可愛いかろうと限度はある

「暑いですねぇ…」

「そうね」


時は真夏。うだる様な暑さが母なる星の癌たる人類を滅ぼすべく猛威を振るう中、それに対抗するべく人が生み出した文明の利器に存分に頼り切っていたある日のこと。


「何で壊れるねん…」


いや、頼りたかった。頼り切りたかったある日のこと。

うんともすんとも言ってくれない、いけずな冷房ちゃんの代わりに素直クール系な扇風機をフル稼働、そして更にうちわでだらしなく顔を扇ぐ意思の弱い俺の隣には、涼しいお顔で平然とくつろぐ我が愛しの恋人殿のお姿。


「…本当、暑いの平気なんですね…」


やはり前世は火属性だったのだろう。なんて羨ましい。手から竜とか出したり出来たんだろうか。なんて羨ましい。


「…まあ、表面上はね。流石に何ともないとは言えないわよ、私でも」

「あ、そうなんですね」

「そうなんです。ほ〜ら魅惑の谷間にこんなに汗が。いいのよ?舐めても」

「あ〜暑いな〜〜〜〜〜〜」


そんなことは無かったらしい。常日頃、学園でばてた姿を全く見せずに涼やかに微笑む完璧超人を目の当たりにしていた我が身としては、普通の人間らしい部分が見れて少しほっとする……なんて思ったのだろうな。少し前の自分なら。


「………それにくっつかれないのも楽……」

「聞こえているわよ。君、私が女の子だということをお忘れなく」

「当たり前じゃないですか」

「う、うん…?分かっているなら、いいのよ…」

「……あっつい…」


ああ駄目だな、暑さで思考がまとまらない。


「……いーのよー……」


ともあれ、どれだけ暑さが平気でも人は汗をかかずにいられないもの。流石にこの暑さで誰もかれもが汗だくになる中で、人目が無かろうとべたべた抱き合う度胸は彼女にも無かったらしい。いや、人目が有ろうが無かろうが止めてほしいのだが、箍が外れた今の真鶴殿には通用しない。


寧ろ、冷房がまだ生きていた時こそがまさに危険な状態だったのだが。

さっきから殺気がびんびんだからね。何なら構わず俺にくっつきたいのに、という爛れた欲望をひしひしと感じる。


「……ふう…」


それなのにくっついてこないのは、この暑さだけでなく、それ以上に気がかりなことがあるから。


「…暑いわね?蓮」


徐ろに机に肘を付くと、凪沙は俺ににこりと微笑みかける。


「そうですね」

「痩せちゃいそうよね、これだけ暑いと」

「ですね」

「痩せて然るべきよね。寧ろ」

「…うん…?」











「ねえ、聞こえている?ロロ」


凪沙がのっぺりと張り付けた笑みのまま、俺の横に視線をずらす。

そこにはお馴染みのお客様、お客というかまぁ今の俺にとっては家族か。


「に゙ゃ?」


遊びに来ていたぽっちゃり系にゃんこのロロちゃんは、凪沙の呼び掛けに応じてゆるゆると振り向く。我々と同じくこの暑さに参っているのか、動きは鈍い。されど、常変わらぬ愛くるしさ、そして


「絶対また太ったわよね、貴方」

「な゙〜」


一回り大きくなったぽんぽん。


「ほらもう明らかに声に濁点付いてるじゃない。ピザとコーラが主食のおデブちゃんか誇りを捨てた畜生の特権よ?それが許されるのは」

「言い方」

「貴方はもうロロではないわ、ロ゙ロ゙よ」


若干、言葉が刺々しいのは、肥満に片足どころか腰まで浸かりつつある愛猫の惨状を流石に看過出来ない怒りの顕れだろうか。額を押さえて、凪沙は机に深く沈み込む。


「いくら放浪癖があるとはいえ、甘やかしすぎたわ…」

「…まあ、町の皆がこぞって餌あげてるんでしょうね…」


その中の特に甘やかしている一人に藤堂蓮とかいう陰キャ眼鏡がいるらしいけど、気づかれていない様子なので、謹んで真実を闇の中に葬らせていただこう。


「甘やかしすぎだわ…」


呆れて頭を抱える飼い主殿。いくら凪沙が、そして彼女の親が厳しく躾けようと、目が届かなければどうしようもない。全ては町民の緩さゆえ。そう考えると我々にも罪は有るのかもしれない。…いや、そうか?


