第15話 心の在り処

学園のマドンナ。高嶺の花。

入学してから早々、好き放題言ってくれたものだけど、実のところ、私は一度として自らそれを望んだ覚えはない。


けれど求められるのなら、皆がそれを望むのなら、私は演じ続けようではないか。皆が崇め奉る滑稽な偶像を。


だけど一体何のために?真っ直ぐな尊敬と信頼を向けてくれたあの双眸はもうどこにも無いというのに。誇れる姿を見せる人なんていないのに。


…もう二年か。薄っぺらい信頼が積み重なる中で、私の心はどんどん擦り減っていく。

広い世界に私は一人。真に心預けられる人なんてもう、どこにも。


私の居場所、私の居場所は──







「「あ」」


何のために、とは言わないけれどある日、色々と服を物色しているとばったりと学園の後輩達と出会ってしまった。

すかさず、ごくごく自然に目の前にあった可愛らしいスカートから離れると、ごくごく自然にいつもの笑顔を表面に浮かべた。


「真鶴せんぱーい!偶然ですね!!」

「ふふ、そうね」


仲良く二人でお買い物だろうか。

小動物のように近寄ってくる後輩達。気持ちは嬉しいけれど、今だけは一人にしておいてほしかった。まるで恋する乙女みたいに悩んでいる姿を見られるのは中々に恥ずかしいから。


「もしかして先輩もお買い物ですか!?」

「ええ」

「へえー、あ、あの、良かったらご一緒しても良いですか!?」

「………」

「実は気になる服がありましてー…」


来るわね。ぐいぐい。これが噂に聞くおもしれー女ってやつ?


「…ええ、もちろん」


もちろん、学園のマドンナ真鶴凪沙は断ったりしない。優しい彼女はどんな頼みであろうと、道を外れない限りは付き合ってあげるのだから。真摯に。


…可愛いと思ったんだけどな。


後ろ髪を引かれながら、彼女達についていき店を後にする。

もしかしたらお友達として何の気兼ねもなく、仲良く買い物をして年相応にはしゃげるのでは。そんな何気ないくだらない願望を胸の奥にしまい込みながら。







「これとかどお?」

「えー?こっちの方がいいんじゃない?」


「う〜〜ん。…あ。これとこれ、真鶴先輩ならどっちがいいと思いますか?」

「………」


ああ、やはりこうなるのか。

三人で仲良く、なんて出来るわけがないのに。

二人でわいわい騒ぎながら、時折背後の私に意見を求めてくるだけ。何とも派手なトップスを両手に掲げて目を輝かせる彼女達と私の間には、尊敬と友情を分ける明確な見えない一線が引かれている。


