春爛漫の候、あいかわらず
「はくしょん!」
「いよっ」
「はっくしゅん!!」
「あ、そーれ」
「ぶぇっくしゅんっ!!!」
「あ、よいしょ」
「合いの手やめい」
春爛漫。故に花粉爛漫狂い咲き。花粉症持ちにとっての生き地獄が今年もやってきた。
藤堂蓮は花の名前を冠していれど、この時期になると己が名すら忌々しいのである。
ああ忌々しい。いま、……いま……はっ
「はっくしゅんはくしゅんくしゅしゅのしゅん!!」
「あらあら大変ね。花粉症の蓮ちゃん」
「去年より悪化してる気がする〜…」
部屋のど真ん中で炬燵と温まりながら終わることの無い俺とティッシュとの華麗な連携プレイを頬杖つきながらぼーっと眺めていた凪沙が、何とも興味無さそうにそんなことを言う。そんな彼女のお顔は今日もパーフェクト。鼻水・涙の気配など微塵も見受けられない。ちくしょうなんて羨ましい。
ゴミ箱を懐へと手繰り寄せてくれた彼女に頭を下げてまた紙を捨てる。そんな彼女は胸の中のゴミ箱を見下ろして、何故か不満げな顔。
「ふう。毎日毎日こんなにもティッシュでゴミ箱いっぱいにしてしまって…」
「ずずず」
「全く…駄目よ、無駄撃ちは。勿体無い…出すならわた「今俺の惨状見てましたよね???」
その中無味無臭の液体しか無いから。誤解招きそうなこと言わないでほしい。
「……凪沙は大丈夫なんでずが?」
「この私が教室のど真ん中でお鼻ズルズル啜る訳にはいかないでしょう。立場的にも」
「毛深いんでずがね(鼻)。はなづるさんわ」
「次の台詞は慎重に選びなさい小僧」
「あ、はい。ごめんなさい」
わざとじゃないのに。決してわざとじゃないのに。我が愛しの彼女殿が先程よりも遥かに圧の強い笑顔でこちらを眺めている。
止め処なく溢れるダムの決壊を一身に受け止めた頼りないティッシュの束をまたゴミ箱に捨てる。されども既にゴミ箱殿の腹の中はパンパンである。後でまた取り替えないと。
「…でも、だからといって接触禁止令まで出す必要あったかしら?」
「色々良くないもの感染るかもしれないでしょう」
「……君の鼻水ならいける……あ、待って違うジョークジョーク。お姉さんジョークだから。引かないで?そんな」
「目が本気でした」
炬燵の向かいからこちらに縋り付こうとする細い手をスウェイ気味に上体を反らしてゆるゆると躱す。それもご不満なのか、凪沙の眉根がまた狭くなった。頬を膨らませた子供っぽい顔。最近よく見られる様になった、飾らない素の顔である。
「楽しくない」
「新種ですか?」
「可愛くない」
「…本当なら、家に上げることすら遠慮したいくらいなんですよ勘弁してください…」
その時だった。俺が苦々しく放ったその言葉を聞いた途端、それはもう愉快そうに凪沙の唇が釣り上がる。嫌らしいドヤ顔。こころなしか瞳もキラキラ輝いている。
「はい残念。ここだし、私の家。ちゃんと持っているし、鍵」
「………」
「許可も得ているし、両親の」
愛の巣ね。二人の。頬に手を当てわざとらしく身体をくねらせる凪沙。
それを無視して俺は黙って何度目かという連携プレイを再開する。何でだろうね。絶賛、苦しみの只中にいるせいか、彼女の口調も鼻につきますわ。花粉だけに?うるせえ。
「桜花爛漫…門出の季節ね」
「………」
翠は高校生に、凪沙は大学生に。大きな変化が無いのは俺だけ。ボソリと呟いたその目が寂しそうに見えたのは気の所為ではないのだろう。短い高校生活、きっと二人でやりたいことがたくさんあったはずなのだ。それを無駄にややこしくしてしまった一端はまぁ、俺にもあるのだろう。
だからという訳ではないが、その分、凪沙を大切にしたいと、支えたいと、そう思う。
「…なぎ「まぁ、高校と大学、同じ敷地だし。入り浸っちゃおうかしら。お構いなく」あ、そっすか」
けろっ。そして声を掛けようとした瞬間、この澄ましたお顔である。本当、図太く…というか変な方向に吹っ切れちゃったなぁ。
制服の学生が大学の図書館に行ったりしているのはたま〜に見かけるけど、逆は大分珍しいんじゃないかなぁ。ましてや凪沙程の美人が来たら新入生はどうなることやら。
「ね、制服姿可愛かったわよね?すーちゃんの」
「その話何度目ですか…」
そして流れのまま途端にテンションの高くなった彼女がニコニコ話すのは、数日前、藤堂家にて執り行われた翠・袖通しの儀の様子。そこには狂ったようにパシャパシャ写真を取るご婦人二人とそれに全く違和感なく混じるこの人がいた。
