第20話 何かが変わった日

真鶴凪沙は我が学園が誇る麗しのマドンナである。

…いや、マドンナというと流石に語弊があるか。別にそんなに漫画的な存在ではなく、あくまでもその美貌は話題に上がりやすいというだけで。


長く伸ばされた流れる様な黒髪。容姿端麗。眉目秀麗、頭脳明晰、品行方正清純可憐。清廉。妖艶。乙女。強い。色々並べられすぎて最早キメラと化しつつあるが、つまりは高嶺の花である。


対して自分、藤堂蓮といえば、容姿平凡、眉目平凡。成績平凡。地味。眼鏡。並べるまでもない、自他共に認める素晴らしき凡人である。


高嶺の花と雑草。そんな二人の間に繋がりなど有ろうはずがない。


それでも、自分達は繋がっている。







光の届かない暗闇の中を、一歩一歩踏みしめるように上がっていく。

時間の経過によって朽ちかけた小道は、もし一人だったなら簡単に見失ってしまいそうな程にか細く、頼りない。

加えて彼女は動きやすいとは言えない服装。どちらからともなく繋げられた手は、とても温かく。一人ではない、ということがこれほど心強いと思う日が来るなんて。


一歩、また一歩。

ふと、視界が明るくなった様な気がして、足元を一心に見つめていた面を上げれば


「…へぇ……」


夜空一面に輝く星空が眼の前に広がっていた。

町の裏山、余計な光源の届かないそこは、一つ一つの小さな光をより引き立たせる。


「…綺麗ね」

「…はい」


会話はそこで終わる。それっきり言葉は続かなかった。けれども決して気まずい心地などではなく。


暫しの静寂。気づけば、その言葉はするりと飛び出していた。


「…先輩は」

「うん?」


「…何故、そんなに優しくしてくれるんですか…?」

「私が『真鶴凪沙』だから」


一瞬のタイムラグも無い、最初から用意されていたかの様な答え。

そう、彼女は誰にでも優しい。最初から分かっていたことだけども。


「………」

「それじゃご不満?」


…だけども、如何とも。


「…………」

「ご不満みたいね。良かった」


何とも楽しそうな顔で、先輩が腰を曲げて横から自分の顔を覗き込んでくる。

指摘された通りの顔が眼の前にあることは、鏡を見なくとも分かりきっていたので、せめてもの抵抗として顔を背けた。

そんな失礼な行為も、彼女は目を細めて見守るだけ。


「…真鶴凪沙が誰にでも分け隔てなく優しいのはご存知の通りだけど、実はあまり知られていない秘密があるのよね」

「…というと」


細い人差し指が自分の唇に添えられる。まるで騒ぐ幼子を嗜める母親の様な行為。


「特別なの。『藤堂蓮』だけは」


けれどその笑みは、母親などとは程遠く。


「おかしいわよね。劇的な何かがあった訳でもない、困難な事件を共に乗り越えた訳でもない。ただ隣にいただけ。それもごく短い間」

「………」

「…おかしいわよね」

「おかしくないです」


自嘲するように唇を歪める彼女と、ゆっくり向かい合う。

震える手を懐に伸ばして、それを慎重に取り出す。


「…先輩、手を出してくれませんか」

「ん…?」


疑いもせず、素直に伸ばしてくれた白い手に時計をはめた。

…少し不安だったけれど、彼女の大人っぽい雰囲気によく似合っている。

きっと、装いが変わればもっと。


「…、藤堂くん…これ」

「…良かった。似合ってて」


重たい荷物をようやっと一つ下ろせた気分だ。


「…私に…ううん……」


先輩は腕時計をじっと見つめて、まるで思い出の宝物を見つけた時の様に、ゆっくりと、愛おしそうにその胸に抱き留めた。

てっきり以前考えた様に窘められるかと思っていたけれど、あまりに予想外の女の子らしいリアクションに、当然の様に顔に火が灯る。


ぽすん。軽い音を立てながら、彼女の頭が自分の首筋辺りに収まる。大して身長差が無いことが何とも悔しかった。

心臓の音が聞かれてやいないかと心配したけれど、そう時を置くことなく、先輩はゆるゆると離れ


「あのね、蓮」


手を取り


「私、君の傍にいたい」


頬を擦り寄せ


「呆れられても、煙たがられても、嫌われたら…辛いけど、君の傍にいたい」


困ったように微笑んだ。


「いさせてほしい」




「それだけで、私は救われるから」



いつも飄々とした彼女と同一人物とは思えない、痛い程に、狂おしい程に伝わってくる真っ直ぐな想い。

返さなければならないのだろう。この抱えきれない程の大きさに、報いる程の言葉を。


