第13話 兄妹よ

ご存知の通り、我が学園のマドンナ・真鶴凪沙と自分は幼馴染である。

即ち、我が妹も彼女のことはよく知っている。


仲が良かったはずの二人が、途端に距離を置き、紆余曲折を経て再び横にいる。


色んな意味で変わらない彼女を見て、果たして妹は何を思うのだろうか。







「えっと…、理由は分かりました。別に爛れた兄様が真鶴さんに無理矢理ナース服を着せて悦に浸っていた訳ではないということも」

「うん。でもこの子ああいうの好きよね、たぶん」

「ちょっと黙っててください」


今後の人生が懸かった必至で必死な懇切丁寧な説明の果て、遂に藤堂蓮は大いなる誤解を解くことに成功した。

隣ではようやっと着替えてまともな格好になった先輩が、何でもない顔で呑気に茶を啜っている。これで反省のはの字も無いのだから恐れ入る。


「でも、驚きました。……まさか真鶴さんがまた兄様と一緒にいただなんて」

「凪姉でいいわよ、すーちゃん?」

「………」


先輩の気だるげな微笑みとは対象的に、何とも複雑そうに妹が黙り込んでしまう。

何か気にいらないことでもあっただろうか。もうこの人はまともな姿なのに。


そんな時、彼女をあまり見ない様に無言で座り込んでいた自分の脇腹に鋭い肘が、見えない角度でえぐり込む様に繰り出された。


「……痛い」

「お兄ちゃん。本来、彼女と話すべきは君でしょう」

「…いや、でも…」


仲良さそうだし、何とかこのまま無難に場を収めてくれないかな、なんて。

自分がそんな冷たいことを考えているのはお見通しなのか、顔を顰めた彼女が顔を寄せると、耳元で囁いてくる。


「……それに、私はこの子に好かれてないわ。言う程」

「……え、そうなんですか?」

「……恐らくは」


兄の贔屓目かもしれないが、こんなにも礼儀正しく可愛らしい、誰にでも分け隔てなく心優しく可愛らしい、大和撫子の体現者とでも言うべき可愛らしいこの世に舞い降りた天使なのに。


「…………何かシスコンじみたこと考えてない?」

「………気の所為では?」


「まあ、いいけど。……大好きなお兄ちゃんが、妹の自分よりも近所のお姉さんの魅惑の肢体に夢中。妹としてはさぞ複雑でしょう?」

「…そういうものですか」


大好きとか夢中かどうかは置いておいて、成る程彼女の言葉にも一理はある。

幼い女の子からすれば確かに納得出来ない状況だろう。


ただ、当時は同性として妹との接し方を彼女に学んでいた部分も割とあるのだけど、何も知らない妹からしたら知ったことではないだろうし。


「(…本心を素直に話せば万事解決する気がするけど)」

「……何か言いました?」

「別に」


「……仲がよろしいのですね……」

「「あ」」


気づけば、放っておかれた客人が面白くなさそうに頬を膨らませている。

そりゃそうだ。人の前で何やら顔を突き合わせてひそひそ話し込んでいるのだから。

彼女曰く、お兄ちゃんを取った雌犬が。いや、そこまでは言ってないけど。


「ごめん、すーちゃん」

「別に怒ってません」

「……そっか」

「……はい」


会話終了。いやぁ、実に簡潔で分かりやすいですね良かった。良くない。

何か良い方法は無いものかと思案して、そして静かに愕然とした。

先程から今に至るまで、彼女を如何にして追い返すかしか考えていない。歩み寄ることを最初から放棄している。

恐らく、彼女は決して容易ではない覚悟でわざわざ会いに来たというのに。なんという情けなさ。兄の風上にも置けない。


「………」


それでも駄目だ。こっちの覚悟が、まだ定まらない。

だからやっぱり


「すー…」

「すーちゃん。知ってる?これ」

「「え」」


互いに黙り込む気まずい空間の中、ただ一人お構いなしに寛いでいた先輩がいつの間にかゲームを起動していた。場にそぐわない陽気な音楽が、幾分か重たい空気を和らげてくれる。


