第32話 日常告げる鐘の音

その鐘は黎明を告げる。


世界の夜明け。終わりの始まり。新たなる旅路の祝福。


誰がために鐘は鳴る。あの鐘を鳴らすのはあなた。






「終わった………」

「終わったあぁぁ………」


色々意味深に並び立ててみましたが、意味などもちろんございません。とりま生徒のために鐘は鳴る。

つまりはテストが終わった。俺の長きにわたる苦しみも終わりを迎えた。

教室のあちらこちらで、生徒は各々が反応を示している。

一人は清々しく。一人は死んだ目で。割合としては3:7といったところだろうか。今回は中々に手強かった。

そして前の席に座っていた7の方の悪友が、死にそうな顔でこちらをゆっくりと振り返ってくる。

僕はそれに気づかない振りをして鞄にさっさと荷物を詰め込んでおります。


「…藤堂、お前どうする?」

「帰る」

「即答!?」

「君、部活でしょ」

「テスト終わりくらい遊びたいのよ!」


残念。我学び舎に用は無し。急ぎ帰って床につけり。

なぁ遊ぼうぜ〜ねぇ遊ぼうぜ〜などと、謎の鳴き声を上げる怪生物に別れを告げて廊下へと。


けれどその前に。







「また、ここでしたか」

「……ん?」


あの日祭りに行く約束をした、人気の無い踊り場。彼女は再びそこにいた。

イヤホンを挿して、階段に気の抜けた様に座り込んで壁に寄りかかっていた先輩は、俺の姿を目にするとゆるゆると身体を起こす。


「あらどうしたの、藤堂くん」

「いや、どうしたというか…」


珍しいというか何と言うか、本当に不思議そうな顔をされて思わずこちらも戸惑ってしまう。

……どうした、か。確かにどうしてだろう。俺は何でテストからの解放という素晴らしい時間にわざわざ彼女を探していたんだろう。なんでだなんでだろう。古すぎ。

頭の中を必死に漁ったところで答えなんて出てこない。身体が自然とそれを選んでいたようないなかったような。


「…何か、顔見たくなって?」

「…お姉さん口説かれちゃってる?」

「口説かれちゃってない」


でもそれ以外に説明がつかないというか。

でもでもそんなこと素直に話すのも癪だし、何より気恥ずかしいし。ひねくれた俺のお口はいつも通り本心を奥底へと押し隠す。


「あー、ほら、あれですよ。テスト勉強のお礼、しなきゃなと思って」

「家で言えばいいじゃない」

「ぅ」


いつにも増してなんてことのない返答が返ってくる。仰る通り。俺の見苦しいその場しのぎはあっさりと。何だ。今日の先輩は中々手強いぞ。

…いや、そもそも家族でもない他人がいつも家にいるのは普通じゃないから、よく考えなくても。一緒に過ごすことがあまりに当たり前になりすぎて麻痺してしまっている。


「冗談よ」

「はぁ…」


にこりと。普段通りの微笑みを浮かばせると、先輩は自分の隣を優しくぽんぽんと手で叩く。今度は逆らう事なく俺も素直にそこに座り込む。


「どうだった?テスト」

「お陰様で」


手応えはあったと思う。いつもよりも、確実に。

俺の言葉を聞いて、先輩は笑みを深めた。嫌味などない、温かい微笑み。


「そ。ちゃんとお礼言いなさいね、すーちゃんにも」

「もち」

「ろんまで言う」

「勿論です」


勿論、妹には言う。あんな恥ずかしいコスプレまでして懇切丁寧に教えてくださったのだから。ただ一つ惜しむらくは生徒の出来が悪いこと。彼女はまこと優秀な教員でございました。兄として鼻が高く、兄として恥ずかしい。精進せい。


「………」


二人座り込んで、特に話すこともなく無為に流れる時間。時計もないこの空間ではどれだけ時間が流れたのかなど分かる訳もないが、流石に気まずくなって先輩の方をちらりと見ると、先輩は抱えた膝に顔を埋めて、何やらほんのり楽しそうにこちらを眺めていた。


