第22話 けだものだもの

「…猫、好き?」

「はい!」

「…そ」


それはある日のこと、例の如く彼女が部屋に遠慮なく上がり込んできたいつもの日常。ただ一つだけ、いつもと違ったのは彼女の背中に白い塊がへばりついていたことだろうか。

出迎えた時、ついにぴょこんと猫耳を生やしたのかと錯覚して一瞬、言葉を失ったのだが、その耳は俺と顔を合わせるなりすぐ消失した。


「な〜ん」


代わりに飛び込んできたのは白い毛玉。するすると器用に彼女の身体から飛び降りると、すかさず我が腕へと飛び込んできた。

そして、まるで『送ってくれてありがとさん』とでも言いたげに彼女の方を見て一鳴き。その瞬間の先輩の笑顔といったらもう、ね。何かぴきって聞こえた気がしたけど、そんな事ある訳無いよね。


果たして、二人の間にどのような確執があるのかは知らないけれど、可愛いものは可愛い。可愛いは正義。深く考えることなく部屋に迎え入れて、その後自分を放ってずうっと仲良く戯れる我らを見ての彼女の台詞が最初の一言だった。


「可愛いですっ」

「……………ふぅん……………」

「おー、…わー…柔らかい…」


本来、自分の体を触られることなんて煩わしいに決まっているのに、ロロはもっと撫でてと云わんばかりに、ごろごろと柔らかな体を擦り寄せてくる。…た、たまらないぜ。

見てください。なんとね、肉球を触っても全然怒らないんですよ。無料でふにれちまうんだ。天国はここにあったんですね。


「藤堂くん」

「うふふ」

「蓮」

「あはは」

「………」


よ〜し、よしよし。ここか。ここがええのんか。何で小動物ってこんなに可愛いんだろう。さらにはその可愛いの権化が進んで身を預けてくれるんだから、こんなものこちらもモフらなければ無作法というもの。

巷では猫吸いなる外法があるらしいですけど、いいのか。やっていいのか。いや流石にそこまでするわけにはいかない、他所の猫に。私達まだお互い知り合ったばかりじゃない駄目よそんな事


「ん?」


そうして、俺の秘められたハンドテクが目覚めてしまったのか、腕の中であまりの心地よさにウトウトし始めてしまった小さな白猫の姿に心の中でひたすら葛藤していたら、ふわりと。後ろから柔らかな何かに抱き締められた。

…何かというか


「………先輩?」

「……んー?」


頭の上から、少し低めの声が響いてくる。

ロロを抱く俺を抱く先輩という謎のフォーメーション。突然の出来事に面食らうも、腕の中の天使を起こしてしまう訳にもいかず、下手に身じろぎすることも出来ない。

ぎゅ。更に強く、先輩は胸に俺を抱え込む。


「あの」

「ああ、いいわよ。気にしないで」


髪の毛に押し付けられる柔らかな感触。そして聞こえてくる深呼吸。…まさか、猫吸いならぬ人吸いしてるとでも言うのだろうか。

そして後ろから回された手は、何やら不穏な動きでこちらの脇腹の辺りを這いずり始める。……え?


「ちょ」

「どーぞその子と乳繰り合ってなさい。存分に」

「え」

「私は私で楽しむから」


這いずり回る細い指がシャツをかき分け、ゆっくりと中へと侵入してくる気配を感じ、いよいよ身体が警告を発し始める。

人の身体をねっとりと撫で回す、かつて味わったことの無い妙な感覚。それはまるで、開けてはいけない扉を開いてしまうのではないかという、そんな底知れない境地へと自分をゆっくりと、しかし確実に誘っていく。


「…鍛えてる?意外と」

「………」


時間は有り余っていますから。…じゃなくて。


「あら…どうかした?」

「いや、…っ」

「ん…荒いわ…息が…」


頼むから…そんな近くで囁かないでほしい。彼女の大人びた落ち着いた声と相まって何やら変な気分になってしまうというか。

気分を良くしたのか、服の中の指の動きが激しさを増したのがはっきりと分かった。


「…ふふ…いいのよ?…お姉さんに全部委ねても……」

「っ……」


耳元に熱い吐息をかけられる。たったそれだけで情けなくびくびくと身体が震えてしまう。

思わず出てしまった女の子の様な反応。耳まで赤くする自分を見たのか、這い回る指が確かに歓喜に打ち震えたのが感じ取れた。


「あむ…」

「!?」


終いには耳を喰まれ、これはマズいと確信する。具体的には年齢制限的な意味で。

こんなことをするためにあの夜があった訳では絶対に無いのに。遠慮が無くなったこの人の攻めは凄まじすぎる。

だがそんなもの、彼女にはもちろんお構いない訳で。


「…ふふ……れーん……っ」


抵抗虚しく行為はどんどんエスカレートする。耳に届いてきた淫猥な水音。熱い熱い吐息と共に、指はどんどんと這い上がってくる。僅かな躊躇いと共に伸ばされた手はとうとう自分の




