第25話 雪解けはまだ遠く

「げっほ」


また風邪を引きました。


別に使い勝手のいい便利な導入だからとかそういうつもりは全くなくて、シンプルにちょっと熱を出しました。

唯一の救いは前回程の重症とまではいかずに済んだことだろうか。身体を動かすこと分には大きな支障も無い。

机の上に無造作に投げ出された携帯を手に取り、電源を入れる。便利な機能がふんだんに盛り込まれているというのにその大半が日の目を見ることの無い哀れな端末の画面には、先程までのやり取りしていた相手の名前が映し出されていた。


『と、言うわけで今日は来ないでください』

『ふり?』

『来ないでください』

『ごめんね。今、ナース服洗濯しているの。スクール水着エプロンとメイド服どっちがい』

『こないでください』


こちら、件の問題児と先程交わしたしょうもなさすぎる通話の履歴となります。私は三度目の『こないでください』の『さい』まで言い切った瞬間即切りしました。

聡い彼女のことですから、多分、来ることは無いと思います。


…身体は動こうとも、動かすかどうかは己の意思に委ねられている。そしてその意志は、早く寝ようぜアミーゴ。と強く主張をしている訳で。大人しく自室に引っ込もうとしたその時






ピンポーン。






…何でや。ふりやない言うたでしょうが。

けれどもけれども。呆れ返る心とは裏腹に、その奥底には確かに嬉しさが込み上げて来るのも確か。

だけれど、人間甘やかされては駄目になってしまうもので。

ここはね、揺るぎない覚悟を持って毅然とあの人を説得せねばならないと。


「だから来なくていいって…」


そう思って扉を開けたのだけど。




「…風邪引いたの?」

「………」




翠。


いや、


違う。


翠によく似た、いや、翠が似ているのか。

そして真に不本意ながら、自分も。

あの子が何かを踏み外すことなく真っ直ぐに成長したならば、きっとこの様に大人びた雰囲気を醸し出すのだろう。


跳ね一つ無い髪を後ろでくくり、パリっとしたスーツを着こなした女性。

それなりの立場にある父を、日々手となり足となりサポートしているバリバリのキャリアウーマン


「とりあえず、あがってもいい?」


翠の母親・藤堂泉がそこに立っていた。







「綺麗に片付いているわね」

「…………」


ゴミ一つ落ちていないリビングを見回して、感心感心、とでも言いたげに腕を組んで頷く彼女。

その言葉につられる様に自分も扉から目線だけを動かして改めて部屋を見る。…本当に生活感無い部屋だな。牢屋か何か?ってくらい物が無い。必要最低限という言葉はこの部屋のためにあるって思うくらいに。まあ、自室にはゲーム機あるから。辛うじて。


「いえ、物が無いだけかしら」

「…………」


自分で言っていて彼女も気付いたのだろう。年頃の男子高校生としてはあまりに異質な殺風景なその光景が、如何に異常であるか。

振り返る表情は何とも訝しげである。…そして仮にも母親の称号を戴くにしては若く整ったご尊顔様は本当に翠そっくりだ。そして、大人らしい落ち着いた物腰と言葉遣いはあの人に。

きっと、彼女にとっての理想の大人はこの人なのだろう。…嫌になる。自分の中の二人まで侵食されてしまう様で。どろどろと濁りゆく心中とは裏腹に、頭は何処までも冷え切っていた。


「仕送り、使ってないの?」

「必要な分はその都度ありがたく使わせていただいていますよ」


それ以外、自分の娯楽については自分で稼いだ分しか使ってないけど。


「で。何の御用でしょうか」

「近くまで来たから少し様子を見に来ただけよ」

「連絡は父と翠にしているはずです」

「二人は貴方を甘やかすから」


妹に甘やかされるお兄ちゃんという認識を持たれているのは甚だ不本意だったけれど、余計な口は挟まない。どうせ勝てないことなんて分かっているし、そも同じ土俵に立つ気なんてさらさらないのだから。


「そうですか。では満足したならもうよろしいですか?」

「………」

「しんどいので休みたいんですけど」


言外にとっとと帰れという含みを持たせて、態度としては含むこともせず堂々と全体で表現する。そんなアホみたいなことをする失礼なクソガキのことは彼女も重々承知しているそうで。困ったような見守るような、…何か言いたげな様な、諸々の感情を滲ませた微笑みを見せている。


「分かっているわ。けど、せめて食事くらいは作らせて」

「………」

「しんどいのでしょう?自分で言ったわよね」


先の言葉を逆手に取られたことに心の中で舌打ちをして、『どうぞご勝手に。』という意思を込めて背を向けたまま手を振ると、自分はさっさと部屋に引っ込んだ。

突然鳴り響いた大きな音に、はっと意識が覚醒する。無意識に扉を荒々しく閉めてしまったのだと気づき、即座に後悔した。物に当たって音で威嚇するだなどと、人として最低な行為だ。ましてや相手は。




