第30話 私の在り処
まだ日も昇りきらない時間帯。私は眠る彼の顔を静かに見下ろしていた。
「………」
頭を撫でて、慎重に顔を隠す長い前髪をのける。顕になった精悍な顔立ち…とはちょこっと言い難い女の子みたいな中性的な顔立ちは、昔の面影を未だ存分に色濃く残している。
でも、残しているだけ。
あの頃とは違い、少し見ない内に彼は確実に強く成長していた。学校で私に会いに来ることがその証拠だろう。昔の彼だったら自分から動き出すことは無かったはずだ。人と仲良くなることに少々時間が必要な人見知りだから。
他人から見ればとても小さなことだけど、それでも私にとっては。
私のために勇気を出して動いてくれたことが嬉しくて、でもちょっぴり寂しくて。
だから、私は彼を求めてしまう。馬鹿みたいに、間抜けを演じ、体よく傍にいられる理由を探してしまう。もしかしたら彼はそんなもの必要無いって言うかもしれないけれど。
でも、それしか分からないのだ。私が彼の傍にいていい方法なんて。
「………」
カーテンに差し込む光が強くなった。お日様が顔を覗かせる時間ということ。そして無事に晴れてくれたということ。
最後にもう一度頭を撫でて、私はゆっくりと立ち上がる。
「またね」
「朝帰り。新鮮ね」
夜勤明けなのだろうか。すれ違ったスーツ姿の男性が一瞬ぎょっとした表情をしたのが見えてしまって、何ともぎこちない愛想笑いと共に、失礼いたしましたの意を込めて、私は頭を下げるのだった。
■
学生の一日の終わりを告げる鐘の音を何処か他人事の様に聞きながら、私は手につけたシンプルな腕時計をさりげない風を装って撫でていた。
それは最早、毎日のルーティン。シンプルかつ大人らしく落ち着いたデザインは、私の好みに大変よく合っている。彼はそんなこと露と知らずに贈ったのだろうけど。何なら、奇抜なデザインが好きだと思っている節が少なからずあるけど。
まあ、百歩譲ってそれは私の自業自得と言えなくもないだろう。
「………」
…時計。時計、か。異性に腕時計を送る意味って諸説あるけれど、果たして彼は何を思ってこれを選んでくれたのだろうか。いつか、それを聞ける日が来るのだろうか。
「(……ふふ…………)」
無意識にニヤけ始める口をぎゅっと引き締め、外を眺める。よく晴れた青空は何とも気持ちがいい。きっとこういう日は皆、外で遊び回るのが鉄板なのだろう。
私は他所用の笑みを顔に貼り付けながら、頬杖を付いた。
ああ。
………帰りたくない。
理由は一つ。寒いから。寒い。寒い寒い寒い。教室出たくない、コート脱げない。暖房最高。
私がアンニュイな微笑みの裏で必死に震えを堪えていることなど、クラスメイトは知る由もないだろう。知られるつもりもないが。
何で私スカートなんて履いてるんだろう。物語の女の子って何で頑なにミニスカなんだろう。もう、素直に股引とか履いていいと思う。いいじゃない股引系ヒロイン。
私がその先駆けとなってみようかな。ももひきメモリアル。ふふ、面白そう。
もも色思考はどんどん明後日の方向へと。
私がアンニュイな微笑みの裏でバカウケしていることなど、クラスメイトは知る由もないだろう。知られるつもりも全くないが。
「ね、凪沙」
「………………」
「凪沙?」
「あら、ぎば、燕さん。どうかした?」
あまりに普通に声をかけられたから、つい反応が遅れてしまった。
あくまで自然体を装って横を見れば、数少ない真っ当な私の知り合い、スポーティな雰囲気が印象的なクラスメイトの燕さん(私の心の中では勝手な親しみを込めてつばちゃん)が不思議そうな顔で私を見つめている。
私に声をかけてくる人というのは決まって、どこかしら身構えている部分があるものだけど、彼女は私に普通に接する数少ない人間である。良く言えば誰にでも別け隔てなく、…敢えて悪く言えば、目茶苦茶マイペースともいえる様な、そんな子である。
「ぎば?…ごめんね、凪沙、今急いでた?」
「?そんなことはないけれど」
申し訳なさそうに頭を垂れる彼女の姿に思わず面食らってしまう。そんな風に見えていたのか。急いでいる、というより寧ろ帰りたくなかったくらいなのだけれど。
そんな誤解を受ける様な要因がどこかにあっただろうか。
「だって、さっきからずっとチラチラ時計みてるし」
「………」
