二人で紡ぐ『これから』のこと

真鶴フルスロットル

ふとした瞬間、私はそれに気づく。


こちらを真っ直ぐに見てくれない、触れに来てくれない、…私を求めてくれない。

言葉などなくとも、人は察してしまうものだ。


今の彼の表情。続く今の関係に疲れ果て、終わりを求めている。

終止符を打つその瞬間を静かに窺っている。


…ああ、やはり、そうなのか。

後ろから仄暗い絶望が忍び寄る音がする。私はまたやってしまった。


死んだ様に眠る彼の顔を虚ろに眺めながら、力の込もらぬ頼りない手で、私はあの人に連絡を取るのだった。












「倦怠期です」

「早くない?」


私の台詞を聞くやいなや、失礼にも椅子からずり落ちそうになる志乃さんを横目に、私は目の前のコーヒーを意味もなくぐるぐるとかき混ぜる。

…その渦はまるで私の乱れる心の中を表すようだ。そして一度飲み込まれてしまえば


「あんなに幸せそうだったのに」

「…そう、ですか?」

「自覚無しにこないだ私を踊らせたの…?」


少し前、蓮と想いを伝えあった喜びのままに、私は彼女の手を取り共に優雅に円舞曲と洒落込んだ。嗚呼、突如謎の現象に巻き込まれ、困惑と混乱120%の顔でそれでも文句言わず(言う暇が無かった)付き合ってくれたこの人に何てお詫びをすればいいのだろう。


「…倦怠期です」

「き、気の所為じゃないかな」

「…………」

「だって、ほら、あの、…藤堂くんそんながつがつした子じゃないでしょ?」

「……………………」

「…えっと、あ、ほら、付き合ってるんだからさ、やっぱりいつも通りに振る舞えない時ってあるよ。彼も緊張してる可能性だってあるし、凪沙だって今までとは違うでしょ?」


どんどん昏い闇に引きずり込まれていく私を必死に引き上げようと、志乃さんがてんやわんやしている。普段落ち着いた彼女にしては珍しい光景。それ程までに今の私は心配になる顔をしているということなのだろう。


「…何も変わりませんよ、別に」


私はこんなにも想いが伝わればと色々手を尽くしているのに。あの子はいつだっていつも通り。


「そう?素直に甘えられる様になって色々変わったんじゃないの?」

「…………いろいろ…………」


それでも彼女は笑顔で否定する。きっとそれは私達二人のことを信じてくれているから。…この人がそこまで言うのなら 少し、ほんの少しくらい考えてもいいだろう。


考える内に、無意識に私が何かしでかしていた、という可能性も見えてくるかもしれないし。


「………そう言えば」

「うん」


「…私からだけでなく、蓮も抱きしめてくれるようになりましたね」

「うんうん」


「…キスしてっ、て言ったら素直にしてくれるようになりましたね」

「う、うん」


「一緒にお風呂入れるし」

「うん???」


「でもその時あの子、いつも見てくれないんです。私を」

「ん?????」


「後ろから抱きかかえられるのも悪くないんですけど、私としてはやっぱり向かい合ってくっつきながら湯に浸かるのが好きというか」

「凪沙?」


「こう、抱き合って、私はあの子の膝の上に乗っかってキ」

「凪沙、すと、ストップ」

「はい」


私はこんなにも想いが伝わればと色々手を尽くしているのに。あの子はいつだっていつも通り。


いつも通り可愛い。慌てふためくその顔があまりに可愛いすぎて、つい辛抱ならず毎回長湯になってしまうくらい。のぼせてしまったのか、真っ赤になったその顔は、潤んだ瞳は、私の全てを即座に魅了し、飲みこんで、支配する。

なのに最近は一緒にお風呂に入ってくれない。『お願いしますから、もうちょっと落ち着いてください』。そんなよく分からない台詞をはいて、甘えようとする私をぽーんとベッドに冷たく放り込んでさっさと風呂に行ってしまうのだ。

考えれば今日はキスもしてくれていない。既に想いは離れてしまった証左だろう。

妙にやつれているし、最近。毎日絶好調なのに、私は。

もうね、卒業して同棲が始まったら私は壊してしまうかもしれない、彼を。でも大丈夫。そしたら死ぬまで料理も掃除も夜伽もずっとお世話してあげるからうふふふ………冗談よ。


