第16話 白の好敵手

我が学園が誇るマドンナ・真鶴凪沙は、知っての通りと言っていいのかは知らないが、その人気から常に多くの人に囲まれている。


学園で二人きりの時間というのは中々作り難く、かと言って家でで、で、デぇトいや違うけど!…の誘いなどそれこそハードルが高い。というか怖い。逃げ場が無いから。


つまり何が言いたいかと言うと。




お祭りを目前に控えておきながらこの藤堂、誘いもまともに出来ておりません。







「宜しければ一緒にお祭りとか行きませんか?」


「………」


「明日暇なんでちょっと付き合ってくれません?」


「…………」


「へいナギサあいうぉんとごーとぅー」

「兄様」

「ふぇすてぃばっ!!?」


うぃずゆー。けたたましい不協和音を奏でながら派手に物をひっくり返し、すかさず臨戦態勢に入る自分の背後を音もなくとったのは、誰に似たのか、最近そこはかとなく遠慮が無くなりつつある我が妹君だった。いつの間に。一体全体どこでそんな技術を。


鏡の前に立つ自分を見つめるその目は何とも筆舌に尽くし難く。


「ノックしようよ」

「した上で声もかけました…」

「………」


自分がそんな無作法者に見られたことが心外なのか、可愛らしく頬を膨らませる翠。へー。全く聞こえなかった。ちょっと集中しすぎてたかな。

何に?って、そりゃあ、まぁ、お勉強的な?


「ご飯、出来ました」

「あ、あー…」


何で朝っぱらから一緒に暮らしている訳でもない妹に朝ご飯作ってもらっているんだろう。でもそれをツッコんだら目茶苦茶悲しい顔するから何も言えない。心が痛む。こんな献身的な美少女の笑顔を曇らせることなんて僕には出来ない。


笑顔の妹に背を押され、やってきたるは我が家のリビング徒歩5秒。

ご丁寧に御御御付までつけられた、自分では決してあり得ない、いややろうと思えば出来るけどやらない色とりどりのご機嫌な朝食。


もうどこにお嫁に出しても恥ずかしくはあるまい。いや出さないけど。少しでも手を出した輩は町中引き回しの計に処すけど。


「…美味しい」

「ふふ。良かった」


二人で卓を囲む長閑な時間。この子のこんなに穏やかな顔を見たのは何年ぶりだろうか。いや、顔を背けて見ようとしてこなかったのは自分か。

とりあえずこれで暫くは彼女はご機嫌なのだろう。我が妹ながらちょろすぎないかと心配だけど。


さて今日も今日とて学園だ。学生としての本分を果たすとしよう。

…願わくば、彼女と話を出来る機会何てあったらいいけど。













「終わっちゃったよ」


放課後を知らせる鐘の音をどこか他人事の様に聞きながらも、模範的な学生として躾けられた身体は勝手に荷物を片付けている。

心ここにあらずで下駄箱へと足を向ける。その最中に見つけた人だかり、中心にいた人物と一瞬、目が合ったような気がしたけれど、それに気づかない振りをしてゆっくりと町へと踏み出すのだった。







「はぁ」


どれ程時間が経ったのだろう。何とも気が滅入る。兎にも角にもあまりに情けない自分に、最早腹も立たない。

のろのろと重たい足を進める。町の風景は既に祭りの様相に移り変わっている。

この中をこの年で一人でふらふらと回るのは中々に勇気がいることだろう。

深く溜息をつきながら角を曲がる。


その時だった。




しゅたたた。


「ぉ゙」 


軽やかな足音と共に背中に伸し掛かった重みは、スルスルと頭の上へとこれまた軽やかに。

普通ならば、すわ金縛りかと思いもするだろうが、残念なことにこの重みは最近よく存じていた。


「…重いよシロ」

「な〜」


何とも呑気な声を上げる白猫は、優雅に人の頭の上でくつろいでやがっている。


暫く前、彼女と再び関わりを持つよりもほんの少し前だろうか。

よく町中で見かけ、ただ挨拶を交わすだけだった関係は、いつの間にやらパーソナルスペースなんて気にしない気さくな関係に。…いや、気にしていないのこいつだけだな。


ぐわんぐわんと頭を揺らせば、チラリチラリと視界に入ってくる尻尾。傷一つつけずに人一人登頂してみせるとは全く大したものだ。

しかし、にゃんこハラスメントしたくはないので言わないけれど、もう少し痩せてくれるとありがたいものだ。流離うのが趣味みたいだし、多分、町民がこぞって餌あげてるんだろうが、この町の大らかすぎる大らかさに感謝した方がいいと思う。