「………ああ、くそ」


乱れたままの布団を適当に被ると、勢いよくベッドに沈み込む。そしてすかさずシーツを頭まで引き上げて、顔を押し付けることで声にならない叫びを必死に堪える。


ああ、イライラする。臆面もなく母親面するあの人も。いつまでも拗ねたままの子供の様な自分にも。


けれど何よりイライラするのは、あの人がそんな自分を少しも怒ってくれないこと。怒ろうとしないこと。


「…はっ」


…乾いた笑いが漏れる。お前は一体何を言っているのかと。

勝手に傷ついて、勝手に拒絶して。挙げ句の果てには、そんな自分をもっと構ってください?

正真正銘のガキではないか。こうして一人暮らしさせてもらっているだけでも贅沢なのに。


「…寝ろ」


寝てしまえ。そうすればとりあえずこの場は凌げるのだから。

戸締まりなんて後で確認すればいい。セキュリティについては大分力の入った建物なのだから。

熱のせいかストレスのせいか、頭は徐々にぐるぐると。

込み上げてきた吐き気やら頭痛を必死に堪えて、ただひたすらに頭の中を空っぽに。

夢も見る必要は無い。今という時間がただ過ぎてくれればいい。それだけが望みだ。


いや。


どうせなら、夢の中であの人に逢いたいかな。それなら少しは気が紛れるから。

声なき声で求められる救いの声に応える様に、意識は揺蕩うように深層へとゆっくりと沈み込んでいく。


そう、結局自分は何も成長出来てなどいないのだ。












「……………」


目が、覚めた。


望み通り、睡魔はやってきてくれたようだ。何ともありがたい。

彼女は出てきてくれなかったけど。彼女というか、夢も。

外は寝る前とは明らかに違う。それなりに時間は経っているようだった。


ゆっくりと起き上がると足音を殺して、扉の外の気配を探る。

人気は…無い。そもそも、あの人は日々忙しいはず。そうそう寛げる時間なんて有りはしない。…その貴重な時間を何故、こんな無駄なことに費やしたのかは知らないが。


「………」


扉を静かに開いて、リビングにそっと足を踏み入れる。

予想通り、もう誰もいない。

殺風景という言葉を体現したいつもと変わらない地味な部屋。 

ただ一つ異なるのは、机の上に置かれたラップのかかったおかゆ。


『起きたなら、ち


添えてあった書き置きはろくに読まずに握りしめてさっさと捨てた。

少々乱暴に椅子を引くと、傍若無人に座り込む。頭が痛いことも理由の一つではあるが、とにかくストレスが半端じゃなかった。


「………」


テーブルに足でも乗っけてやろうかと思いながら目を向ければ、置いてあるおかゆのまあ、美味しそうなこと。ただ雑にぶち込むだけではない、有り合わせの物の中で何とか工夫された一品。

あの人は昔から料理が上手かったからな。翠も父も笑顔でお代わりして。


自分もかつてはそうだったのに。


「……………!」


立ち上がり、器を掴んで中身を全てシンクに勢いよくぶちまけ




かけて






あの人の言葉が脳裏を過ぎった。

あの夜の渚で、自分を優しく包み込みながら投げかけられたあの言葉が。




ー貴方は愛されている。分かるわね?それはー




貴重な時間を何故こんな無駄なことに。違う、ただ顔を見たかったから来たんだ。

おかゆは美味しそうに。短い限られた時間でこんなにも手の込んだ料理を作ってくれたんだ。


「………っ分かってるよ………」


渋々、本当に渋々だけど、ラップを外して作ってくれたおかゆを口に運ぶ。まだ仄かに温かい。けれどもどんなに温かくたって、きっとかつての団欒、遥か遠く手の届かなくなったその温もりには遠く及ばない。何もかもが変わってしまったのだから。


いや。一つだけ


「…変わってないや」


材料なんてろくに揃えていなかったはずなのに。

それでもその昔と変わらぬ家庭の味が、醜く溜まった澱みを浄化していく。


「美味し………」


こんな面倒くさいことになったのも、それもこれも全部風邪のせいだ。

心はひどく落ち着いているのに、不思議と無性に泣きたくなる。そんな時間だった。











「……ああ、そう言えば書き置き……」


『蓮へ。起きたなら横着せずにちゃんとレンジでチンして温めてから食べること。


…物は何にも無い割に、食器だけは二人分やけに使われた形跡がありましたね。

もし困ったことがあるようならお父さんに早めに相談してください。




PS.ゴムは付けなさい。』




「…………………………」




「…………………ぁ゙ぁ゙ぁ゙………」


こんな面倒くさいことになったのも、それもこれも全部あの人のせいだ。

心は酷くざわつき、不思議でも何でもなくただただ叫びたくなる、そんな時間だった。

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