第17話 小さくて大きな約束

我が学園が誇るマドンナ・真鶴凪沙はお祭りのみならず催し物が意外と好きである。

いや、皆でわいわい楽しむことが好きなのか。


謎の町内カラオケ大会然り、疑惑の町内ゲートボール大会然り。目に見えてはしゃぐことはないけれど、昔から事あるごとに顔を出し。

…いつからだろうか。そんな彼女の姿を祭囃子の中で見かけることが無くなったのは。


出店の立ち並ぶ道を、弾む足取りで幼子の手を引くあの背中は今はもう遥か遠く。







「(アカン)」


さて、今日も今日とて声をかけることもできず虚しい学園生活が終わろうとしているのですが。

もう観念して家で誘うべきだろうかと思って、そういえば最近はあまり来ていないな、と言うことに今更ながら気づいた。

もしかしたら、妹に遠慮しているのだろうか。普段から飄々としているから気づきにくいけれど、あの人は周りへの心配りが本当にうまいから。


…いや、うまいという言い方も失礼だろうか。あの人は昔から、そう、優しい。

だからこそ人が集まるし、だからこそ自分は離れられなかった。

でも、それは裏を返せば色々なものを我慢しているとも言える。自分を慕う大勢の人間、その全てが一様に好む聖人なんてこの世に存在しないのだから。


一人一人、真摯に向き合う。お前もそれに甘えているではないか。


己の浅ましさにうんざりしながら、もやもやする頭を冷やそうと人通りの少ない場所を歩いていたその時。


「な〜」

「…ぉ゙…」


突如、頭に伸し掛かるもふもふな重み。嘘だろお前学園にも来てるの?プリズンブレイク最新作の主演は君だね。


柔らかな肉球が自分の頭をまるでハンドルを操作するかの様にてしてしと叩く。

どこぞに案内というか導く様な技巧派ドライビングテクニック。腹を立てることもせず、不思議とそれに逆らう事なく、誘われる様にいつの間にか自分は歩を進めていた。




「どうしたのシロ、じゃなくて…ロロ」

「………」


数分にも及ぶ小さな冒険の果て、真白き案内人に連れてこられたのは、まるで人気の無い学園の隅の寂れた踊り場。まぁ放課後なので、とも思うが、日中であってもあまり人で賑わう場所でもないだろう。


「………」


軽やかに音もなく着地した案内人は、無言でただただこちらを見つめている。

何かを訴えているのかと、そう思った所で残念ながら意思疎通など出来はしない。

ままならないものだ。何とももどかしい思いを抱えながら階段に腰を下ろし、天井を仰げば。


「……れん、藤堂くん…?」


まさに逢いたかった人物が、顔を覗かせていた。


肘を置いて、真上から自分を見下ろす彼女は退屈そうな表情から一転、目を丸くして何とも物珍しそうにこちらを見つめている。


「…どうしたの?こんな所で」

「……真鶴先輩こそ…」


何とも呆けたように言葉が漏れ出ていく。

まさか案内人の目的は。思わず振り返るが、既に白い影は音もなく消え去っている。

心の中で密かに一言礼を告げれば、上からはぱたぱたと足音が。


「待ってて。行くから、そっちに」


いつになく軽やかな足取りで彼女は自分の元へと降りてくる。

一段ずつ降りるのももどかしかったのか、最後の方は二段飛ばしで。新体操の如く華麗に着地するやいなや、ふわりと広がったスカートが太腿の際どい所まで舞い上がるものだからなんとも危なっかしい。思わず顔を背けても、彼女は気にする素振りもない。もしかしたら気づいていないのかもしれないが。


