最終話 真鶴凪沙が

「お義母さん。蓮を貰います」

「いいわよ」

「いくない」







などという奇天烈な会話があったとかなかったとかしたらしい数日後。

改めてもう一度母とも話をし、全ては自分と凪沙のためを思ってのことだったと理解はした。大変もって納得はしづらかったけど。


そして、彼女は今日も変わらず俺の家に入り浸っていた。


「蓮。これ、どこ入れればいい?」

「ああ、…なら、そこのタンスに…」

「…ふふ。うん」


…あれから。


あれから、少し彼女は変わった。


『…どんな私も、紛れもなく私なのよね』


学園でも、素直な自分を出す様になった。

クリスマス明け、突如がらりと変わったマドンナの雰囲気。勿論、そんなもの周りだって放っとく訳もなく。

一体、何が彼女を変えたのかと。奇しくも経たのはクリスマス。そう言えば最近いつも一緒にいるいけ好かない小僧いるよね。ならばもしや?一時期はその話題で騒然となった。



それを収めたのは、渦中の先輩その人である。


収めたというか



『れーんっ』

『……はい』

『デート、しましょう?』

『『『!!!???』』』




以上、教室のど真ん中での出来事です。因みに後ろから抱きついてきながらです。


「先輩」

「……………」


返事は無い。


「………………凪沙」

「なに?」


輝く笑顔がすかさず振り向いてくる。


「本気ですか?」

「何が?」


本気で分からない顔をしている彼女を横目に、部屋を見渡した。

飾り気の無い、囚人みたいな部屋。


…だったはずが、大人っぽい落ち着いた調度品がいくつも新しく置かれている。

これではまるで独房ではなくリビングではないか。リビングだよ。

まるで自分の部屋ではないかの様な、自分が異物になってしまったかの様な異物感。


「これはここ」

「………」


てきぱきと。何故か家主よりも部屋の配置を理解しているお客様が家具を動かしている。恐るべきは一切の無駄がなく、それでいてしっかりと洒落た雰囲気を演出していること。

そう。彼女は卒業したらここに住むおつもりらしい。


つまりは同棲。恋仲の男と女が一緒に住むこと。

幸いというか何と言うか、倉庫と化して使っていない部屋が一つ余っていた。

彼女はそこに目を付けた。


家族は自分達のことなど自分達より理解している。説得は容易だった。する必要も無かった。信頼、という意味では誠に残念ながら自分は彼女に遠く及ばなかった。


「〜〜♪」


彼女の手の中からまた一つ、物が出てきた。

それは少し歪な…犬?のぬいぐるみ。…あれは確か、昔妹が作って彼女に贈ったものだ。そんなものまで後生大事に持っていたというのか。彼女の愛にはほとほと頭が下がる。


「………」


…愛。


…愛か。


これまでも、彼女の愛情表現を何度も何度も向けられてきた。その裏に込められた想いに全く気づいておりませんでした、だなんて言うつもりもない。

恋人、という関係に至る前ですら割と際際な攻めを見せることもあったのだ。無論、彼女が俺を好いていたという前提があってこそだけど。

要は踏みとどまる一線があった。理由があった。


それが今、消えた訳で。


「凪沙」

「ん?」




「服着てください」




お分かりになるだろうか。




「?着てるじゃない」




何を言っているのか。そんな顔で首を傾げられる。

何を言っているのか。俺も首がへし折れるくらい傾げたい。


だって今の彼女は


「それは水着と言うんですよ」

「そうね。黒地に白いレース。掃除ということでイメージしてみました、メイド」


何故かソックスだけは着用している下半身の、見えないスカートを拡げる様に、優雅に腰を折る凪沙。残念なことに恐ろしく頼りない布面積の小さなビキニは、その楚々とした所作に全く見合っていない。