思いもよらない言葉に、静かに目を伏せた。
…ふむ、そんなつもりは全然全くこれっぽっちも無かったのだが、そう思われる程度には、私は彼の贈り物に存外心躍っていたらしい。これからは重々気をつけなければ。口に続いて緩みきった心をぎゅぎゅっと引き締める。
「…気にしないで。…何か私にご用?」
「あ、そうそう。今度さ、仲の良い皆でクリスマスパーティしようぜいって話があるんだけど良かったらっ、て」
「…クリスマス、パーティ……?」
またまた予想外な彼女のその言葉に、ここが教室だということも忘れて思わず目を瞬かせてしまう。
まさか、私がクラスメイトにそんな催しに誘われる日が来るだなんて。そう思ったことは特段驚くことでもないだろう。いくらつばちゃんといえど、これまでは私と他との間には見えにくいけれど確かな距離が存在していたはずなのに。それが意識的だろうと無意識だろうと。
まあ、別にいい。心が冷えていくのが自分でも感じ取れたけど、それも別にどうでもいい。
「あ、…やっぱり、嫌?」
「いえ、そうじゃないわ、そうじゃないの、だけれど、少し驚いて」
「うん?」
「…どうして、私を?」
今はただ、それに尽きる。
「あー、いや、ほら、凪沙、最近よく可愛らしい後輩くんと一緒に楽しそうにご飯食べたりしてるじゃない?それ見てたらさ、誘えば案外普通に来てくれたりするんじゃないかなーって」
「………」
「…いや、これも失礼だよね。ごめん」
最近、あの子と学園でよく一緒にいるから。たったそれだけで?…そういう、ものなのだろうか。
誰もが皆、今まで私のことを明らかに自分とは違うものを見る目で見ていたくせに。
頭の中に溜め込んでいた泥々とした黒い何かが、心の隙間から沸々と表に滲み出ようとする。それにあくまで悟られぬ様に勢いよく蓋をすると、私は再び笑顔を作る。
誘われたことが嬉しくないだなんて、そんなことは決して無いのだから。
無いのだけれど。
「ごめんなさい、クリスマスは、……ちょっと、ね」
「…あ、やっぱり…?」
それでも、今年はあの子とまた過ごす様になって久しぶりのクリスマス。最初くらいは、彼と過ごしたいな、だなんて、年頃の普通の女の子の様な願いが、私の奥底には確かに存在していた。
まだ、彼の予定も確認していないくせにお前は何を言っているんだ、と思われるかもしれないが、それは私のなけなしの乙女心的な何かと思って広い心で流してほしい。
「でも、誘ってくれたのは本当に嬉しいの、だから、」
「うん。あ、なら、また何か機会があったら誘うねー」
「……ぁ………」
「じゃ、またね。凪沙ー」
「………え、ええ」
年頃の学生として、普通のクラスメイトとして当たり前の、何気ない、今度の約束。
自分がその立場に置かれたことがあまり現実味が無くて、子供の様に小さく手を振って見送ることしか出来なくて。
少し前、あの子との会話が何となく頭を過った。
いつか、普通の友達として、気兼ねなく遊びに行けるように──
「………なれるのかな、蓮」
普通に買い物して、馬鹿みたいにはしゃいで、レストランでくだらなく駄弁って、カラオケではっちゃける。あの狭い町の中ではなく、外で。『私』を知らない皆と共に。
それはとても楽しみで、けれども、少し怖くて。
相反する感情がぐるぐるとないまぜになって頭の中を駆け巡る。
失敗したらどうしよう。『私』を受け入れてもらえなかったらどうしよう。否定されたら。
なら、最初から演じていればいい。求められているのは私じゃないのだから。
幾重にも積み重ねられた『真鶴凪沙』の中に、彼女の言葉を信じる私がいないことに愕然とする。
…気づかぬ内に、それ程までに私は歪んでしまっていたのか。
いや。だとしても、それでも
「……私には藤堂くんがいる……」
どれだけ打ちひしがれようと、私にはそれだけが。
あの子さえいれば、大丈夫。私はまだ私でいられる。…でも、あの子は?
「……………蓮がいる……………」
自分の奥底に微かに、けれど確かに存在するその歪みから目を逸らす様に、乱暴に荷物を詰め込むと私は教室を後にする。
いつの間にか身体は、外の気温など気にならないくらいに心の底まで温度を失っていた。
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