コミケで目撃されるカメラマンの方がまだマシなのではないかというエグい角度を狙い撃つ三人の姿は、人として誠に直視し辛かった。ましてや全員己の関係者。翠も時間が経つにつれ瞳から光を失っていたし。見ていて恥ずかしかったね本当。
…俺?そりゃお兄ちゃんなんだから恥ずかしくない程度には最低限撮らりゃいかんでしょうが。おかげ様で一週間誰も口聞いてもらえなくなったよ。
「高校入った途端にモテモテになっちゃったりして」
「…無いですね無い無い無い無いあり得ない」
「ふふふ」
一瞬、己が耳を疑っちゃったよ。ニコニコ笑顔でこの人は一体何を言っているんだか。脳裏に浮かびかけた景色を素早く手を振り霧散させる。
うちの翠は大和な撫子だから。上っ面だけの色恋にうつつを抜かしたりしない。
あれ?それすなわち、翠が彼氏を連れてきたらガチということ?……あ、痛たたぽんぽん痛い。
「…君も私がいないからって浮気とかしたら嫌よ」
「……は?」
またまた、己が耳を疑った。この人は一体全体何を言っているのかと。
まさか凪沙の目が無いから女漁り放題だぜうっひょひょい、とかする男だと思っているのか藤堂君を。女どころか友達だって少ないのに。…あれ?何だろう。目から涙が。全く困るね花粉症。
「…するわけないでしょう」
「分からないわよ?二年生編が始まって新しいヒロインが登場してその子の人気が出て気づけばいつの間にかメインヒロインが入れ替わっていましたなんてこともあるかもしれないでしょう。大いに」
「俺、メインヒロインとゴールインしてるんですけど」
二年生編って何やねん。
どうやら翠の愛らしさを隠れ蓑にして、本当に話したい内容はそれだったらしい。何とも迂遠なことだ。彼女らしいと言えばらしいのか。
「或いはすーちゃんとの禁断の兄妹愛とかね。それならそれでいいんだけど。私は。混ざりたい。寧ろ」
「俺、シスコンじゃないんですけど」
「この期に及んでぬかしおる小童」
「今日どういうキャラ?」
何はともあれ、ただ俺の浅い否定だけでは彼女は納得してくれないご様子。
どうしたものかと頭を悩ませていたところ、凪沙がピンと真っ直ぐ、綺麗な指を立てた。
「そうね。…なら…証が欲しいわ」
「証?」
「………」
「…一回だけ…一回だけでいいから、…正面から…真っ直ぐ、愛しているって…言ってほしい…」
「……………、………」
「………ぃや…?」
頬を赤く色づかせて恥じらいながらこちらを見るその顔は、それこそ必要な言葉を無くすほどに。
…ここで行かないのならば、それこそ彼女の恋人を名乗る資格は無いのだろう。俺は息を吸い込むと、覚悟を決めて凪沙と正面から相対する。
不思議なことに、いつの間にか鼻水も止まっていた。
「……………」
「……………」
「あ………あいしてます、よ……凪沙」
「………ん………」
カチ
……………。
「…………凪沙」
「何?」
「今何かのスイッチ押しましたよね」
「押してない」
「押しましたよね」
「気の所為じゃない?」
「聞こえた」
「……あ、も、もしかして…したいの?そういうプレイ。…で、でも挿れたままお散歩だなんて、まだ、ちょっとハードル高くないかしら……?…やん…凪沙、恥ずかしい…♡」
「誤魔化されんぞ!!!」
「ちっ」
何とも失礼極まりない舌打ちと共に観念したように下から出てきたのは、シンプルなボイスレコーダー。唇を尖らせながら凪沙が机に置いたそれを、俺は有無を言わさず取り上げる。
「あ〜私の朝の目覚ましボイス……………やはり駄目ね、安物は」
「本人目の前にいるやろがい」
「なら耳元で囁いてくれる?毎朝」
「………」
「いけず」
それとこれとは話は別。…別に逃げているわけではない、戦略的撤退。
お互いに睨み合う火花バチバチ妙ちくりんタイム。と、思ったのも束の間。俺達はお互い同時に吹き出すと、緩やかに後ろに倒れ込んだ。
「…何か、新生活始まってからも相変わらずこんな感じなんですかね…」
「でも嫌いじゃないでしょ?」
「………」
「愛しているわよ。蓮」
「っ」
「…ふふ。私の愛も変わらず、ね?」
「…そっすか」
「そっすよ」
くすくすと笑い声が聞こえてくる。恐らくは見えない向かい側で、子供の様に凪沙が笑っているのだろう。
炬燵で温まりすぎたせいか熱を感じる頬を冷ますため、俺は立ち上がり窓を開けると、清々しく晴れ渡る青空を仰ぎながら大きく深呼吸をした。
くしゃみがまた止まらなくなって即座に後悔した。
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