「なー!!!」

「お゙」




その瞬間だった。


勇猛な雄たけびと共に騎士が魔女に飛び掛かる。不意をつかれた魔女はたまらず身体を離し、ついには無事に魔女を引き剥がすことに成功した。

その真白く輝く御姿は、正に来たれリ救世主。


「ろ、ロロ……いや、ロロさん!!」

「……い゙い゙お゙お゙あ゙っあ゙お゙い゙」


白猫を顔面にへばりつかせたまま、大いに不満気な謎の言語を発する魔女。

ロロは怒り冷めやらぬという様子で、てしてしと肉球で彼女の頭を叩いている。


「あ゙あ゙っあ゙。あ゙んえ゙え゙い゙え゙ぅ゙。お゙お゙、あ゙え゙え゙」


観念したかのように、魔女が両手を上げる。それを見届け、漸くお怒りを収めたロロ様は大股で歩いてくると、ご機嫌斜めに再びこちらの懐へと収まった。


………。


「…貴方も貴方よね」

「………」


しかし冷えに冷え切った瞳に貫かれ、ロロは無言でゆっくりと降りると、すぐさま部屋の隅で丸くなった。丸くなったというか縮こまったというか。

どうやら幸せいっぱいサービスタイムは終わったらしい。代わりにすとんと膝に頭を乗せたのは


「………」


すとん。びくん。先程までの恐怖が思い起こされ、何とも情けなく肩が震える。

あんまりにといえばあんまりにな反応に、流石にやりすぎたと反省してくれたのだろうか。トラウマを植え付けてくれた元凶たる膝乗り先輩は、自分を見て若干の冷や汗を流し、すぐに気まずそうに目をそらした。


「……ごめんなさい。もう、しないから」

「ほ、本当でしょうね…」

「…………………多分…」


マヂでヤバいと思いましたよ。本格的に貞操の危機だと。

気まずい暫しの沈黙の後、仕切り直した彼女は指でちょいちょいと、謎の手招きをする。

…次は私ね、という事だろう。言葉は無くとも、染み付いた奴隷根性的なものが本能的に理解してしまう。

艷やかな髪に手を差し込んで緩く動かせば、それだけで何とも心地よさそうに彼女は目を細めて。


「…今度、つけてきましょうか。ネコミミ」

「……」

「ほら、にゃー」


猫の手くいくい。可愛らしい。そしてその鳴き声は


「もっとなでてにゃー」

「せめてもう少し感情乗せてくれませんか」


凄まじい棒読みにも程があった。猫撫で声、とかそういうレベルじゃなかった。


「ナギナギナデナデシテー」

「それは違う」


もるすぁ。趣向を変えたところで棒読みは棒読みです。果たしてこの現代、彼はまだ健やかに生きているのでしょうか。…彼?彼女?

そして二人して目を合わせて、小さく吹き出すと揃って同じ方向を向く。即ち、壁の染みと化している小さな天使の座す方に。


「ローロ」

「………」

「ごめんね、意地悪して。ほら」


羨ましそうな、恨めしそうな、そんな顔?でじっとこちらを見つめる白猫に困ったように微笑むと先輩はそっと手を広げる。

それを受けてぴん、と元気の良い反応を見せると、ロロはのそりのそりと近づいてくる。そして今度こそは真の飼い主の胸の中へと素直に。

ぽんぽんと、白い背中を愛おしそうに撫でる手つきは何処までも優しい。…俺もそっちが良かったなぁ、なんて決して口にはしないけれど。


「大変ね。お互い」

「なー…」

「………?」


何やら分かりあった様に溜息をつくお二方。先程まではあんなにバチバチだったくせに。何か通じるものがあったとでも言うのだろうか。


俺が膝の上の先輩を撫でて、先輩が腕の中のロロを撫でる。先程とはまた違ったフォーメーション。けれども、そこに漂う雰囲気は先程までとは比べ物にならない程に。


何でもない日。いつもの日常。違うのは小さな新顔が一人増えただけ。

それでも、楽しさは二倍などには留まらず。


自分で気づいているのだろうか。穏やかにロロを撫でる先輩の微笑みは、俺の時とはまた違う深い愛情を覗かせていることに。

これもまた、繋がりが紡いだ、彼女の新しい一面。


…たまにはこんな日もいいかも。そう心から思える一時だった。

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