思い出、積み重ね。
「ああっ兄様、それは卑怯では…!?」
「勝負の世界は非情だよ」
それはある日のこと。
俺達兄妹がかつてのリベンジを果たすべく、猛特訓に明け暮れていたある午後のこと。
「ん〜〜。………」
俺達二人が絡んでいる姿を見るだけでご飯が進む、とか睡蓮兄妹尊い…、とかちょっととち狂ったことを仰っていた我が恋人が、何やらしきりにうんうん後ろで唸っている。
「どうしました?凪沙」
「ん?…うふ」
日頃の特訓の成果を十全に活かして翠を慈悲もなくのめした後、倒れ伏して放心する妹を横目に声をかけてみれば、クッションを抱いて悶える変な女がそこにいた。これ俺の彼女なんだよなぁ。
「…ニヤニヤしていましたけど」
「あー、…うん。あの、ね?」
顔をおしつけたクッションからご機嫌そうに目だけを覗かせる凪沙、その目が小さく潤んでいて、長い髪からちらりと覗く耳が仄かに色づいている事に目敏く気づく。…心の片隅で可愛らしい、なんて思ってしまうのは惚れた弱みと言うべきか。
「…君、すーちゃんにはタメ口じゃない?」
「まぁ、妹ですし」
「で、私は敬語」
「…まぁ」
思わず目を逸らしてしまう。…仮にも恋仲なのに他人行儀にも程があるから嫌だとか、そういう話だろうか。
それ自体は自分でもどうなのかな、とは思っていた。
でもそれはまぁ、やっぱり染み付いてしまった癖というか。追々直していけたらいいな、って密かに思ったりはしている。
そして、実は誰もいないところでひっそりと練習してたりすることはここだけの秘密。
「呼び捨てだけど敬語の男の子って……」
「………」
「…何か、……良いなぁって…」
そう言って何かもにょもにょした感じで身を捩る凪沙。心配して損したぁ。
「…少し分かります」
「翠?」
倒れ伏したまま指先をつんつん突き合わせながら、こちらも赤い顔で言いづらそうに。
我が妹ながらなんて可愛らしいのだろうか。心の片隅どころかど真ん中、底の底から可愛らしいね。兄の贔屓目?違うよ世界の真理だよ。
「すーちゃんも分かるのね」
「う。…はい」
「ふふー可愛い」
「あう」
仲間を見つけた喜びか、凪沙が寝ているすーちゃんに這い寄ると嬉しそうに抱きついた。
すーちゃんも戸惑い半分ではあるが、未来の義姉のそんなコミュニケーション自体は悪く思っていない様で。
まぁ、仲良きことは美しき、だよね。ボディタッチ多めでも、少なくともぎくしゃくされるよりよっぽど良い。俺は本当後悔したからね。ハラキリ一歩手前。
「すーちゃんもやっぱり縛られて目隠しされた状態で、耳元で囁かれたり叩かれたりしたいって思うわよね?」
「前言撤回します」
…やっぱり離れてくれないかなぁ。妹が汚される。
うちの翠はコウノトリやキャベツ畑を信じる純粋な子なんです(願望)。
やり過ぎ、良くない。
桃色姦しオーラを背に、ゲームの電源を落とす。
直後、窓の外からゴソゴソと。謎の異音が。
振り向いてみれば
『にゃー』
「ええ……?」
愛らしい白猫様が窓を柔らかな肉球で叩いていらっしゃるではありませんか。ありがとね爪立てないでくれて。
しかし嘘やろ。ここ何階や思てんねん。
流石、『流離いのロロ』。君の旅路は果てしない。君は何処にだって行ける。
「凪沙、ロロが………」
もしかして主たる姫君に会いに来たのだろうか。
何とももっふもっふなもふもふをふもっふしながら迎え入れ、部屋の中へと戻ってみれば
「……………………………………………………」
何故か妹が壁にへばりついている。
凪沙はその様子を目をまん丸くして見守って。
胸にロロを抱いたまま部屋の奥へと足を踏み入れる。
「………」
「な〜」
「っ!!!!!!!」
カサカサカサ。
ごk……、ちょっと女の子に使っていい言葉ではない動きを連想させる様に翠が素早く俺から距離を取る。何だよぅお兄ちゃん泣いちゃうよ。
「にゃー」
だが鳴くのはロロの方だった。床に降り立った彼女が愛らしく一鳴きして一歩踏み出せば、同じように翠も一歩下がる。
進む。下がる。進む。下がる。
何度繰り返しただろうか。まるで産まれたての子鹿の様に足をぷるぷる震わせる翠を、たちの悪い女が寝ながらパシャパシャ楽しそうに写真を撮っている。
…ふむ。どうしたものか。もしかして、実は彼女にはニューヨークの壁にへばりつきたい願望でもあったのだろうか。
愛する家族の意志は尊重したいものの、このままでは我が妹の称号は明日から『親愛なる変人』と化してしまう。それは少々いただけない。
「………あ」
そしてふと、思い出す。過去の思い出。俺がまだ何も知らなかった無垢な子供の頃の光景を。
「…そういえばなんですけど」
「ん?」
