びたーバレンタイン
「はっぴーばれんた『ばたん!!!!』
『…どうして閉めるの?』
「すみません俺の見間違いでなければチョコを身体に垂らしてポーズ決める痴女がベッドの上にいたもので」
『…私にもね、あるのよ。恥じらいというものが』
「投げ捨ててるじゃないですか」
■
時は2月14日。恋人達にとっては意味を持つ、特別な日。
勿論、それは今の俺達にとっても例外ではない。寧ろ離れていた分、今年に込められた彼女の気合は相当なものだと思っていいだろう。というかそれはもうさっきので既に嫌になるほど理解出来ていると思う。
「蓮。バ蓮タインよ」
「今、イントネーション変じゃなかったですか?」
「そう?」
そして、フリフリのピンクのエプロンを着て何やら台所でごちゃごちゃやっていた凪沙が、戻って来るなり開口一番、腰に手を当てながらご機嫌にそんなことを言い出した。
顔に付いたちょこっと跳ねてしまったチョコをぺろりと舌で舐めとり、何とも甘ったるい匂いを全身に纏って微笑むその姿と相まって、それはまるで新妻を思わせる様な美しさがいや何でもないです。
「本当はチョコを塗りたくってこの美しい身体を余すことなく舐めさせてあげようかと思ったんだけど―」
「思い留まってくれて何よりです」
そして自らの豊満な肢体を下から上へと舐めまわす様に指でなぞり上げる凪沙。
…いややっぱ新妻ではないかな。新妻そんなに飢えてないよね。…いやいややっぱりそういうものなのかな?近しい人(親)があれだから感覚麻痺してるのかも。
「――思ったんだけど、やっぱりそれいいかもって思い直したのに」
「思い留まってほしかった」
「もう…せっかくの恋人の涙ぐましい努力を……」
まぁ今日が何の日かは勿論知っていたので、気づかれない様に密かにドキドキワクワクしながら澄ました顔して彼女を自由にさせていたのだが、その結果あの有様である。やはりお目付け役は必要だったということか。
言いながらもシャツのボタンを徐ろに外そうとする凪沙の手を固く握りしめ、下手な動きを出来ないように封じ込める。
「仕方ないのでご用意しました。チョコフォンデュ」
なのに何故か嬉しそうにうきうきと。
そして一体どこから持ってきたのか、まさか一から用意したのか、もう片方の手で彼女が指し示した机の上にはこんもりと液状のチョコが。
「程よい熱さよ。かける?いやらしく」
「食べ物にですよね?」
「食べ物みたいなものじゃない?私も」
「………」
「はいはい、分かった分かりました」
冷え切った目で見つめられた末、観念した様に手を広げ、万歳の姿勢をとる凪沙。
諦めてくれたのかと思ったのも束の間、彼女は机の上の溶けたチョコを掬い上げると、指に垂らして
「はい。あーん」
「…………………」
頬杖をついたまま、何てことのない顔で恥ずかしげもなくその指を差し出してきた。
「………」
「あ〜、とけちゃう〜。いけない〜、はやくぺろぺろしないとこたつやかーぺっとにしみがついちゃう〜」
「………」
「わ〜、べつにふかいいみはまったくこれっぽっちもないけどたんねんにていねいにれろれろとねぶるようにごほうししてくれないとしみが〜」
実に楽しそうに、子供の様に笑いながら俺に何かを期待する凪沙。
その期待に応え、無言で垂れかけたチョコを指で更に掬い上げる。
「………」
凄まじくつまらなそうに、路傍の石を見る様な目で凪沙が俺を見つめていた。
曲がりなりにも恋人に向ける目ではなかった。
「や〜、かわいくない〜」
「大丈夫です。可愛くないんで」
「もう。ノリ悪い」
全くもって素直でない彼氏殿に文句を言ったところで届かぬ願いなのはとうに理解しているだろうに、拗ねた様に可愛らしく口を尖らせると、彼女殿は弱々しく炬燵に突っ伏してしまう。
「あれ駄目。これ駄目。それも駄目。私はただ恋人として君に喜んでほしいだけなのに…」
「シンプルにチョコ渡してくれればそれで十分嬉しいですよ」
「…こんな小さいチョコ一つで伝えられる程、軽くないの。私の愛は」
「伝わってますよ」
「ぷい」
俺のありきたりの台詞が気に食わなかったのか、これまたそっぽを向いてぶすくれてしまう凪沙。