「珍しいわね。学園で二人きりなんて」

「そう、ですね」


貴女の周りには本当にたくさんの人がいましたから。

しかし何処を見ても、今この場においてはそれらしき人影は影も形もない。


「会いに来てくれたの?私に。嬉しい」

「……」


子供の様に顔を綻ばせてはしゃぐ彼女は何とも、…何ともわざとらしい。可愛らしいはずなのに可愛くない。

そんなことは向こうも分かっているのだろう。無言で見つめる自分に観念したかのように、彼女は大げさに肩をすくめた。


「…一人なんですか?」

「うん」




「疲れちゃってね、少し」




いつも通りの笑顔でなんてことのないように彼女は告げる。

しかし、彼女をよく知る人が見れば違和感など一目瞭然で。


「私、人気者なのよね。こう見えて」

「…」

「はい、くるん」


一歩距離を詰めた先輩は自分の肩に手を置いたと思うと、そのまま回れ右させる。

大人しく従えば、背中にとんともたれかかるささやかな重み。


「しょっちゅう誘いを受けるの。あちらこちらから」


疲れ切った様子で背中に顔を埋め、幾度か深呼吸を繰り返すと、もう一度自分を半回転。

何とも見事なことに、そのお顔はあっという間に『真鶴凪沙』へと早変わり。将来は舞台女優でも目指すつもりなのだろうか。


「でもあれこれ首を突っ込む訳にも行かないのよね。面倒だけど」


頬に手を当てて、困ったように首を傾げる彼女。

見えないハードルがどんどんと積み重ねられていく。

この状況下で彼女を誘う人間などいるのだろうか。いやいない。


「『私』に何かご用?」


けれど同時に、試されている気がした。


自分とこの人を繋ぐ頼りない糸を。


「…あの、真鶴先輩」

「うん?」


「………」 


必要なのは一握りの勇気。

一握りあれば、決して彼女は取りこぼさない。

男として何とも情けない話だけど。


「今度近くでお祭りがあるんですけど」

「へぇ」


「………」


なんて関心の薄いお声と、薄っぺらい微笑み。

折れかけたか細い心を奮い立たせ、真正面から向かい合う。

心が願う。少しでも、彼女の心を癒せるならば、と。

心が叫ぶ。しっかりしろ。お前は誰の居場所なのだ、と。


「良ければ、一緒に、行きません」

「うん。行く」

「か………」


若干食い気味に言われたような気がするけど、返ってきたのは素晴らしく簡潔な快い返事。あまりの簡潔さに思わずこちらが拍子抜けするくらいに。


「でも、いいの?」

「………」


要らぬ勘繰りを受けるかもしれないと、そう言いたいのだろう。お前はそれでいいのか、と。

以前、学園内で自ら出向いて食事に誘っておきながら何を今更、と思いかけたがもう一度彼女の顔を見て、やめた。

見る人が見れば至って普通の微笑みのはず。…なのに、なんて不安そうな顔をしているのだろう。


今思えば、恐らくあれは彼女の一つのSOSだったのではないかと思う。意識的なのか、無意識なのかは分からないけれど、彼女は自分に会いに来た。


飄々とした美しい仮面の下にはただの寂しがり屋の女の子がいる。昔から知っていたではないか。だから彼女は地元の催し物によく顔を出す。昔から人となりを知る町民の中でなら、幾分かは学園よりも素直な自分でいられるから。


…成る程。飼い主を寂しがらせるなと、あの白猫は自分をお叱りに来たらしい。

ご主人様思いのことだ。今度お高いものでも差し入れるとしよう。目の前のこのお方が渋い顔をしそうだけど。




「…それでも、私と行きたい?」

「………」


求められるのは、いつもとは逆。自分が、俺が彼女を望むこと。

示すべきは、たった一言。幼稚園児でも出来る、たった一言のシンプルな答え。

たったそれだけを言うためにどれだけ遠回りしているのかと呆れ、ずっと待っていてくれた優しさに気づかないことにさらに呆れ。




「はい」




だからこそ、その言葉は何の飾り気も必要なく。




「…先ぱ、…凪姉と祭りに行きたい、です」

「…うん」


細い手がゆっくりと自分の頬へと伸ばされた。冷たい体温が顔に灯った熱をちょうどよく冷やしてくれる。

緊張で情けなく揺れる瞳で彼女を見る。

そんな子供を優しく見守る彼女の顔は


「楽しみにしてるね」


大輪の花の如く、満開の笑顔。ゆるりと差し出された小指に同じく小指を絡めながらも、生まれてこの方見たことのない可愛らしい笑みに、自分はどこまでも


「約束」


どこまでも見惚れてしまっていた。

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