「凪沙」

「はい?」


おっといけない。つい考えに没頭してしまった。

目の前の志乃さんは、何故か真っ赤な困り顔で手元のコーヒーをぐるぐるとかき混ぜている。


「……あの、ね?」


「………お風呂、…一緒に、入ってるの?」

「はい」

「…あ、そっか……水着、だよね?」

「……?何故水着を?」


恋人同士なのに。


「おぉう……ぅわぁ………それはそれは……」


藤堂くん頑張ってるうぅ……何やらもごもご呟きながら顔を手で覆い、何故か絶句した様子で体を仰け反らせる志乃さん。何か変なことでも言っただろうか。志乃さんだってどうせあの人としっぽりずっぽりいんぐりもんぐりきゃっきゃでうふふなイケナイ夜の婚約者しちゃってるだろうに。…誰?今おっさん臭いって言ったの。立ってなさい、廊下。


「………うん、それは、藤堂くんだって、ねぇ、それは、うん……」

「………?」


…ああそうか。私はこの二人に影響されてしまったのかもしれない。つまり悪いのは志乃さん。Q.E.D。


「志乃さん」

「え」

「そういうとこですよ」

「何が?????」


思わず小さな溜息一つ。

もう、本当えっちなんだから。少しは年上としての慎みを持ってもらいたいものですね。皆様もそう思いませんか?思いますよね?そうですか。ですよね。満場一致で合意は得られました。この人はえっち。はいヘウレーカ。


「私達は学生時代もっと健全だったよ!?」

「本当に?」

「え゙」

「断言できますか?胸を張って」

「えっ?……………とぉ………」

「思い返してください、よくよく。自分達は人目も憚らず、場所も考えず肌をくっつけ合っておりませんでしたか?周りの人がそれを見て果たしてどう思うか、少しでも考えたことはありませんでしたか?愛しの彼が目の前にいて、本当にイケナイ気持ちが無かったと言い切れますか?」

「何で私が責められてるの?」


おかしいなぁ私相談された側だよね?笑顔を必死に取り繕おうとしているけれど、そんな感情が隠しきれていない彼女を前に、私は再び思いを馳せる。


言葉などなくとも、人は察してしまうものだ。

ましてや、それが私と彼の間柄なら。


今の彼の表情。続く今の関係に疲れ果て、終わりを求めている。

終止符を打つその瞬間を静かに窺っている。




私の愛が満たされ満足するその瞬間を、今か今かと待ち望んでいる。




…………。






え。来ないし。そんなもの。






私はこうしている今も、蓮に飢えている。

尽きることの無い愛情を注ぎ、注がれる、永遠とも思える時間を乞い願い、希っている。

相反する二人の感情。そこに双方が納得できる完璧な答えなんて存在しない。


と、いうことは?


「……志乃さん」

「…………何かな」


「倦怠期です」

「違うと思う」












今一度、自分の行いをよくよく見つめ直しなさい。

幼馴染恋愛マスター様はそう告げるとコーヒーを一気飲みして去っていった。


そして現在。


「…………」

「…………」

「凪沙」

「ん?」

「…さっきから何ですか」


ソファーでくつろぐ彼の膝に頭を乗っけて、下からその可愛い顔をひたすら無言で眺めて無表情で悶えていたら、そんなことを言われてしまった。


「蓮」

「はい」

「おふ…」


『お風呂、一緒に入っていい?』喉から出かけたその言葉は深く飲み込んだ。

そういうとこだよ。そんな彼女の声なき声が聞こえた気がしたから。


「おぅふ?」

「…ううん」

「………」


蓮のお腹に顔を擦り寄せる。蓮が明らかにいつもと様子が違うそんな私を訝しんでいる。

…今までならばさっさと仮面でも被ってしまえば何の問題も無かったのに。


でも、そうしたらあの頃の私に戻ってしまう気がして。一つ重ねてしまったらなし崩しに幾重にも積み重ねてしまう気がして。

私は二の句を告げなくなってしまう。


「……元気ありませんね」


それは君もでしょう?

