第24話 何でもない日にこんにちは

始まりの文章をやめた?弱音を吐いては駄目よ、全く。継続こそが力なのだから。

なら、今回は私が書いておくから。


我が学自慢の恋人・真鶴凪沙は正に良妻賢母の鑑と言える。

炊事洗濯は当然のこと、果ては夜の伽まで。毎日、常と変わらぬ微笑みで全てを完璧にこなしてみせるその姿に何度惚れ直したことだろう。

自分の汚い下心すら包み込む聖母の如き深い慈愛。それを感じとる度に、この人と一緒になれてよかったと、心から思うのだ。


凪沙最高。凪沙愛してる。ナギナギイズフォーエバーマイあちょっと何するの藤堂くんああん強引亭主関ぱk







「凪沙…俺…」


ぎしりと、ベッドが軋む音を鳴らしながら、蓮が少しずつ、少しずつ距離を詰めてくる。

大きく成長した手が私の頬へと添えられ、最早どちらのものかも判別出来ないあまりの熱さに、小さく私の肩が跳ねる。私と彼、互いに潤んだ瞳が交差し、ゆっくりと、ゆっくりと。


「うん。……来て…?」


彼の唇が、焦がれてやまなかった温もりが、私を包み込む。臍下が酷く疼いて身体がどうしようもなく彼を求めてしまう。

手足を絡めて、少しの隙間すら許さない様に強く強くその身体を掻き抱いて、その毛むくじゃらの感触を思う存分


………。


………毛むくじゃら?






───。


「な〜」

「……………」


何かが顔の上にのしかかっている感触。息が出来ない。


「な〜ん」

「…ぉ゙ぉ゙、ぉ゙ぉ゙ぃ゙あ゙。ぉ゙ぃて。い゙あすぅ゙」


死ぬ。これは。まずい。意識が。

藻掻くようにがっと、藁にも縋る思いで何とか顔の上の柔らかな何かを掴み取って、勢いよく身体を起こした。

眼の前には整った毛並みが美しい白猫。何を考えているのかは分からないが、どうやら私を起こしにくる役目を申し付けられたらしい。だとしても永遠に眠らされるところだったけど。


「…な〜」

「…ろーたす…、……ロロ。私を殺す気?」

「なー」

「そ。良い度胸ね。喜びなさい。今日の朝は安物よ」

「なー!?」


意地悪じゃない、別に。ただこの子太ったなって、そう思っただけ。だから意地悪じゃない。

いつも気の向くままに脱走して町中を流離うものだから、皆がこぞって食べ物を与えてしまうのだ。そしてそれに味を占めた結果がこの悲惨な惨状。呪うのなら己の怠惰を呪いなさい。


「〜〜〜〜!!」


それにしてもああ、なんて惜しいことをしたんだろう。もう少し、後五分あれば私はきっと天にも登る気持ちで朝を迎えられたというのに。

先日のあの子の真っ赤な顔を思い出して、乱れた布団を力の限り抱きしめると、私はベッドの上をのたうち回る。他人には絶対に見せられない光景だろう。


ああ、可愛かった。本当に。

あの夜からもう何日も経ったというのに未だ熱は冷めやらない。

あの子のあの勇気を振り絞る顔。あれだけでもう3日は戦えると思う。誰と?知らない。


布団に顔を埋めたまま停止する私の横から、何やら呆れた視線を感じるけれど気にしない。別に。私は彼とデートしたのだから。だからいつの間にかあの子と目茶苦茶仲良しになってたことなんて気にならない。勝ち。私の。負け。貴方の。


祭りを終えたとしてもだ。何はともあれ、これから色々と考えることは多い。ファッション。勝負下着。メイク。勝負下着。ヘアセット。勝負下着等。


「おほん」


…さて、今日も今日とて模範的なつまらない学生生活が始まる訳だけど。


「に゙ゃ」


布団を剥ぎ取り、勢いよく起き上がる。跳ね除けられた毛布の下敷きにされた誰かの小さな悲鳴が聞こえた気がするけど気にしない。

今日はあの子に会えるかな、なんて考えながら勇ましく一歩を踏み出して、そして停止。


「………」


…その前に下着は替えておいた方がいいかもしれない。特に理由は無いけど。全然無いけれど。












─そして、俺はそこにやってきていた。

…上級生の教室というのは、何でこうも恐ろしいのだろう。それとも社会に出れば、年の差なんて誤差だと思えるようになるのだろうか。

渋川先生だったら、きっと最初からたどり着けなかったりするんだろうな。


ちらちらと周りから感じる、不審な下級生を舐め回すように観察する不躾な視線。

膝ががくがくと震えそうだけど、なけなしの気合を振り絞って何とかした。


何の変哲もないはずなのに、鋼の様に重い扉を開ければ、中からも一斉に。


一番近くにいた、明るそうなスポーティな雰囲気の女の子先輩にターゲットを絞り、ロックオン。それ以外を視界に入れるな。死ぬぞ。男は特に。


「あの」

「うん?あれ、君………う〜ん?」


スポーティ先輩(仮)は顎に手をあてて何やら自分をまじまじと見つめてきたけれど、陰の者たる自分は決して目を合わさず、さりとて失礼のない絶妙なラインを図りながら震える喉を酷使する。




