第34話 『父』

「「「……………」」」

「………」


「冗談よ」

「「あは、…あはは………」」

「……………」












藤堂の家は何でもない住宅街の一角に存在する。

ただし、四方を塀に囲まれ入口には簡素な門がある、という点では何でもなくはないのかもしれない。

別に家政婦やらメイドやらがいる訳でもない。普通よりは少し大きな家。果たして自分が将来こんな家に住みたいと考えたならどれだけ努力すればいいのやら。


「「………」」


そして今ここに至るまで我々の間には一切の会話が無かった。

女子二人が気まずそうに足早に立ち去った後、先輩は『ごめんなさい。時間をちょうだい、少し』という言葉を最後に俯いたままである。あの後、気休め程度にフォローが入ったことがせめてもの救いと言うべきか、ぎりぎり、本当にぎりぎり険悪なままでは終わらなかったけれど。

とはいえ、このまま歩き続けた結果、閉まった扉に正面から激突する残念美人を目撃する羽目になるのもいたたまれない。面白そうではあるが。


「…先輩、着きましたよ」

「ん?…ああ、…うん」

「………」


直前で手を引っ張れば、気付いた様に漸く立ち止まる先輩。

どこまでも生返事を返す彼女を横目に、インターホンを鳴らせば


『はい、藤堂です』


すぐに聞き馴染んだ少女らしい声が聞こえてくる。とりあえずはハズレを引かなくて一安心、などと大変失礼なことを考えながら声を出しかけ、はたと気づく。


しまった。彼女のご機嫌をとる黄金色の某を何も買ってきていない。


「……」


さて、どうするべきか。面倒極まりない大人のお世話を押し付けられてお冠の妹にぷんすこ怒られるのも中々一興ではあるが、ここはやはり小粋なジョークで場を和ませるべきか。もしかしたら先輩もつられて元気出すかもしれないし。


そうだな、例えば、すーちゃんの好きなものを絡めてみるとか。……好きなもの……好きな?もの?…知らん。えーっと?


『…どちら様でしょうか』

「すーちゃんの大好きなお兄ちゃんだよ」

『ーーブツッ』


何がいけなかったんだろうね。全然分からない。


「…何をしているの。お兄ちゃん」

「冷めきったリアクションってこんなに心に刺さるんですね」


ただでさえ暗い雰囲気の先輩から感情の抜け落ちた声が贈り届けられた。

知らなかった。なんちゃら1グランプリに出場する芸人の皆さんってもしかしてだけど英雄の器なんじゃないの。


「ふぅ……代わりなさい」

「あ、はい」


やれやれと、気持ちいつも通りに戻った声色が、俺を雑に横に動かした。

先輩が軽やかにインターホンを鳴らし


『………どちら様でしょうか』

「すーちゃんを大好きなお姉さんよ」

『ブツッーー』


「何をしているんですか。お姉さん」

「……おかしいわね……」


おかしくないと思うよ。

とはいえ、幾分か調子は取り戻したらしい。

本当に不思議そうに首を傾げる先輩をどかして、改めて試練へ挑む。


「ワンモア」

『…………はい』

「藤堂蓮と申しますどうか開けてはくださいませんでしょうか翠様」

『ブツッーー』


え。今のもだめなの?

妹から存在を否定されたことによる悲しみで、俺が涙目で小さく震えていると、程なく奥からパタパタと足音が聞こえてくる。


扉を開けて顔を覗かせたのは、赤い顔でこちらを睨む可愛らしいマイシスター。


「…何をしているのですか…」

「…場を和ませようと…?」

「恥ずかしい…」


もうあんなことしちゃ駄目ですからね。などと窘める声をBGMに、玄関に戦利品をさっさと下ろして靴を脱ぐ。

後ろの先輩から荷物を受け取り、整理していれば、先輩が雑に揃えた俺の靴を丁寧に揃え直してくれていた。

きっと見えないところでいつもこんなことをされているのだろう。いつか、素直にお礼を言うべきなのかもしれない。素直になれたらの話だが。 


まだ拗ねた様な愛妹に案内され、廊下を歩く。勝手知ったる我が家は、出ていく前と何ら変化が無い。何なら俺の私物にすら何一つ手をつけてはいないのかもしれない。俺はどう扱っても構わないと言い捨てたけれど、家族にとってはそれが当たり前のことなのだろうか。