「何ですか」

「んー?」

「………」


何やねん。そう言いたい気持ちを必死に抑え込んで、ならば負けじと俺も先輩を見つめ返す。美しく整ったご尊顔が、至近距離で実に楽しそうに俺を眺めている。

敗北条件はもちろんこの瞳から顔を背けること。ま、俺は見慣れてるから。余裕。


「…先輩」

「うん?」

「………クリスマス、どうします?」


決着は早いものだった。というか彼女に見つめられて照れずにいられる人間なんてこの世に存在するのだろうか。いやしない。負け惜しみとかではない、決して。

沸き起こる羞恥心を誤魔化す様に、天を仰いで必死に絞り出せたのは何ともつまらない話題。それでも彼女は嫌な顔一つ見せることなく付き合ってくれる。


「…家族で集まるのではないの?つるとふじファミリーで」


何か林檎みたいだな。


「別に朝から一日中って訳でもないでしょうに」

「そう?」


朝から顔見せるのもいいけど、一日中は少なくとも俺は嫌だ。多分あの人達はどうせ酒飲んで恥ずかしげもなくうぇいうぇいするのだろうし。お互いの父はそういうスイッチが身体の何処かに備え付けられているのだ。気づきにくいけど。とても厄介である。

そんなのに一日付き合わされるなどたまったものではない。藤堂くんの繊細なガラスハートが粉々に砕け散ってしまう。ストレスマッハで。


「どうせ町はクリスマス一色になるんでしょうし」

「そうね」

「適当に時間でも潰しましょうよ。二人で」


それで、午後だか夕方だかに顔を見せればいいだろう。決して怒られる様な事はないはずだ。多分。ああ、でも、すーちゃんは拗ねちゃいそうだから、何かでご機嫌をとらないとまずいかもしれない。


「………?」


そうして俺があれこれ考える中、彼女の反応がどうも薄い事にふと気づいて、そらしていた視線をまた戻してみれば、先輩は目をまん丸くしてこちらを見つめていた。


「どうしました?」

「ん。……いえ…」


話しかけられたことで己が停止していることに気づいたのか、先輩は居心地悪そうに身体を動かすと、何やら手首の辺りをもぞもぞと忙しなく弄っている。


「…君、気づいてる?」

「何にです?」


そんなにおかしなことを言った覚えもないのだけれど。

互いの視線が交錯し、再び訪れるにらめっこリベンジ。しかし今回の勝者は俺の方だった。先輩は俺を見て、前を見て、上を見て、と愉快な挙動を幾度か繰り返した後


「何ですか」

「…うん?」


突然、俺の頭を撫でてきた。気持ちきょとんとした顔のまま。…何故撫でる方が不思議そうな顔をしているのか。そして不思議そうなのに止めないのか。


「何と言うか」

「はい」

「…可愛くて?」

「可愛くなった覚えないんですが」

「自覚なく可愛くなれるなんて、流石ね」

「………」


無言で頭の上の手をのけた。俺はアイドルマスター目指した覚えなんて無い。

それとも俺が気づいていないだけだとしたら、目の前のこのプロデューサーはそうとうなやり手だろう。


手をはねのけられても少しも気分を害した様子の無いプロデューサーはにこにこ薄笑い。よし、楽しく話せたな。とか思われてそうで真に心外である。


そして


「そうね」


「ぶらりしましょうか」


「二人で、ね」


実際、見事にテンションアップしている現金でおめでたい己にも。







「さて」


何はともあれだ。


今日は地獄から解放された輝かしい日。学生は学生らしくお家に帰ろう、寄り道せずに。


「…先輩はこれからどうするんですか?」

「帰る」


即答。どっかで聞いたなこの台詞。どこだっけ。


「君の家に」

「??????????」


ん?おかしくないかな?俺の勘違いかな。

あまりに自然に紡がれた言葉に俺がいくら首を傾げていても、先輩は何一つ気にすることない様子で凝り固まった身体を伸ばしている。

腕を伸ばせば、厚着をしていても分かるスタイルの良さが殊更強調されて、とりあえずそんな自分を心の中でぶん殴る。


「頑張った子にはあげないとね。ご褒美」

「はぁ」

「作ってあげる。ご飯」

「…わーい?」

「わーい」


そんな不純な愚か者に気づかぬままにゆっくりと立ち上がると、先輩は振り返って手を差し出してくる。


「行きましょう?」


窓からちょうど差し込んだ逆行のせいでよく見えなかったけれど、その笑顔はいつもよりも楽しそうに感じたのは俺の都合のいい願望だろうか。


握り返した細い手は、外の寒さに反してとても温かかった。

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