…まぁ、理由は分かっているんだけど。私のせいなんだけど、主に。


「うん……」

「………あの」


「?」

「あ〜…」


何度か言い淀んで、無言で先を促す私に意を決した様な、何か悲壮な覚悟を決めた様な、そんなおかしな顔で、蓮が恐る恐る口を開く。


「………お風呂、入りましょうか」

「!………、…………っ…………?………………………いいの?」


それはまさに天からの救いの言葉。てんというか、れん。

『いいの?』その言葉を発するまでに私の中でどれだけの葛藤があったかはどうか何も言わずに察してほしい。


思えば彼はいつも『そういう時』、どこか気の乗らない顔をする。

最近、それが欲望に溺れてしまう自分が単純にあまり好きではないからなのだと気づいた。

慣れない自分に無理をしている。それでも私のために。それは疲れて当たり前だろう。


そして私は、お姉さんを気取りながらその年下の気遣いに甘え切っているのだ。


「…入るだけなら」

「む」


それでも、もう少しだけ。


「…何もしないなら」

「シナイシナイナギサデキルコ」

「やっぱ無しで」

「あ、ごめんなさい何もしません本当に何もだから入る一緒に入る」











「で」






「どうして逆上せるの?何もしていないのに」

「…………」


何もしないまったりした入浴が終わり、私はさっきとは打って変わって膝に乗せた彼の頭を扇いでいた。

荒い息と赤い顔でぐったりする蓮の姿は、私には少々刺激が強い。色々ときゅんきゅんする。色々とね。


「……分かりませんか?」

「…?分かりません…」

「………」


何がだろう。私は今度こそ本当に何もしていない。

一緒に湯に浸かり、背中を流しただけなのに。


本気で首を傾げていると、赤い顔でじとりと睨まれた。


「……どうしてそういうとこだけ……」

「……何よ……?」


志乃さんみたいなことを言われてしまった。

長い前髪をかき分ければ、皆は知らない素敵なお顔が顕になる。私に負けず劣らず綺麗なおでこにそっと口づけると、上から蓮の瞳を覗き込んだ。


「……ねぇ」

「…、はい」


目は逸らされない。真っ直ぐに私を見ていてくれている。想いを伝えてから、変化した一つのこと。でもちょっとまだ慣れないな、なんて。

だからだろうか。最近は私から顔を逸らすことが増えてきた。後ろめたさとかではなく、…恥ずかしさで。お風呂なら一周回って吹っ切れるのに。静かな恋人の時間となると、これがまた。


「…やっぱり、面倒?私」

「面倒ですね」

「っ」

「そんな凪沙が好きな自分が特に」

「……………」


疲れているからか、力の無い顔でふにゃりと笑う蓮。

彼はいつだって私の欲しい言葉をくれる。何も言っていないのに私の心が読めるみたいに。本人には自覚は無いのだろうけど。

そういうところが凄くかっこいい。ちょっとだけ。


「……可愛くない………」


でもお姉さんとしては、素直に認めるのは癪だから。

いつも通りに、私は口に馴染んだ言葉を繰り返す。


「…あんまり可愛くないこと言うなら、この場で襲っちゃうんだから」

「勘弁してください……」

「……ふふ……」


いつも通りに、頭を撫でる。

いつも通りに、溢れてしまいそうな愛を込めながら。


「早く卒業したいわ」

「……」

「そしたら直ぐにでも一緒に住めるのに」

「………」

「毎日一緒にお風呂に入って、毎日一緒に寝れるのに」

「本当に、しばらくは、勘弁してください………っ」

「……………冗談よ」


多分ね。


私も落ち着ける様に頑張るから。離れていた時間の分、もう少しだけ、もう少しだけ甘えさせてほしいな。

情けないお姉さんでごめんね。かっこいい君にありがとう。


私達の恋人ライフはまだ始まったばかり。












後日。


「藤堂くん」

「月城先輩?」

「これ、あげるね」

「……聞きたくないですけど何ですか、この大量の栄養ドリンク……」

「ふぁいと(ぐっ)」

「………………………どうも……………」

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