「な゙〜」


されども、彼女のお怒りの声もロロ改めロ゙ロ゙にはあまり響いた様子が無い。呑気にくしくしと顔を洗うその姿は何とも可愛、…かわ…、かわいいなぁもう。寧ろぷにぷにになったことでお腹のやわこさがさらに増したよね。ちょっと押すだけでむにゅうっと沈み込む。き、きもちひぃ〜。こんなのもう麻薬やん。


「……あーそう。まだ可愛さで媚びるつもりなの。見損なったわ、ロロ。まさかそこまで堕ちるだなんてね。だらしねぇお腹たぷたぷ揺らしちゃって恥ずかしくないの?ほら言ってやりなさい蓮」

「柔らかいし何よりも可愛いからもういいんじゃないですかね。可愛いは正義」

「に゙ゃ〜♡」

「おいこら小僧」

「いひゃいいひゃい頬つねらないで」


むくれたお顔で凪沙が俺の頬を容赦なく。


正義の反対はまた別の正義。互いの信念が相容れないというのならば、ぶつかり合うしかない。万人が納得しうる可愛らしさなどこの世には存在しないということか。世界は今日も、そしてどこまでも残酷だ。


「柔らかいものならあるでしょう、目の前に。2つも」

「でも可愛さでは劣るじゃん」

「小僧っ…!」


前門のクソガキ・後門のメスガキ。柔らかいものを持ち上げていた腕と頬をつねっていた指を離すと、最近謎の『小僧』推しの凪沙お姉さんは腕を組んで一際大きな溜息をつく。


「…『多少だらしがなくてもこの人なら愛してくれるだろう』、という腑抜けた精神が気に入らないわ。嫌よ、私は。自分がそうだったらと考えると」

「む……」

「に゙ゃ……」

「そうでなくとも、貴方は女の子。たとえ前時代的な考えと責められようと譲らないわよ、私は」


ロロを鋭く睨むその眼光は中々の迫力。長い間、己を厳しく律していた凪沙故の説得力もあって殊更に。

ロロも飼い主のその反応に、流石に僅かにばつの悪そうなお顔を。…多分。


「ほらご覧なさい、私のこの靭やかに鍛えあげられた腹筋。いつ蓮が吸い付いてきても問題の無い様にしっかり絞っているのよ」


そして、そう言い放つやいなや、凪沙は躊躇なく、そして勢いよく着ていたブラウスを捲り上げる。顕になる無駄な脂肪一つ無い引き締まったすべすべのお腹と、臍と、下ち


「ちょ、…、半分見えてますっ……いや、吸い付かんわ!!」

「吸い付かんかい!!」

「何なの!?」


実は凪沙も暑さで変になってません!?


「「…………………」」


両者譲らず。火花がバチバチ飛び交う、天下分け目の関ヶ原。

先に手を打ったのは、西軍・凪沙だった。


「はぁ…仕方ないわね……。ロロ」


何やら楽しそうな笑顔で懐から携帯を取り出し、これ見よがしに頭上に掲げると同時に鳴り始める不穏なBGM。


「に゙ゃ゙!!!???」


それを耳にするやいなや、何故かロロは怯えた様な声を上げると、体躯など気にならない軽やかさで後ろへと飛び退いた。


…これは一体?そしてこの…この……?


