聖夜の渚

第33話 二人の。二人で。

「蓮、これ。これとかどう?」

「いいんじゃないですか」


「蓮。これ。これは?」

「いいと思います」


「今ならなんとこちらもセットで」

「あ〜、いいっすねー」


「……可愛くない。すーちゃんと違って」

「ここで可愛くなる訳にはいかないんですよね」


なんせここは女性用下着売り場なんだから。

周りの視線一人占め。やばいよこれ、視線で殺されるっていうのはこういうことなんだね。それとも俺が気にしすぎなだけ?

これで俺がもしやーん可愛いー♡とか言ったらどうなると思います?視線だけでは済みませんことよ。


「もう、いいですかね」

「そうね。買う気ないし。別に」

「俺と店員さんに謝ってください」


店員さん、あんなにニコニコ笑顔だったのに一瞬引き攣ったよ。

素晴らしい素材が来てくれたって内心ウキウキだったんだろうね。


「でも服は見るわ。選んでね?ちゃんと」

「…俺が見る必要あります?」

「君が見ないでどうするの」


子を叱る様な顔で頬を指でぐりぐりされた。

…よく分からない。どうしてこうも女性の買い物というのは長いのだろう。されどいつの世も、ショッピングを楽しむ女性に男性は勝てることが出来ぬもの。

いつになく楽しそうなその背中に黙ってついていきながら、さり気なく周囲を見渡した。


世はまさに大クリスマス時代。きらびやかな飾り付けやライトが建物を照らす、幻想的な風景が目の前に広がっているのだった。

そして、そんな日に俺は彼女と歩いている。心なしか弾むような足取りで歩く彼女の顔はとても。


「蓮、興奮するのは分かるけど、異性の下着売り場を鼻息荒く物色するものではないわよ、あまり」

「違う」

「私だけにしておきなさい、そういうのは」

「違う!」






「これとこれとこれとこれ……あ、これもいいわね」

「お、おお、おおお……」


ひょいひょいひょいと、何とも軽妙に彼女が服を選びだしていく。コートにセーター、スカートと種類は果てなく節操なく。それなのに、一つたりともセンスの外れたものが無いのだから流石というべきか。

しかし、こんなもの全て持たされたら最早身動き不可能なまでに、征夷大将軍を容易く超越した重き荷を背負わされた可哀想な藤堂くんが誕生してしまう。誰かこの哀れな少年に救いの手を差し伸べてくれる人はいらっしゃらないでしょうか。


「…そんなに買って、どうするんですか」

「女の子ってそういうものよ」

「限度があります」

「ファイトよ男の子」


そこに人の心はあるんか。

とはいえ流石にやり過ぎたと感じたのか、最終的には候補はいくつかに絞っていただけた。俺の身体も随分と絞られた。この数時間で少し痩せた気がいたします。


「蓮、白と黒ならどっちがいい?」

「は?」

「どっち?」


突飛な問いかけに、思わず首を傾げずにはいられなかった。だって楽しそうな笑顔の彼女が手に持つコートは茶色と紺。今着ているコートは落ち着いたベージュ。

…これはどういうことだろうか。何かを試されているのだろうか。

…例えば、色の組み合わせとか?女性のファッションに男が口を挟むことなんて許されないと思うのだけど。俺はトップスとかボトムスとか言われてもピンと来ないからね正直。シャツとズボンって言って。


「し、白?」

「ふぅん…?」


俺が必死に頭の中でそれを着た彼女を想像して、良いと思った答えを絞り出したというのに、それに対して意外そうに先輩が目を丸くする。

これは果たして正解なのだろうかと様子を窺っていれば


「細いのと太いの、どっちがいい?」

「…はぁ?」


もう一度クエスチョン。

…細い?太い?何?女性の服ってそんなとこまで気にするの?どういう着眼点?


「ほ、細いの…?」

「へぇ……」


唇に指を添えて、意味深にニヤニヤとする彼女に、背筋に冷たい汗が流れるのを感じ取った。


「普通のと紐ならどっちがいい?」

「先輩」

「ん?」

「…これ服の話ですよね?」

「そうね。下着の話ね」

「その手に持ったコートは!?」

「関係ないけど。別に」


何事も無かったかのように先輩はコートを戻す。


「白の細め……白いTバックの紐、ということね。覚えておくわ」

「言ってないじゃん!紐だなんて!」

「紐って言った時、眉が反応したから」

「え、うそ…」

「嘘」

「………このっ…………」


このやろう。今の時代、女性からのセクハラも成立するんだからな。

だけど落ち着け。藤堂くんはいつまでもやられてばかりのお子ちゃまではない。

ここは一つ、KO必至のカウンターでも一撃決めてやらねば格好もつかないというもので。

俺は佇まいを正し、真正面から彼女を見据え、震えを必死に抑え込んで口を開く。


「………じゃ、…じゃあ、覚えておいたら…」

「うん?」


「ちゃんと穿いてきてくれるんですかね、なんて?」

「………」


顔が灼熱地獄になるのを必死に我慢したというのに、残念ながら、本当に残念ながら思ったリアクションは特に無かった。表情一つ変わらない。何より笑顔が何一つ動かないことが、何より恐い。そして笑顔のまま口元だけを動かした。