「…俺も、先輩が特別なんだと思います」


一言一句、噛みしめるように。極度の緊張で噛んだりせぬように。


「劇的な何かは、ありました。俺は貴方に救われた。ここにいてもいいんだと、思えるようになりました」

「……」


取られた手を、今度はこちらから握り返す。

捨て鉢になって全てを投げ出そうとした自分を引っ張り上げたのは、この細い手。


「その、離れておいてどの口が、と思われるかもしれませんけど、俺はもう一度、貴方といたい、です。」

「……」

「まだ、はっきりと理解した訳じゃない、けど、俺は…貴方が」

「ま、待って」

「お」


また、人差し指が唇に当てられた。さっきよりも強く。

彼女は真っ赤な顔でそっぽを向いているし、腰もひけているけれど、瞳だけはこちらを見据えている。

濡れる瞳の奥に宿るのは、確かな


「今は、いいから。いいの。…傍にいてくれるだけで…」

「…前も言った気がしますけど、そんなのでいいんですか」


遠い昔、昏い渚で問うた言葉。

無論、帰ってくる答えは分かりきっている。

次に彼女はこういうのだろう。


「…前も言った気がするけど、そんなのがいいの」


そんなの。


そんなの、こっちが一方的に得するだけなのに。

ちっぽけで空っぽな自分が彼女に返せるものなんて何も無いのに。


「け、健気でしょう?いいのよ。愛を込めてナギナギって呼んでも」

「……はは……」


最初から無理に返事は求めていなかったのだろう。

真っ直ぐに見据えていた真面目な顔を緩めると、彼女は悪戯っぽくウインクをする。

そのおかげと言うべきだろうか。それとも最初から分かってそうしたのか、解れた心は再び言葉を紡ぐ。


「凪沙」

「──」


「…どうせ呼ぶなら、こっちの方が良くないですか?」

「…………」




「…そうね」




「…悪くないわ」


耳をつんざく轟音と共に、夜空を彩る大輪の花。

小高い丘の上、遮るものの無い空一面の絶景はありふれた言葉など簡単に吹き飛ばしてくれる。


二人揃って仲良く花火を見上げていれば、指先に細い何かの感触が微かに伝わってきた。

それはゆっくりと、けれど確かに、優しく指先に絡んでいく。


言葉は無い。互いに顔も見ない。けれど理解していた。


何かが


俺達の何かが、大きく変わった瞬間なのだと。












「お帰りー」

「…志乃さん?」


坂を下りて道に出てくれば、そこにいたのはポニーテールがお馴染みの、最近三つ編みにはまっているというお姉さん。

入り口に座り込む小さなお顔はほくほくと何ともご機嫌そうだ。


「……呑んでるんですか?」

「いやいや、ラムネだよ」


そう言って掲げたのは確かにラムネの瓶だった。からからとビー玉が涼しい音を鳴らす。

だったら、何でそんなに……後ろにある『この先小道修繕中・立入禁止』の立て看板には触れない方がいいのだろうか。…余計なお世話を、と言いたくなる口を必死に抑える。


「なー…」

「はいはい、ごめんねーロロちゃん」


そんなお節介焼きの先輩の腕の中には何ともぶすくれた様子のロロが。

邪魔をしない様に見張っていてくれたのだろうか。大いに不満気な鳴き声を上げながら、ロロが肉球でてしてしと先輩の頬を叩く。それを受けて尚、いやむしろ受けたからだろうか。先輩は幸せそうにニヤついている。成る程、お楽しみ中だったみたいで。

多分、この人は可愛がりすぎて逆に嫌われるタイプなのだろうな。まさに猫可愛がりしている彼女の姿に、そんなことを思った。


「来なさい、ロロ」


主の名に応じ、白き騎士は降り立つ。器用に拘束を抜け出して、素早く地を駆け、馳せ参じたのは


「ん?」

「〜〜♡」


特に関係の無い村人Aの腕の中。


「…………………」


主はさっきまでの甘い雰囲気など欠片もない殺気を込めた目で騎士を、いや何故か村人を睨みつけている。貴様の村を焼き討ちしてやろうかと云わんばかりに。


「な、何ですか」

「…最低ね。秒で浮気だなんて」

「は!?」


「うわ〜…そういうとこだよ…」

「はぁ!?」


甘い雰囲気さようなら。

肩を寄せ合い、責めるような目で見つめてくる二人。真に心外である。


「…あはは……」


けれども、あいも変わらず相変わらずな俺達に、いつになく素直な笑いがこみ上げるのだった。

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