「父様。兄様達が到着しましたよ」


案内される程でもない距離を歩いて部屋の前に立てば、そう言ってすーちゃんが笑顔で丁寧に戸を開ける。




「「「あっははははははははは!!!!!」」」




「酒が足りてないんじゃないかぁ!?ほら飲めまなづうぅ!!」

「そういうお前こそまだまだイケルだろう!とーど〜!!」

「や〜ん、あっつーい。私全部脱いじゃおっかな〜ん、なーんてー」

「………(ぐい)」

「「ひゅー!!!」」


「「「わっはははははははは!!!!!」」」


「「「……………」」」


目があった。


「「「は」」」


止まった。


すーちゃんが笑顔で無言で戸を閉める。

…なんて気遣いの出来る子なんだろう。お兄ちゃん涙出てくる。




「父様。兄様達が到着しましたよ」


開ける。




「…ふむ…、と、なると市場がこう、アレで…コレという訳か…」

「そうなるな……。こう…ソレが市場で……ドレだな………」

「熱い……少し脱いでいい……?」

「………(ぐび)」


「「「……………」」」



何か神妙な面して話し込んでいる赤ら顔の酔っぱらい共がいた。

厳かな雰囲気を醸し出しているつもりなのだろうが、机に転がった数多の酒瓶は誤魔化せるはずもなく。皆さんはご存知無いのでしょうけど、当たり前ながら騒ぎ声は部屋に着く前から普通に聞こえていたんですよね。

そして一人だけ一切体勢を変えることなく無言で酒瓶を呷っているヤベー奴がいる。あれね、一応肉親なんですよ。つれぇわ。






「久しぶりだね、蓮」

「はい」

「少し見ない間に大きく……はなってないね」


大人の何てことない言葉が少年の心に消えない傷を残す。

うるせぇ。気にしてるんじゃ。いや、気にしてねぇしまじで。


「おー、蓮くん大きくなったなぁ、…………身長以外」

「やーん蓮ちゃん大きく……格好良くなったわねぇー」


誰かー。イジメだよー。イジメが発生しているよー。

揃いも揃って生暖かい視線を向けてくれやがって。これでも先輩よりは上だから。ギリ。伸びたから。少し。5cm 。……3cm。………、2cm?くらい。多分。きっと。


「はは……」


生暖かい視線、とは言ったものの。温かいことに変わりはない。

父は勝手言って出ていった挙げ句ろくに顔も見せに来ない馬鹿な子に嫌な顔一つ見せないし、さらに久々に会った真鶴夫妻は昔と何ら変わりがない。


本当に恵まれていると、そう思う。







「どうだい?一人暮らしは」

「…ありがたく、のびのびとやらせてもらっています」

「それは何より」


暫しの時が過ぎ、俺達は男三人で盃を傾けていた。勿論私はジュースです。

女性陣は女性陣で大変姦しく台所で何やらわちゃわちゃ騒いでいる。流石に酒が入った状態で刃物を扱う気はないらしく、大人は簡単作業だけのようだが。因みに手伝いを申し出たら、邪魔だと秒で断られた。お陰で俺はこうして無事酔っぱらい共に絡まれている。

