね、私」


母譲りの大切な顔面が歪んでいやしないかと、あちこちぺたぺた確認する俺を他所に、凪沙は深く溜息をつくと再度ソファーにもたれかかる。


「でも『貴方じゃない』とかナントカ言っていつも断っていたと聞きましたけど」

「それはそうよ。君じゃないんだもの」

「………ぉ゙………」


つまらなそうに吐き出されたその言葉。彼女のそっけない反応とはまるで真逆のその破壊力たるや。


「きゅんきゅんした??」


……した。とは死んでも言わない。

言わずとも、目の前でいやらしくニヤニヤしているこの人には何もかもお見通しだろうから。


「…ふふ。そうね、一つだけあったわね?恋人に求める条件」

「………」


何でしょうか、などと言える筈もない。

言ったが最後、この人は更にハッスルすること間違いないのだから。というか、そろそろ恥ずかしくて死にそうだから言わないでほし


「『藤堂蓮』であること」


かったなぁホント。


「…………」

「それさえ満たしていれば、喜んでその人のものになっちゃうかも、私」


彼女はソファーから降りると、何とも蠱惑的な四つん這いの姿勢でゆっくりと俺に近づいてくる。

一歩一歩、その動きに連動する様に俺の身体は後ろへと。


「……そっすか」

「心も、身体も、操も、何もかも捧げちゃうかも〜?」


そして、追い詰められればもう逃げ場など何処にも。

人差し指でこちらの顎を上げて見つめてくる、その濡れた瞳の煽情さと来たら。


嗚呼、またこのパターンなのか。押しに弱く、流されるままで、それでいて注がれる愛情に素直な気持ちも返せない我が身を情けないやら何やらの感情が支配して、そして―――




「―――」




――また、抱き締められていた。

先程とはまた異なる、優しさと温かさの込められたふわりと柔らかい抱擁。


「…だから、もっと自信を持とう?」

「………」

「君は私の”唯一”。代わりなんていないのよ、何処にも」


それは、いつだったか聞いた言葉。


「君が泣きたい時は、いつでも抱き締めてあげるから」


それはあの日、あの渚で聞いた言葉。


「だから……傍にいて」

「なぎ」

「お願い」


あの頃の、己の願いを何も吐き出さずに内に封じ込めていた少女はもういない。一人孤独に耐え続けていたあの背中はもう、無い。


二人で歩くと決めたのだ。どんなに小さくてくだらないことでも。

二人で悩んで、二人で泣いて、二人で笑う。

あの日誓った、小さな約束。彼女のたくましい成長も、その約束があるがゆえ。

信じているから、強くあれる。あろうとする。


「…凪沙は、凄いですね」


そう呟くと、ゆっくりと身体が離される。目の前に現れた、何処までも深い慈しみと愛の込もった美しい笑顔に何処までも見惚れて。


「そ?ならもっと崇めなさい奉りなさいぺろぺろしなさい」

「もう少し慎み持ってくれたらもっと凄いですかね」

「あら懐の狭い。もっと精進なさ」


不意打ちの様に艷やかな唇を塞ぐ。即座にピタリと固まった肩を離せば、そこには目を大きくしてこちらを見つめる真っ赤な顔。いざ攻められれば途端に弱い、俺だけが知る恋人の顔。


「…はは、真っ赤」

「っか、可愛く、ない……!」


涙目で必死に憎まれ口を搾り出して、こちらの胸を力無く叩くその可愛らしさに、思わず吹き出してしまう。


「嫌でした?」

「嫌じゃない、けど…」

「けど?」

「……短かった。……もっと」


いじらしいおねだりに頷いて、もう一度重ね合う。今度はもっと深く、そして強く。

今、胸の中に、先程までの頼れるお姉さんなど何処にも存在しない。いるのは蕩けた瞳でこちらを見つめて、何度でもキスを乞う年相応の可愛らしい女の子だけ。


「…俺もありました。恋人の条件」

「………後で聞く。……はやく」

「…了解」


ああ、俺は後何度この人に憧れて、何度この人に惚れればいいのだろう。


再び、いや三度顔を離せば、堪らず顔を俯けた凪沙が胸の中で身体をもぞつかせながら、ぎこちなく言葉を紡ぐ。


「…そ、その友人くん、前に君の隣にいた子よね。いつか会ってみたいかも、お礼、言わなきゃだし」

「別に保護者じゃないんだから…」

「…『うちの子と今後とも仲良くしてね』?」

「いらないいらない」


そう、いらない。これ以上、そんな格好つかない男はいらない。

惚れた回数に負けないくらいに、こちらも強くならなければ。

俺が惚れる以上に彼女を惚れさせ、安心させなければ。

普段散々振り回されているのだ。男としてそれくらいの気概を見せなければ。


「あら?独占欲?」

「………」


これからはもっと男らしく、そして彼女に見合う大人になれるよう励むとしよう。


「…そ、…そうです」

「え」


そうだな、手始めに…。




「…と、とりあえず今は他の男のことなんて考えず、お、俺の事だけを見てください…」




「………」

「なんて……」



「…………」

「…………なんて」



「………………」

「………………」



「きゅん♡」

「いいのかなぁ!?これで!!」


……うん。無理せず一つ一つ、積み上げていこう。その期待と信頼に応えられるように。彼女の隣で胸を張れるように。…ついでにそのちょろさに甘え過ぎない様に。


それが本日の、俺の他愛無くて小さな、一つの決意。

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