「さっきの話。名前といえば」
「うん」
「すーちゃんの本名って実はみどりだったりする訳ですが」
「…どうしたの?今更。前から翠って呼んでいたじゃない」
「一応言っておこうかなって」
「誰に?」
「お気になさらず。…それで昔、皆がみーちゃん、みーちゃんって可愛がった結果」
仲良く揃って前を見る。愛らしい小動物に顔を真っ青にしながら地獄からの使者してる愛らしいヒロインを。
「近所の野良猫が何故か翠に群がってきまして」
「あったわね」
「無事、猫がトラウマになったそうです」
「………」
因みに、最初にすーちゃんと名付けたのは凪沙である。
猫の毛まみれになり、子供らしく泣き喚く彼女の頭を撫でながら『なら、すーちゃんね』、と言ったあの時の光景。あの時の笑顔。この人は根っこからお姉さんなんだな。そう思った瞬間だった。俺が凪姉って呼び始めたのも多分この頃だったと思う。
何て思っている間に、いつの間にやら翠は逃げ場の無い角へと追い詰められており。
「なー」
「あ……、ああ…!ロロさん……!それ以上は……それ以上はぁ………!!」
「にゃーん」
「ひぐっ!?ああぁ兄様姉様ぁぁぁあ……」
「可愛い」
「そっすか」
その優しいお姉さんがどうしてこうなっちゃったのか。もうあの子涙目なんだけど。
「凪沙」
「ん〜?」
「助けてあげないんですか?」
「もう少しだけー」
うふふふなどと笑いながら、ほくほく顔でアルバムを充実させるヴィラン。推し活に余念が無いのは重々承知のことではあるが、あまりに可哀想すぎる。翠の兄として、凪沙の恋人として、俺はビシッとこの場を締めなければならないのだろう。
あ。その前に俺も写真撮るねー。
そして寝転がって夢中でぱしゃる凪沙の後ろから、何となく耳元に顔を近づけぼそりと声をかける。
「凪沙」
「んひっ!?」
「………!?」
特に含みを持ってやったつもりもなかったのに、あまりに予想外なリアクションをされて思わずこっちも固まってしまう。
しかし、彼女は一度大きく身体を跳ねさせはしたけれど、こちらを振り向くことはしない。
長い髪から僅かに覗く耳は真っ赤で、その後ろ姿が明らかに何かを期待している。それはもう明らかに。
思い出すのは、さっきの会話。
…これはつまり、そういうことなのだろうか。
そしてそれを躊躇いなく実行に移せる俺も、既に大分毒されている。
「…凪沙」
「っ!!」
「助けなさい」
「あ♡…っ…、は、はい……っ」
身体をびくんびくんさせて蕩けながら、何かそこはかとなく喜んでる変態。ちょっと引いた。
この変態ね、俺の彼女なんですよ。悲しいなぁ。
嬉しそうに耳を撫でながら、凪沙が可愛らしい縄張り争いの場に足を踏み入れる。
二人の瞳が彼女を射抜く。そこに込められた感情は恐らくは正反対。いや、ロロは流石に分からんけども。
「……ロロ」
「にゃーん」
「あ、ね、おねえちゃん…。み、みどりをたすけてくれるの…?」
「………ぉ」
限界を超えたのか、余りの恐怖に翠が若干幼児退行している。涙目で彼女を見つめるその姿はこの世のものとは思えないくらいに愛らしく。
そしてそれを見た凪沙が途端に無表情になる。…恋人としての経験が成せる技なのか、今、彼女の頭の中でさぞかしとんでもないフィーバーが起こって、上がりまくったテンションの処理に必死なのだろうな、ということが容易に想像できた。したくなかった。
「…『でんこうせっか』」
「にゃー!」
「んひぇあっひゃわぃ!!!??」
「止めなさいって」
「うふ、ふふ…可愛いすぎて、つい……、ね?あははっ…!」
スケート選手ばりに身体を仰け反らせてロロを躱す翠を見て、仮面もくそもなく、心から楽しそうに凪沙が笑う。
思わず俺も呆れで変な溜息が出てしまう。
だから、今のこの人の笑顔を見て、俺の瞳が何だかさっきから妙にムズムズすることも、絶対に呆れのせいなのだろう。
わちゃわちゃする二人にどうか気づかれない様にと、雑に拭いながら、もう一度携帯を手に取った。
アホらしい思い出でも、空っぽよりはマシだから。
こうして積み重ねていって、彼女の笑顔のアルバムがこれからも充実したらいいなと、二人と一匹を捉えた画面を眺めながら、そう思った。
■
そして、散々弄ばれてからやっとこさ救出された翠は当然大変お冠だった訳だが。
「ふたりともきらい」
「………そっかぁ……」
「………じゃあ、死ぬしかないわね……」
「………ですね……」
「何故!!??」
俺達が絶望に染まる様子を見て、嫌でも機嫌を直さずにはいられないのだったとか。
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