どうせなら向こうで新しい鈴を買ってもらってご満悦のロロとまったりしたかった。


「いや〜しかし…凪沙から話は聞いていたけど、大きくなったなぁ…」

「三回目ですよおじさん」

「あ、そう?」


父は、眼鏡の似合う柔和な雰囲気の男性。対して真鶴のおじさんは快活な印象の強い大きな男性だった。どちらがどちらの父だと聞かれたら、大多数が恐らくは。

果たして真鶴家ではそんな父娘がどの様な会話を繰り広げているのやら。知りたいような知りたくないような。


「あの子は口を開けばすぐに君のことしか話さんからなぁ」

「………」

「お父さん悲しいやら寂しいやら」

「…参考までにどの様な話を?」

「おっとっとすまんね」


やっぱり是非知りたい。そして、それを知るためにお酒というものは大変都合が良い。

お酌をしながら俺は体よく情報を聞き出そうとして


「ん?ああ、例えば君がとてもかっ」

「お父さん」

「「ひゅ…」」


思わず呼吸が止まる。俺達が座っていたソファーの後ろからぬるりと、向こうにいたはずの先輩が突如出現した。

彼女は笑顔でおじさんの肩に手を置くと、ゆっくりと耳元に顔を近づける。

距離が近づくにつれ、おじさんの顔は面白いくらいにどんどんと色を失っていき。


「ねぇお父さん。…おつまみ、いる?」

「あ…、ああ〜、ありがとう…」

「沢山食べていいわよ。…うっかり口が滑らなくなるくらい沢山、ね」

「へい…」


…地獄耳とはこういうことだろうか。

そして最後にもう一度肩を叩くと何事もなくソファーの後ろへと沈んでいく。

俺達が台所に視線を戻した時には、既に彼女は先ほどと変わらぬ姿でそこにいた。……え?


圧の強い笑顔のせいですっかり意気消沈してしまったおじさんは、ちびちびとおつまみをつまむだけのしょぼくれた生物と化してしまった。


「相変わらずだなぁ、凪沙ちゃんは」


一方で向かい側の父さんは、悠々と杯を傾けている。

一人蚊帳の外だったおかげか、余裕綽々のご様子。ご機嫌にほろほろ酔っていらっしゃるから気づかないのだろうか。


「そう言えば知っているかい?あの子こないだち」

「おじ様」

「ひっ」


既に奴が後ろに立っていることに。

ゆるりといきなり真横から綺麗な顔が出てきたその瞬間、恐らく当人にしか分からない恐怖があったことだろう。お子さんちびっちゃうよ。


「ねぇ、おじ様」

「う、うん…?」

「飲み過ぎじゃないかしら、お酒…?」

「そ、そうかな」

「ね?」

「そうかも、しれませんです…はい……」


そのままゆ〜っくりとまたソファーの後ろに彼女が沈んでいく。

俺達はすかさず台所を見る。いる。…………こっわぁ……。


「……ま、まぁともあれ、こういう日くらい一緒に仲良く過ごしたところで罰はあたらないだろう」

「………」


そうですね。もうあたりましたもんね。何事も無かったかの様に話を続けているけど、顔冷や汗だらっだらだもん。


「大好きな人達と食卓を囲むっていうのは、いいことだよ」


…分かっているとも。いや、最近になって散々分からされているというべきか。


「蓮も。寂しくなったら、いつでも連絡してくればいい。私達は君の家族であり、君は私達のかけがえのない息子なのだから」

「………」 


…成程。クリスマスがどうだのと、色々ご丁寧に準備していたようだけど、結局放蕩息子に伝えたかったことはこれなのだろう。 相も変わらず素直でない心は、正月に言えばいいのになんて思っちゃっているけれど。


一人で過ごす内に冷えていた心が熱を取り戻していく。

あの人がくれるものとはまた別の温もりが。


たったそれだけ。けれどそれだけが。

…こんなことを恥ずかしげもなく言ってしまえるのだから、どうしようもなくこの人を尊敬してしまうのだ。


「ああ、でも、最近はそんなに寂しくないのか」

「そうそう。どうやら随分と仲がよろしいようだしなぁ」

「別に、…そんな事はない、…んじゃないですかね」

「「はっはっは」」

「………あー酒くさい」


グラスに満たされたジュースを勢いよく呷る。

眦に滲んだそれが、少しでも誤魔化せます様にと願いながら。

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