新しい、朝が来る

――その日の目覚めは、少し気怠かった。



身体が重い。開けた目の先には見慣れない天井。


「………?」


未だ覚醒しきらない頭をゆるゆると動かして、身体を横にする。


「っ」


目の前、いや目と鼻の先に見知った顔が広がって思わず息を呑んでしまう。


蓮。


身を焦がすほどに愛おしく、心が擦り切れそうなほどに求めた存在がそこに。

毛布からチラリと覗く、意外としっかりした身体に、何かを身に着けている様子は無くて。


「………」


別に変な気持ちは全くもってこれっぽっちも無いけれど、そっと毛布の下を覗き込もうと顔を傾けたところで、ふと気付く。


私も、何も身に着けていなかった。


「……ん……っ」


下腹の辺りがじくりと疼き、事ここに至り、漸く私は昨夜の記憶を思い出す。


「(ああ、そうだ。私は蓮と――)」


顔に一気に熱が灯るのを感じると共に、…だらしなく頬が緩んでしまっていることもありありと。

そうか。私は生まれて初めて愛する男性と、その…。

…きっとそれはどうしようもなく幸福なこと。身体の内からじんわりと湧き上がるこの温もりがそれを教えてくれている。


彼の長い前髪をかき分け、その顔立ちをじっと見つめる。まだ幼さは抜けきらないと思っていたけれど、こうして改めて見てみると意外と。あ、睫毛長い。


「(…もう、『この子』、なんて言えないかな?)」


少しずつ変えていくとしようか。あなた…はまだ早いとして、差し当たっては“彼“、あたりから。


こうして髪を触られても一向に目を覚ます気配は無い様なので、大変名残惜しくはあるけれど、私は一足早く起きる事にした。

じくじくと痛みの残るお腹を庇う様にして、幸いにも近くにあったバスタオルを身体に巻いて、これまたふと気付く。


「(……汗、綺麗に拭いてもらってる……)」


“そういうこと“がどういったものなのか、一般的な知識は相応に身に着けていた。それでも、想像でしかないものと、実際に彼の腕の中で感じるそれとは天と地ほどの差があった。

昨晩、雰囲気に呑まれて普段の私なら絶対に、絶対にしないことを色々とやらかしてしまった記憶が走馬灯の様に脳内を駆け巡る。

愛し合う、というよりかは最早貪り合う、といった時間。 

乱れに乱れて、息も絶え絶えに気を失う様に眠りに落ちたこともぼんやりとだが覚えている。


ということは、だ。


寝ている間に、隅々に至るまで私はじっくりねっとり全てを見られた訳で。


「(……………)」


またまた顔にぼふっと更なる熱が灯り、私は頭上に浮かび上がった彼の幻影を散らす様に何度か手を振り回すと、散らばった下着をかき集め、足早に部屋を後にする。


脱衣場にて震える手で下着を身に着けて、服に手を伸ばし


「………」


かけて、その手を戻して考え直す。

せっかくだし、彼のシャツをお借りしようかな、と。

一人になって、途端に感じる冷えた空気。それは直ぐに終わるものだと分かっているけれど、どうしようもなく身体が彼を求めてしまう。温もりでも、匂いでも。


さりとて下着姿のまま部屋を彷徨くのもあれなので、素早く私は彼の部屋に入り込むと、早速タンスの中から一着拝借させてもらう。


「…あら?」


今まで何度か借りたことはあったけど、今着ている新しめの服は僅かに、けれど確かに私には大きくて。


「……ふふ」


…そうね。成長期だもの。

きっと私に黙って色々と新調するつもりなのだろう。

ふと気付く何気ない変化が、可笑しくて、愛おしくて。


まるでここにいない彼を抱き締める様に、私はシャツをぎゅっと握って身体を包み込む。彼の匂いが仄かに薫る気がして、自然と昨夜の記憶が再び思い起こされる。


「………ぅん、……」


正直に言おう。


私は年上らしく、お姉さんらしく余裕を見せて、何なら狼狽える彼を優しくリードしてあげましょうくらいの心構えでいた。

お互いに初めて同士。ならば主導権は当然、年長者たる私にあると。






それがどうだ。


いざその時が迫ると、逆に狼狽えまくっていたのは私の方だ。

もっとこう、良い感じの雰囲気の中で甘い言葉を耳元で囁いたり、大人らしく挑発的に焦らしたり、スムーズに服を脱がせてあげたり、そういうことがあっても良かった筈なのに。そうしたかった筈なのに。


蓋を開けてみればあら不思議。

夢中になりすぎて考え事は全て彼方へと飛んでいってしまった。

顔を真っ赤にしてあたふた狼狽える変な女がそこにいた。


何がお姉さんか。まるで生娘ではないか。いや生娘よ。


「ん゙ん゙っ……」


さりとてさりとて。何はともあれ。とにもかくにも。


「…………食事、作らなくちゃね」


シャツ一枚羽織った何ともだらしない姿でキッチンに立つと、近くに掛けられた、暫く前に買ってみたそれに手を伸ばし


「………!!!」


かけて、また私はその手を戻す。


「………エプロン……」


エプロン。そう。エプロン。

私が何を考えているのか、感の良い人ならば既に分かるのかもしれない。

…けれどそれは諸刃の剣。朝から盛りすぎだと冷たい目を送られる可能性もあれば、朝からもう一回ラブラブ出来る可能性もある。


…………。


……あれ?それどっちも私にとってはご褒美では???


「いやいや」


なんて馬鹿な考えは隅に一旦置いておいて。


冷蔵庫を確認。作れそうなものを頭の中でシミュレーション。

取り敢えず精がつくもの……じゃないでしょう、朝ご飯よ凪沙。

ハム、卵。そんなもので十分ではないか浮かれ過ぎだ。


フライパンの上で踊る食材達をじっと眺めていれば、時間の流れと共に気持ちも徐々に落ち着きを取り戻してくる。

慣れた手つきで盛り付ければ、ぼちぼち丁度いい時間。

寝坊助さんを起こしに参るとしよう。


「………」


その前に、鏡の前で己の姿を再確認。

そこにいるのは学園で人気だったマドンナ殿。何とも煽情的なお姿と、そして


「なんてひどいかお」


緩みきったニヤケ面。他の人の前では到底見せられない。

大きく二、三度深呼吸。次に頬をぐにぐに乱雑に揉み解して、強引にいつも通りの余裕ぶった顔を作り上げる。

あっという間に高嶺の花の出来上がり。なんてお手軽なんでしょう。


「………よし」


そして私は眠る彼の前に立ち、そのあどけない寝顔に口づけを落として、ゆっくりと開く瞳に、とくんと跳ねる鼓動をひた隠して、澄ました顔して囁きかけるのだ。


「おはよう。……蓮?」




ねえ、蓮。君は気づいているのかな。余裕という仮面の下で、私は今、心から笑えている。

この幸せを手放すことなんて二度と出来ないから。君をもう、離さないから。


私を、離さないでね。

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