「えっと、はい、名前だけなら」

「なら少し遊んでみましょう。せっかくお兄ちゃんに会いに来たんだし」

「……」

「ね?」


「良いわね?藤堂くん?」

「あ、…はい」


優しく微笑みかけられて、彼女の気遣いを一瞬で理解した。恐らくは妹も。

…本当にこの人は。心の中で、言葉にならない謝罪と共に頭を下げた。


そして戸惑いがちに動き出す彼女の手を笑顔で引いて、ごくごく自然に自分の腕の中に抱きこんで座り込む先輩。……何でやねん。


「え?、…、え????」

「うん。柔らかい」


満足そうにほくほく顔で頷いているところ悪いんですけど、色々とおかしいですね。戸惑いがちだった妹が明確に戸惑っている。

小さな溜息を一つついて、彼女の元へ。


「すーちゃん。…ほら」


ゆっくりと救いの手を差し伸べれば、驚いた様に妹がこちらを見上げている。

…やっぱりちょっときついだろうか。気まずくなって手を引っ込めようとしたその瞬間、慌てた様に細い手が自分の手を躊躇いがちに、しかし確かに掴み取った。


こちらも躊躇いと共にその手を引けば、驚くくらいに簡単に、妹の身体は拘束を抜け出して自分の腕の中へと。

ちらりと先輩に目を向ける。さぞご不満そうな顔でもあるのかと思いきや、意外にもニコニコとご機嫌にこちらを見上げていた。


「兄様…」

「あら。2対1?いいわよ。かかってきなさい」


不敵な笑みを見せる彼女に、兄妹揃って顔を見合わせる。……そして小さく吹き出した。

あんなに悩んでいたのが嘘みたいに。


「…とりあえず、やってみようか」

「…はい!」


隣に妹、翠が座る。肩が触れ合う程の距離。けれど不思議と離れようとも思わなかった。…まあ、やり方を頼れるお兄ちゃんが教えなきゃいけないところもあるしね。


いっちょ、兄としてカッコいいところでも見せてあげましょうか。なんて。












「どーん」

「「……………………………………………………………………」」


きっと優しいお姉さんは、人知れず手加減してくれるだろう。そう思っていた時期が俺にもありました。


ゴリラがね?ムカツク顔で俺達兄妹を何とも煽り散らしてくれるんですよ。くいっくいって。ほんっっっと可愛くない。

見ろよ。なすすべなくボコボコにされ続けたうちの妹若干涙目だぞ。人の心無いのか。ねえよ獣風情に。


やっぱこの人カードゲームの時も完全に手抜いてたよね。というか、完全に長い間掌の上で踊らされてましたよね。


「に、兄様…。もう一回…せめて…せめて一機……」

「……そうだね。あのむかつく面をぶっ飛ばさないとね」

「つけてあげましょうか。ハンデ」

「「結構です」」


かつてバラバラだった俺達の心は今、確かに一つになった。

眼の前の害獣を駆逐する。ただその一点において。

ヒゲのおっさんとピンクの玉が奴を挟み込む形で再び走り出す。見事な連携。抜けられるやつなどどこにもいない。例えブラックペンタゴンのジュンさんでも無理だろう。


「兄様っ」

「応!」






「どーん」


負けました。






「淹れてくるわね。お茶」

「「……………」」


光を失った目で倒れ伏し、仲良く彼方を見つめる兄妹に目もくれず、悪魔はさっさと台所へ歩を進める。

二桁に昇る死闘は全敗。表情一つ変えられないまま、自分達は無惨に蹴散らされた。


「…だいじょうぶかい。すーちゃん」

「…にいさまこそ」


人は己の利を得るためなら何処までも残酷になれる。それを嫌という程、味合わされた時間だった。

妹の今後の人格形成に良からぬ影響を及ぼしたりしないかと心配になるほどに。


「…あいかわらずですね。あのかたは」

「…そうだね」


そう思われているのもどうなんだろう。


「「…………」」


「「…………ふっ」」


もう一度、さっきみたいに顔を見合わせ、吹き出した。今度はさっきよりもごく自然に。

翠が改めて俺に向き直す。俺も今度は顔を見る。

彼女の笑顔に今までの暗さは無い。


「少し安心しました。兄様が元気にやっているようで」

「………そっか」


「……流石ですね。……あの方はやはり兄様にとって…」

「……え?」


何か言っただろうか?途端に俯いてしまったから、その顔色は窺い知れない。

彼女の顔を覗き込もうとしたけれど、直ぐに面をあげた彼女は笑顔。

…気の所為だったのだろうか。


「父様と母様にもきちんと報告しておきます。兄様は元気にやっております、と」

「……うん」

「あ、でも定期的な連絡は欠かしてはいけませんよ」

「……あー…」


人差し指をこちらに突きつけて、膨れ顔を見せる妹に苦い顔。

やっぱそうなるか。…面倒くさいなぁ…。

でもお金を出してもらってる身だしなぁ…。


「…兄様。…私、そろそろ…」

「あ、うん」

「…真鶴さんにも挨拶をしなければいけませんね…」


翠が丁寧に片付けと荷物を纏め始める。と言っても、大して広げても多くもない荷物はあっという間に片付くけれど。


「………」


何とも無しにそれを見つめ続けていたけれど、翠の向こう側、台所へと続く扉から微かに視線を感じた気がして、目を向ける。


『………』


僅かに開いた扉の間から、先輩が無表情でこちらを見つめていた。かろうじて覗えるのは恐らく呆れと怒り、といったところか。少なくともポジティブな感情は見当たらない。

その目から何かを訴えられている。それは分かる。そして何を言いたいのかも。


「………」


翠の動きは緩慢だ。まるで名残惜しむ様に。引き止めてもらえることを心の片隅で期待しているように。


…先輩は何も言わない。ただ見ているだけ。けれども決して逸らさず、どこまでも真っ直ぐに自分を見据えている。


心はとうに理解している。こんなにも情けない自分を、彼女は信じてくれているのだと。


だから


「……すー、ちゃ…翠」

「…はい?」


だから


「あー…」

「兄様?」




「ひ、暇だったら、またいつでも遊びに来るといいんじゃないかな」

「───」

「…お茶くらいなら淹れられるから」


上擦った声。凡そ自分で発したとは思いたくないくらいに。

胸なんて張れない、全くもって情けない有様だけど


「…兄妹、だし…」


だけど、どれだけ歪な関係でも、どんなに離れてしまっても、過ごした時間だけは嘘をつかないから。

あの人が身をもってそれを証明してくれている。

だから、もう少しくらいは格好をつけてもいいだろう。曲がりなりにも兄として。


顔にあっという間に熱が灯るのが自分でもよく分かったけれど、逃げ出したりはしなかった。

眼の前に咲いた満開の笑顔が、くだらない意地なんて全て吹き飛ばしてくれた。


戸惑いがちに小さな頭を撫でながら、もう一度扉を見る。


音もなく奥へと消えていく僅かに見えた微笑みは、どこまでも深い慈しみを宿していた。

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