「…凪沙先輩、います?」







「驚いたわ。少し」

「………」


後ろ手にポーチを持って、足取り軽やかに廊下を歩く彼女の後をついていく。

まだ頭の中がグルグルして、足元がフラフラするけどどうにかこうにか誤魔化せているようだ。


「まさか君からお昼に誘ってくれるなんてね?嬉しい」


緊張で色々吐きそうになりましたけどね。

皆大好き高嶺の花を呼びつけた謎の下級生に一斉に襲い掛かる好奇の視線。

無論、皆が皆、好意的な訳もなく。


「…変えましょうか。場所」

「え、いや」


温度を失った瞳で、緩やかに辺りを見回すと彼女は言う。

…でも俺学食なんですけど。飛び出しかけた言葉は、彼女の人差し指に止められる。

蠱惑的に微笑む彼女は、何とも楽しそうに


「…大丈夫よ」


一人ぼっちで震える少年の心を奮わせるのだった。







「はい、どーぞ」

「おお…」


人の気配の無い、というか本来立ち入りが禁止されている屋上の片隅で、二人仲良く座り込んで彼女が手渡してきたお弁当を広げる。

色とりどりに彩られたお弁当は、学食にも決して引けを取らない。さぞかし栄養も満点なのだろう。


「よく入り方分かりましたね」


何故入れたのか。彼女が何やら扉をガチャガチャしたと思ったらあっさりと。後ろからでは何も分からなかったけれども。


「悪い先輩がいたのよ」


そう言って、指を立てると悪戯っぽく彼女は笑う。

…月城先輩のことだろうか。いや、彼女は破天荒なところはあるがルールを逸脱する真似はしないはずだ。…多分。


「そ、れ、よ、り、も」

「はい?」


嬉しそうに、なおかつ楽しそうに先輩はお弁当に手を伸ばすと


「はい、あーん」

「……」

「リベンジってやつね。この間の」


いつかの食堂のように、卵焼きを差し出してきた。

あの頃の張り付けた微笑みとは違う、何処か幼い笑顔。それはきっと、人の目が無いからだけではなく。


「あーーーーーん」

「いや、その」


まあ、有ろうが無かろうが俺が恥ずかしいという事実は変わらないんですけどね。

諦めることなく卵焼きを差し出し……顔面に擦り付けてくる先輩。

やめ、やめてよ。箸刺さってるから。不屈の精神にも程があるでしょうよ。


「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

「はべる、はべあうああ」

「はい、ぱく」


ぱくり。美味しい。

いつだって彼女の料理は美味しい。昔はそれ一言だけしか出てこなかったものだけども。


「美味しい?」

「美味しい、です」

「からの?」

「………」


ただ、こう、もっと謙虚というか慎み的なものはないものですかねと。

この間、風邪をひいてしまった時のことを思い出す。看病(無許可)のために汗水垂らして作ってくれたおかゆ。勿論、美味しかった。そして何より、小さい頃は気づかなかった、自分のために心を込めて作ってくれたという、その事実が


「なんか」

「うん」

「…嬉しい」

「うん」


こうして二人で、何も深く考えることもなく、ただ平和に食事をとれることが。


抱えた膝に頭を埋めて、横からじっと覗き込んでくる彼女の口角がにー…っと上がっていく。皆さんご覧ください、あっという間に嫌らしい笑顔の出来上がり。お手軽簡単レシピですね。明日からどうぞ。


「ふふ、可愛い」

「可愛いで売ってないんですけどね」


そして頭をまた撫でで。…別にいいんですけど。


二人揃って空を仰ぐ。何処までも長閑な一時。流れる風は火照った顔に何とも心地よくて、自然と笑みが溢れてしまう。

ちらりと隣に目を向ければ、俺と同じように微笑んでいる彼女。不思議と清々しそうなその微笑みが心を離さなかった。


「私ね」

「はい」

「今日、無性に会いたかった。君に」

「………ぉ……」


蕩ける様な笑顔で彼女は笑う。

…おう、熱烈ですね。とかツッコんでいいんだろうか。

いやいや、そんな雰囲気じゃない。彼女が醸し出すのはもっと、こう、一仕事終えた後のやり切った爽やかな清涼感溢れるそんな


「何と言うか」

「はい」

「ムラムラして」

「はい?」


はい??????????


「…蓮、あの、ちょっとだけ触ってもいいかしら」

「…………」

「先っちょだけだから。しないから、それ以上は」


可愛らしく指を組み替えながら、欠片も可愛らしくないことを君は言う。


…一仕事終えたって、賢者タイム的なこと?

よし、逃げよう。無言で立ち上がり、扉へと早足で歩を進める。何故か彼女は追ってこない。すかさず扉に手をかけて



手を、……かけて。




「……開かない」

「ざーんねん。コツがいるのよ」




直ぐ真後ろから声が響いてきた。

ホラー映画を散々見てきたはずの身体が一瞬で総毛立つ。恐らくはBGMが止まるシーン。恐怖に身を置く感覚っていうのは、文字通りこんなにも恐ろしいものだったのかと。 改めてあのゴーストバスターの凄さを実感する。てなわけで助けて吉三様。


「大丈夫よ。天井のシミ数えてる間に終わらせるから」

「天井ねえんですよ」


足を掬われ、気づけばいつの間にやら床に組み敷かれていて。

馬乗りになって鼻息荒く首元を緩める先輩は、こんな状況じゃなければさぞ胸が高鳴るはずなのに。


人の苦労も知らずに見下ろしてくれる、何処までも清々しかったはずの青空は、今となっては何処までも忌々しく。


「なら、雲の数でも数えてなさい」

「…お、」

「お?」




「俺こんな空嫌だぁ!!!!」




雲一つ無い青空に、俺の魂の叫びだけが虚しく木霊していた。

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