「やんセクハラ」

「………」


それは無しでしょ。無しでしょそれは。俺は出さなかったのにぃ。

クロスカウンターどころじゃないよ禁止カードだよ。今後一切出場禁止になっちゃうよ。泣きそう。恥ずかしさと情けなさで。


「冗談よ」

「へー……」


どこからどこまでだろう。叶うのなら、全て嘘でありますように。


「…楽しみね?」


そして無様にノックアウトされた相手に対して耳元にいらん追い打ちをかけられた。格ゲーだったら絶対に嫌われる行為。

もう心を無にするしかない。そして当然、その隙を放っておく真鶴ちゃんではないわけで。


「それはそれとして、君ね?次は」


何かを確かめるかのように、肩やら二の腕やらをぽんぽん触られる。

どうやら次の着せ替え人形は俺らしい。


「俺は別に…」

「駄目。君は黒以外を着なさい。たまには」

「………」


靴、黒。ズボン、黒。シャツ上着黒。夜中に出会いたくない人間No.1。それが私。

いいよね黒。とりあえず黒ければ万事解決してくれるんだもん。ガイアが俺に絶対に輝くなと囁いている。

そう、俺の部屋のタンスの中には深淵が広がっている。


「隣を歩く相手のことも考えなさい」

「えー」

「君がまっくろくろすけばかりだから私は明るい色で揃えているのに」

「……」


藤堂に衝撃奔る。その言葉はまさに青天の霹靂。思いもよらない言葉だった。

言われて漸く彼女を見る。よく見なくてもコートの下は白い首までのセーターと、ロングスカート含めて見事に寒色であった。そしてそれは少しでも俺の陰キャ値が和らげば、という彼女の目に見えない心遣い。


「何か」

「うん」

「…すみません」

「ん」


申し訳なさというかいたたまれなさからついつい頭を下げる。何故か待ってましたと言わんばかりに頭を撫でられたけれど、保護者みたいな、姉みたいなその優しさをはねのける気には、今は流石になれなかったのだった。












「…あら…もう、こんな時間…?」

「ですかね」


混雑を避けた遅めの昼食、そしてナギコレの出場者として散々に着せ替え人形の御身分を楽しみ、いつになく子どもの様にはしゃぐ彼女に手を引かれ続けていれば、気づけば空も色を変え始める時間帯。暗くなるのはすっかり早くなったものだけれど、そろそろ家に顔を出してもいい頃合いなのかもしれない。出したくねぇなあ。


「顔出したくねー」

「………」

「っていう顔ね」


思いの外露骨に態度に出していたらしい。

仕方ない子、とでも言いたげな先輩が俺の頬を手で挟み込んで揉みほぐす。冷たい。止めて。


「ふふ、変な顔。…行きましょう?蓮」

「ふぁい」


笑顔のままに、先輩が振り返り歩き始める。

その背中、荷物を持たない空いた片手につい視線がのびて、俺はそっと荷物を片手に寄せる。


そして


「あれ?真鶴先輩?」

「!」


すかさず伸ばしかけた手を元に戻した。

声がした方向を二人揃って振り向けば、そこには……そこには………誰だ。

覚えの無い女子が二人、そこに立っていた。


「やっぱり真鶴先輩だ!」

「偶然ですね~」

「………そうね」


人懐こそうな、おそらくは後輩を笑顔で出迎える先輩。けれど俺は見逃さなかった。

笑顔を浮かべてから口を開くまでに若干のラグがあったことを。…あれは多分、彼女も大して知らない人だな。


「もしかして、お買い物?お買い物ですか!?」

「えー先輩ってどんなもの買うんですか!?」

「あらあら」


凄いぐいぐいいくね。あれが噂に聞くおもしれー女って奴?

笑顔のままに、おもしれー圧に気圧された先輩が上体を反らす。


「あれ」


しまった。怒涛のラッシュで相手を逃さないおもしれー女が背後にうまいこと隠れていた俺を見つけてしまった。


「ん?」

「…どうも」

「お?」


おもしれー女がおもしれーものを見つけたかの様におもしれー笑顔を浮かばせる。


「先輩…もしかして」

「……」

「弟さんですか?」


おもしれー着眼点。いや、そうでもないですね。思わず、声にもならない溜息が漏れてしまう。


…やっぱり赤の他人の目からしたらそういうものなのかな。別に拗ねてる訳でもないし、傷ついた訳でもない。ただ、胸の内にモヤっとした何かが生まれただけ。それだけだ。


「どうかしら」


けれど先輩の笑顔は微塵も変わることなく。だからだろうか。俺も少しむっときてしまった。

そこは否定しましょうよ。何でぼやかすんですか。それは子どもの様な意地。馬鹿馬鹿しい。否定したいくせに、それは当の子どもの様なことそのものなのだから。


「へー…兄弟仲良いんですねー」

「あの」

「え」

「…別に俺弟じゃないです」


でも、そこだけははっきりとさせておきたかった。

それこそせめてもの男としての意地だったのかもしれない。


そして、それは予想外の結果を生み出すこととなってしまう。


「え、先輩、……もしかしてクリスマスデート?」

「…ぇー?……こんな地味な人と?」


…どういう意味じゃい。俺の言葉を聞くやいなやひそひそ話を始める二人。

…いや、ひそひそではないな。だって


「……ねぇ本当にそうなのかな……」

「……いや違うでしょ…だってどう見ても釣り合わないし…」

「だよね…何か…根暗っぽい?」


聞こえているし。それともわざと聞こえる様に話しているのか。どちらにしても良い趣味ではない。最早怒る気にはならなかった。せめてさっさとこの時間が終わればいいなと、そう思いながら天を仰いで、白い息を空の下へと吐き出せば、隣から土を踏む音が聞こえてくる。

とても晴れやかな笑顔の先輩が彼女達の前に立っていた。


「ねぇ、貴方達」

「あ、先輩」

「すみませーん…もしかして私達お邪魔でしたかー、なんて、…」




「そうね」

「「え」」




「邪魔だわ」




………………先輩?

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