寧ろ腰を曲げた事によって彼女が持つ完璧な肉体美の一部分が、これ見よがしに強調されてしまい


「どうでしょうか、ご主人様」

「………」

「…ん。ちょっと待って」


人の気など知らずに、呑気に後ろを向いて食い込みを直す彼女の隙をついて、無言で窓を開ける。


「あ゙っ、さむ、寒い、寒い寒い寒い死ぬ、死ぬから、やめて。やめてご主人、蓮」

「服着てください」

「もう…」


ぶすくれた顔でエアコンの温度をがんがんに上げる寒がり。

傍に置いてあるシャツに手を伸ばし、致し方なくという様子で袖を通す。

…何故か上しか着てくれない。


「私という可憐な恋人を永遠に冷凍保存したくなる気持ちは分からなくもないけれど」

「………」


髪をかきあげ腕をクロスする謎のポージングを決めながら何か言っているけど、無視。


「……後で脱ぐのに。どうせ」

「…………………………」


踏みとどまる一線が無い。踏みとどまる一線を越えた。まぁどちらでも構わない。

何が変わったかというと、恋人としての距離感になったということだ。

ただし、こちらの意思など関係なく。あちらの気ままな気分のままに。


「ふぅ。…流石に少し汗かいたわ。ね。いつ入る?お風呂」

「………後で」

「そ。入る時は言ってね?」

「……はい…」


…色々と辛いのだ。本当に。






「本気って聞いたわよね?」

「まぁ、はい」


一通り済ませて満足したのか、凪沙がこたつに入り込む。先に入っていた俺の足にちょっかいを出す様に、何度も己の足を絡めようと奮闘している。

その顔は、まるで新しい遊びを見つけた小さな子供の様にあどけない。


「君は嫌?」

「……嫌なら好き勝手させてませんが」

「………ふふ。うん。学校へのアクセスもいいし、やっぱりこれが一番合理的よね」

「…そうですか」

「うん。新しい年を迎えることがこんなに楽しみだなんて、初めて」


諦めたのか、机に体を投げ出す凪沙。

傍にあった俺の手を取ると、指を一本一本確かめる様に握ったり撫で回したり、それが済んだら絡めたりと、これまた許可も取らずに好き勝手楽しんでおられる。


「そういえば凪沙」

「なぁに?蓮」


絡め取られた指を握りしめて、逆に彼女の手を取る。

気分を害した様子も無く、自分の名を呼ぶその顔は優しく微笑んでいた。


「結局、大学には行くんですね」

「うん」


最近まで知ることの無かった彼女の進路。

意外というか、それはあの後すぐに判明した。

といっても、ただ無難に進学する、という情報だけだが。


「正直ね?」


「正直、高校卒業して君がいない後のことなんて考えてすらなくて何処かで野垂れ死のうかと思っていたけど」

「おっっもぉ」


唐突に笑顔で闇ぶっ込まないでよ。本当にギリギリだったんだな俺。

まじで良かった。


「じっくり、考えてみようかなって。将来」


そして、今の言葉とそれを言う顔には確かな固い、前向きな意思が宿っていた。


もう片方の手も彼女の手に回すと、俺はそれを強く握り締める。

それを受けて彼女もまた、絡めた指に力を込めた。


「凪沙なら出来ますよ」


こんな俺も救ってくれる優しい貴方なら、きっとどんなことだって。




「何を言っているの?」

「へ」


思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

目の前の凪沙は大層不満気な顔で。

指を解くと、俺の頬を優しく突く。彼女と違って膨らんでいない頬は、何とも固いはずだけど。


「君も考えるのよ。私と君、二人の『これから』を」

「……」




「築いていきましょう。今度は一人じゃなくて、二人一緒に」




「ね?」



そう言って笑う彼女の顔は、仮面も影も無い、心からの満面の笑顔だった。






足元すら覚束ない虚ろな闇の中を、それでもひたすらに前を向いて歩いていた凪沙。

その背中を頼りに、いや、その幻をただ闇雲に追いかけていただけの俺。


だけど漸く追いついた。


繋いだ手の先にはきっと光が待っているはずだから。

焦らずに歩いて行こう。迷ったとしても互いが互いの道標となるから。


俺が貴方の、貴方が俺の、居場所だから。

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