『そうね、貴女ならむしろこっちの方が似合うんじゃないかしら?』


彼女の手の中ではなく、後ろにある、それよりかは少し地味な、けれど健康的なトップスに目を向けたけれど。その言葉は口をつくことは無かった。

結局、この子達は『真鶴凪沙』が太鼓判を押した、という後押しがほしいだけだ。『私』個人としての意見なんて欠片も求めていない。残念ながら。

慕われることは嬉しい。嬉しいけれど、…けれどちょっぴり寂しくて。


「…私は」

「はい!」

「…………そうね、…右、かしら」

「「やっぱり!」」


きゃー、だなんて女の子した声をあげる二人を見ながら、私は気づかれないように人知れず溜息をついた。

…悪気なんて無いのだ。そして変われない私にだって問題はある。

レジに向かう二人の背を見送って、窓の外に目を向ける。今の私の心中を表すかの様に、どんよりとした曇り空が広がっていて、遂に私は小さな舌打ちを抑えきれないのだった。







「「先輩、本当にありがとうございましたー!!」」

「ええ。またね」


自分達の買い物を存分に楽しんで、私の買い物に付き合うことなく彼女達はほくほく顔で帰っていった。

何も持たない手を虚しく振る自分がまるで他人事のようで


「……いいなぁ…」


つい、口から零れ出た言葉に思わずはっとした。

掌で口を抑えて、右、左。誰も聞いてなんていないはずなのに。


「……ぁ………」


店を出て空を仰ぐ。

曇り空はいつの間にか、ざぁざぁと。

ゲリラだろうか。まぁ、どうでもいいか。深く考えることなく、私は大きく一歩を踏み出した。冷たい雨粒は何とも心地良い。私の目元の微かな何かも綺麗に洗い流してくれる。


しかし、凄い豪雨だこと。…あの子達の服、駄目にならないだろうか。


…一人ぼっちは、寂しいな。やっぱり。












「来ちゃった」

「……………………」


眼の前の顔は、信じられないものを見たように固まっている。

それもそうか。小綺麗な玄関に汚い水溜りを作られてしまっては、心中さぞ穏やかではないだろうし。


「な、何でそんなずぶ濡れなんですか!!?」

「雨も滴るいい某っていうじゃない」


そして固まった顔は途端に呆れ顔に。


「何を馬鹿な……、ああ、タオル……風呂も沸かさないと…」

「………いいの?」

「はあ?当たり前でしょう」


何を今更、みたいな顔で彼が私を見つめ返す。

あの子達とは違う、『私』を真っ直ぐと見るその目は、冷え切った身体の中心にぽかぽかと温かい何かを灯してくれる。


「どうぞ」

「うん、ありがとう」


部屋に通され、タオルを受けとり、休んでいたところに温かいコーヒーが手渡される。

私はカップではなく、コーヒーを差し出していない逆の手を両手で包みこんだ。

いつの間にか私よりも大きくなった、骨ばった手を。


「………何ですか?」

「んー……?」


人の手を不躾に掴み、無言で指を絡める自分を不審に思ったのか、胡乱な目でこちらを見つめる彼。こういう目で見られるのも慣れたものだ。最も、私をそんな目で見る人なんて彼しかいないんだけど。

奇妙な沈黙、奇妙な時間。それを壊したのはお風呂が湧いたことを知らせるアナウンスの無機質な声だった。顔を上げた彼は、私にカップを持たせると、背を向けて離れていく。

背中が見えたと同時、私がその背に手を伸ばしたことなんて彼は気づいていないのだろう。


『行かないで』


笑ってしまう。何て私に似合わない言葉。

自嘲と同時にコーヒーを勢いよく呷る。火傷するのではないかと思ったけど、意外と人肌に温められていた熱さは何とも心地よく、全身に温もりが染み渡っていく。

小さく息を吐き出すと、大きなタオルを持った彼が戻って来た。


「先輩、お風呂準備できたので、入ってください」

「………」

「先輩?」


女性を何の疑いもなく部屋に招き入れ、あまつさえ風呂まで。警戒心が無さすぎる。私が飢えた獣となったらどうするつもりなのか。言っておくが、私は彼程度、簡単に制圧出来る自信があるのだけど。

かもかもと手招きすれば、これまた何の疑いもなく寄ってくるものだから


「先ぱ」


差し伸べようとしたその手を引っ張って引き寄せる。ソファーに寝転んだ私の上には、倒れ込んだ彼の姿。目を大きく見開いた彼の顔が真正面、目と鼻の先に迫る。

そして私は上下を容易くひっくり返し、……ひっくり……ひっく………あれ……、何故だろう。上手く身体が動かせない。顔が熱い。とんでもなく。


「……………」

「…いったぁ…何、するんですか……」

「(む)」


私を押し倒す形になった彼の顔は照れ、というよりも呆れの方が強いだろうか。

それが何とも気にいらない。気にいらないったら気にいらない。自分で言うのも何だが、こんなにも魅惑的な身体が目の前にあるのに。

なので彼の首に手を回して抱きつくと、耳元で囁いてみる。


「………………………………………………………入る?一緒に」

「…熱あります?」

「…可愛くない」


失礼な。これでも相応の勇気を振り絞って言ったのに。


「くしゅん」

「ああもう、アホなことやってるから」


…失礼な。至って真剣だったのに。


…まあ、今回はこの辺にしておいてあげましょうか。

私の高尚な考えを汲み取るには、まだナギナギポイントが足りないみたいだから。

掠るように耳元に口付けると、転がるように彼の下から這い出した。


何とも無しにお風呂へと向かう私に対して、何故か彼はそのままの体制のまま動くことは無かったけれど。




その後、悲しいことにサイズが割とピッタリな彼のシャツ一枚で出てきた私を見て、コーヒーを勢いよく吹き出した彼ともう一悶着あったことは、またいつか語るとしよう。






…孤高を気取る振りをして、ただただ虚ろだった頃の私はもう何処にもいない。失った居場所をもう一度取り戻したから。私が私のままいられる居場所を。

…別に家族が嫌いだなんて言うつもりはないけれど、やっぱり君の隣は心地良いな。


うん、私の心の在り処はここにある。

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