それだけ想ってくれることが嬉しくない訳ないし、男として応えてあげるべきなのだとも思わなくもない。…思わなくもないが、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。言うなれば俺の恥じらいはだいじなもの枠なのでそうそう投げ捨てられないのだ。やくそう感覚でぽいぽいしてるこの人と違って。
「凪沙」
「…何」
だから、彼女の重い想いは素直に受け取れないけれど。
「はい」
「………え」
「あ、…あーん……」
俺の想いの一欠片くらいならまぁ、恥を忍んで渡してみるというのも吝かではない。
俺は机の上に置いてあった、凪沙が用意した苺にチョコを付けて、どうか余計なことだけは言ってくれません様にと願いながら、震える手でそれを差し出した。
「………」
凪沙はきょとんとした顔で数秒程それを見つめて、そのまま誘われる様にそれを直接ぱくりと口にした。
「美味しいですか?」
「…うん」
言いながらも、もきゅもきゅ味わうその顔は、未だきょとんとしたままで。
「………」
「…………」
「……………」
じわりじわり。ぽつりぽつりと、彼女の顔に紅が昇る。
今更ながら、自分がしたこと、いやしてもらったこと?に思い至ったらしく。
「…れん」
「……何でしょう」
「…これ、はずかしいわ。すごく」
でしょうね。
普段、自分から勢いでやることが多いから気が付きにくいんだろうけど、改まって考えると、あ〜ん♡だなんて本当に色々アレだからね。我々が知るどこぞの月何とか先輩は、それこそ恥ずかしげもなく人前でやったりするのかもしれないけど、俺達はあの人とは違う。まだ恋人になって間もないのだから。
そんなね、恋人にすらなってないのに四六時中はい、あ〜んするような距離感バグりちらした人間なんてこの世に存在しませんよ本当。
「…でもね」
「………」
「…すごくぽかぽかするの。ここが…」
じわりと染み込むその温かさを感じ取るかの様に、胸に手を当て瞳を閉じた、あまり見ることの無い様な、その穏やかな微笑み。そんな、ある種の静謐さを感じる彼女の姿に、俺はつい目を奪われてしまい―
「蓮」
「………あ?」
―なんて思っていたら、何故かいきなり天井が目の前に広がっており。
「……もっと、しよ?」
「…………ん??」
小さなチョコを口に咥えた凪沙が、獰猛な光を宿した瞳で俺を見下ろしている。
押し倒され、顔を挟む形で手をついたその姿勢では逃げ場も抵抗しようも無く。
「…そう言えば、こういうキスは初めてよね…」
「……なにをするつもりでしょうか」
「言わなければ分からない?……ああ、それとも、…言わせたい?」
「…わかりたくな「なら、教えてあげる」あ、はい」
「融け合って、溶け合って、いっぱい気持ちよくなるだけよ。……一緒に、ね」
…そもそも、最初からこうなる予想はしていたけれど。
それでも俺を見つめるその顔は、想像を容易く絶する程にどこまでも美しく、見惚れる程に妖艶で。
そして俺達は恋人同士の日という名に違わぬくらいに熱く、激しく互いの熱を
がちゃ。
「兄様、ハッピーバレンタおうふ………」
「「………………」」
分け合おうとして、もつれ合う様に床に倒れ込み重なった俺達を見てしまった妹は
「……………不潔……………」
光を失った虚ろな瞳でただそれだけを吐き捨てると、ゆっくりと姿を消し。
「兄妹丼……なるほどそういうのもあるのね……」
「何を言っていややっぱ言わなくていいです」
「凪沙」
続いてひょこりと出てきたのは、出てきてしまったのは、妹が鍵のかかっていた我が家に乗り込めた原因。それこそこんな姿を最も見られたくない―
「藤堂の男は、◯◯を◯◯しながら◯◯◯されると喜ぶわよ」
「ありがとうございます。お義母様」
「ぶちかましなさい」
「この命にかえても」
「………」
「……かますかぁっ!!!!」
癖の強すぎる身内に日々、頭を悩まされる俺の虚しい叫びだけが木霊する。
それはどこまでも甘く、そして詰めの甘い、俺達らしい(?)バレンタインの一幕。
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