「…あの、何故突然サメ映画のBGMを?」

「これは『しのカウントダウン』」

「え、怖…」


突然始まった恐怖のカウントダウン。成程、ロロも戦々恐々になる訳だ。きっとこの先には言葉にするのも恐ろしい悲劇が待ち受けて…


「このBGMが終わった時、降臨するのよ。可愛い動物好き好きだいしゅき星人が。そしてそのまま暫くずっ〜と一緒に過ごしてもらう。慈悲は無い」

「……志乃カウントダウン………」


なかった。

聞いたことも無い愉快なシステムが構築されていたことにも驚きだが、ロロが怯える程に、既に複数回それが行われていることにも驚きです。じゃあ、学習せいやロロ。そういうとこやぞ。こっちの背中に隠れるんじゃない。


「どうしてそこまでして…」


けど、彼女にそこまで嫌がられて尚、何故、凪沙は頑なに押し通そうとするのか。

軽い気持ちでつい問うてしまい、


「だって」

「だって?」

「…か」

「か?」






「…家族が病気になるのは、辛いでしょう?」






「…嫌よ、ロロが倒れたりするのは…」

「「…………」」


そして即座に後悔する。

俯いたその表情、揺れる瞳は真に家族を心配する、心優しい少女の顔。


普段の自由な振る舞い故、ついつい忘れてしまう。彼女の身内に対するその深い愛情を。

それを注がれる自分達が、どれ程恵まれているのか。俺とロロは揃って顔を見合わせる。


そして―


「…に゙ゃ」


姫君の愛情をついに理解し、受け入れたのか、白騎士は彼女に歩み寄ると、寄り添う様にその膝に頭を擦り付ける。

騎士側が怠惰というのは若干格好つかないが、やはり二人がすれ違うよりは余程良い。


「っ…ロロ…」


弱々しく俯いていた凪沙が頬を緩めて、ロロの頭を撫でる為にゆっくりと手を伸ばす。ロロも心地良くそれを受け入れる為に頭を下げる。


蒸し暑い部屋に流れる、温かな時間。






そして終わるBGM。






「はい時間切れ〜」

「な゙に゙ゃ゙!!!???」

「(ひでぇ)」


手が触れ合おうとしたその瞬間、素早く手を引き戻した主から降される無慈悲な宣告。

『いや、アンタの匙加減やないかい』。そう言わんばかりにロロが膝にしがみついてに゙ゃーに゙ゃー暴れているが、凪沙は意に介した様子も無い。

さっきまでの儚さなど欠片も無い(ー3ー)みたいな面で、暴れるロロの頭を左手で抑えたまま、右手でたぷたぷしゅばずばぁっと超高速で端末を弄くり回している。


「ささ、ロロ。にゃイザップのお時間よ♡」

「に゙ゃーーー!!!!」

「講師はもちろん」

「私!!!」

「はっや」


気づかぬ内に部屋に入りこんでいただいしゅき星人が滑り込む様に姿を現した。色々とおかしすぎるけど、ツッコんではならない空気を感じる。

素早く身を翻して窓に走り出したロロを、ヘッドスライディング気味に見事捕らえてみせただいしゅき星人は、その柔らかな身体にやわやわな白毛玉を抱き留める。

そのお顔は何とも蕩けただらしないお顔。対して、胸の中のロロさんのお顔ときたら。

哀れな。もう少しお肉が無ければ逃れられたかもしれないのに。これが因果応報か。


「ロロちゃんロロちゃんロ・ロ・ちゃあ〜ん♡一緒に過ごそうね〜♡うちのこたろうもロロちゃんに会えるのを尻尾を振りながら待ってるからね〜♡」

「…………………………うに゙ゃ…………………………」


助けを求める様にロロが弱々しく俺達を振り向く。

しかし悲しいかな、俺は只今後ろから首をおさえられて絶賛命を握られている状態なのだ。甘やかしたが最後、処刑される。


てなわけで。


「ごめん」

「に゙ゃっ!!?」


うん。いいと思うよ。ダイエット、大事。人も、獣も。


「レッツにゃゴー♡」

「に゙ゃあ゙あ゙あああ〜〜〜〜っ!!!」


じわじわと蒸し暑い空の下、白猫の少しだけ野太い悲鳴が響き渡るのだった。

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