「ご主人様は?」


人を駄目にするもふもふを両手で挟み込み、顔の前へと持ってくると軽い気持ちで問いかける。

そう。野良かと思いきや、この白猫には首輪がつけられている。これだけ毛並みの手入れが行き届いていれば当然かとは思うけど、残念ながら首輪に名前は見当たらない。シロとは自分が暫定的に付けた名である。


「な〜」

「………ふふ、可愛いな…」


そして呑気そうなお返事もいつものこと。

何故こんなにも好かれているのかはさっぱり分からないが、猫は好きです。たまりません。だけどいい加減飼い主の素性くらい把握しておかないと、何か起きてからでは面倒極まりない。

そんな文句をひた隠しながらも、愛くるしいご尊顔を見つめる。いっつ呑気おぶ呑気。


「良いよな…お前は能天気で」

「……にゃ…」

「きっと飼い主もお前に似てさぞかし能天気なんだろうな…」

「そうでもないわよ」

「…………」


えっ。こいつ今喋った?おいおいまじかよまさかそんな天才にゃんこだったなんてわくわくが止まらないではないか。湧き出る好奇心を抑え込みながら、少年はにゃんこを抱きかかえると片手を差し出した。


「お……お手?」

「「にゃー」」


とん。横から差し出される手。柔らかいが肉球は無い。


…………。






「あー!可愛いなぁ!!お前は本っとーに可愛いなぁ!!よっ!猫界のマドンナ!飼い主もきっとお前に似てさぞかし可愛いんだろうなぁ!!」

「な〜♡」

「そうでもないわよ」


どないせいちゅうねん。


「随分仲が良いのね」

「……真鶴先輩」

「こんにちは。さっき無視されたパイセンです」

「…………………」


そう言うと、無邪気に自分に頬を擦り付ける小さな塊を、全く感情の読めない無表情で見つめる先輩。その顔は果たして何の感情を奥底にしまい込んでいるのか様として知れない。


「ロロ、おいで」

「にゃーん」

「うぶ、くすぐったいって」

「……………」


また頬を擦り寄せられる。まるでキスされているようだ。まさかここまで懐かれるなんて。嬉しくもあり、複雑でもあり。

されどそんな我らの関係は、不躾に伸びてきた細い手により無惨に引き裂かれる。

首根っこを引っ掴んで小さな塊を引っ張るも、塊はがっちり自分にしがみついて離れない。流石に痛い。


「…離れなさい。ロロ」

「にゃー……!」

「…そ。闘るというのね?私と。上等」


何で険悪になってるんですかね。面倒は面倒でも何か変な面倒事が眼の前で発生している。

長き睨み合いの果て、一瞬の隙をついた先輩はシロを遂に引き剥がし…そしてこっちを睨んでいる。何で?


「……君、長いの?この子と」

「まぁ、それなりに」

「……ふぅん…」


シロを見て。またこっちを見て。


「………ふぅん………」

「何ですか」

「別に」


そう言って子供の様にそっぽを向くと、先輩はシロを頭に乗せる。………。

…シロを頭に乗せる。じゃないよ。あまりに自然すぎて流しかけたけど何で?

シロ…もといロロは抵抗することなく寛いでいるし。バランス感覚よ。


「帰る」


さっきまでの自分の様にぐわんぐわんと頭を揺らしながら、背を向けて先輩は歩き出す。何故だろう。その後ろ姿に声をかけなくてはならない気がして。


その小さな背中を見て、自分は


「先輩っ」


自分は


「………」

「何?」


お祭り、一緒に行きませんか。


「…………」

「…………」


呼び止めておきながら何も言わない自分を、けれど怒りも急かしもせず、彼女はじっと見つめている。けれど言うべき言葉はどうしても


「ろ」

「ろ?」

「………ロロって言うんですね。…そいつ」

「うん。ろーた……じゃない。ロロ」

「か、可愛らしいですね」

「ありがとう。この子も喜ぶわ」

「…はい」


「…女の子だしね」


またまた何故か先輩の声が低くなった。

そして彼女はどこか寂しそうに微笑むと、傾いていた頭のロロの位置を直す。


「藤堂くん。また道端でこの子を見つけたら教えてね。脱走常習犯だから」

「あ、…はい」

「…またね」


ぐわんぐわん。ぐらんぐらん。何とも不安になる振り子運動をする背中はどんどん遠ざかる。自分はその背に手を伸ばし─


「………情けな………」


─たままの姿勢で硬直するのみ。

そんな無様な自分を知るのは、彼女の頭上で何とも退屈そうに欠伸をする白猫だけだった。

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