第8話 これからもどうかご贔屓に

我が学園が誇るマドンナ・真鶴凪沙は文武両道とも呼ばれる通り、運動も中々のものである。


程よく鍛えられた靭やかな肉体が作り出す身体能力は、数多の運動部から引く手数多だったという。


けれど、今のところ彼女はその誘いの全てを断り、あくまで助っ人としてたまに顔をのぞかせるだけに留めている。


『面倒なのよ。どこかを贔屓しちゃうと』


やはり人気というものを持つと、色々と大変なのだろう。

彼女もまた、人知れず苦労しているのだと、それが窺える言葉だった。







「見ろよ藤堂。真鶴先輩だぜ」

「ん?」


ある日の休み時間。友人が外を指さして一人で何やらゴニョゴニョやっているから密かに心の中で憐れんでいたら、どうやら話しかけられていたらしい。


面を上げて、釣られる様に2階の教室から窓の外を見る。


体育の時間だったのだろうか。

体操服を着た上級生達がぞろぞろと校舎へと歩いてきている最中だった。

その中には彼の言う通り、あの人の姿も。


「………」


勿論、例外はなく先輩も体操服。下は流石にジャージだったけれども、汗で上気した肌が何とも艶めかしく、じゃないですね。遠くて流石に見えないですはい。


友人達と笑い合うその顔は、うちで見せる顔とはまるで違う、清廉な笑顔。楚々とした所作が、また彼女の美しさを引き立たせている。

見惚れた友人が何とも間抜けな面を晒しながら、加えてニヤニヤと鼻の下まで伸ばし始める。


「い〜よなぁ、真鶴先輩。清楚で、めっちゃ綺麗。家ではいつもあふたぬーんてぃーとか優雅にきめてるんだろうなぁ…」

「………」




『藤堂くん。面白、君のために優しいお姉さんが激辛バリ硬煎餅買ってきたわ。はい、あーん』




「それで休日には演劇とかオペラとか見に行ってさ」

「…………」




『藤堂くん。君寝ちゃったから暇つぶしにRTAしてたんだけど、出たわ。記録。ぴーす』




「きっと私服、何なら部屋着ですら目茶苦茶お洒落なんだろうな」

「……………」




『藤堂くん。どう?実写のこしあんが描かれた黒Tシャツ。買いね。これ』




「…何でそんな物哀しい顔してんの?」

「現実って残酷だよね」

「は?」


見上げた空はどこまでも晴れ晴れと。

願わくば自分も高嶺に居続けてほしかった気がしなくもないけど、悲しいかな幼い頃から運命は決まっていたということだろうか。いや、運命はカッコつけすぎか。


RTA。RTAて。マドンナの口から出てきて良い言葉じゃないよ。

しかもその日、鏡見たらめっちゃ愉快な落書きされてたし。油性で。何で『凪沙』とか名前書かれなあかんねん。




「…そして、そんな真鶴先輩に目をかけられている幸せ者がいる、と」

「…へぇ、誰だろう」


あ、面倒くさい流れだ。瞬時に察した。

鼻息荒く身体を寄せてくる友人に圧されるように、こちらも上半身を仰け反らせる。

ひぃ、カツアゲだー。


「実際、どうなのよ。真鶴先輩って」

「…どうって?」

「またまたーん」


ふふ、ウザい。


「やっぱり優雅で淑やかな深窓の令嬢だったりすんの?」

「…見たままが全てじゃないかな」

「流石先輩だぜ…!」


あれで何の疑いも持たれないんだから、流石というか。そういやこいつこの辺の生まれじゃないんだっけ。

あの人、小さな頃は大層利発な娘として可愛がられてたんだけどな。それが今では大層奇抜な娘に。やはり現実は残酷である。


「…なぁ」

「どうかした?」

「先輩こっち見てない?」

「え」


彼の言葉にまたまた釣られる様に下を見れば、先輩と他数名の小さな集団と目があった。わきわきと、何故か楽しそうにこちらに手を振る女子達の中で、ただ一人先輩は珍しく困ったように微笑むだけだったけれど。


『─ね…凪沙……あの子…そう?』

『─さぁ…どう…しらね?』


何を言っているのかは残念ながら流石に聞き取れない。…まさかとは思うが、自分の事をあることないこと吹き込んで面白おかしくネタにしているとかではないだろうな。


何だかとても居心地が悪くて、ゆっくりと頭を下げて見えない様に姿を隠す。一瞬、あ。と寂しそうな顔をのぞかせた彼女に気づかないふりをして。

下から何かブーイングが聞こえてきたけれど、それも聞こえないふり。

…いや待てよ。


「…もしかしたら、君に手を振っている可能性もワンチャンあるかもね」


ここは頼もしい我が友にこの場を任せてみようか。撹乱してこの場を誤魔化しておくれ鉄砲玉。


「え………ある、のか……!?」

「俺を信じてみるかい」

「………」


垂らされた蜘蛛の糸は何の価値も生み出さないけど。俺が面白いだけで。


「…ったり前だろ!俺達長年の親友じゃねぇか!!」

「ふぅー↑(棒)」


いや別にそこまでの付き合いないよ。


きらり。歯を光らせて君は笑う。ぱちぱち。僕の乾いた拍手に意味なんて無い。


彼は短い髪を意味も無くかき上げると、キモ…爽やかな笑顔でウィンクを決めて先輩達にサムズアップした。


「どうも皆さ」


『誰だお前ぇー!!』

『引っ込めぇー!!』

『この◯◯がぁ!!』


ブーイングがめっっっちゃ大きくなった。声と放送禁止用語がはっきり聞き取れる程に。

そして彼は膝から崩れ落ちて号泣した。汚いなぁ。

突っ伏した腕の上で、くすくすと耐えきれなかった笑いがもれる。



「さて、行ったかな…」


そして最後にもう一度、気づかれないように僅かに頭を出して集団に目を向ける。


「げ」


だがしかし、既にこちらに興味を無くして歩き出す先輩方の中でただ一人、未だにこちらを見ていた真鶴凪沙と目があった。


彼女は悪戯ちっくにウィンクすると、取り巻きに気付かれない角度で小さく手を振る。


「………」


こちらの動きが完全に読まれていた事が気恥ずかしくて、自分は失礼ながらしっしっと手を払う動作でその場を誤魔化す。

我儘な子供に手を焼く母親の様に、少し困った笑顔で笑う彼女の口元が、何か言葉を紡いでいる。

目を凝らし、そんな彼女をじぃっと見つめる。

ああ、愚かなり。お前は何のために姿を隠したというのか。


「…か…わ…」


…いくない。


…勝手に言っていろ。

人差し指を口元にあてて、もう一度ウィンクをすると彼女が華麗に去っていく。

遅れて集団に着いていく彼女の後ろ姿は、気の所為だろうか、先程までと違って足取りはどこか軽かった。






「ちくしょう…何でお前だけ露骨に贔屓されてるんだぁ…」

「…贔屓?」


未だずびずびと鼻水を啜る情けない負け犬が発したそれは、暇つぶしにその姿を撮影していた俺にとって思いもよらない言葉だった。


誰にでも分け隔てなく接する優しい彼女のことだ。危なっかしい弟分のことを多少なりとも気にかけていてもおかしくはないかな、とは思ってはいたけれど。ただそれはあくまで幼い頃から付き合いがあるというだけで


「…お前気づいてないの?」

「…何が?」

「うわ。うーわ。う〜〜わ」


友人は呆れ果てた顔で、言葉にし難い何ともむかつく動作を繰り返す。何やねん。


「俺、先輩の味方だわー…」

「知ってるよ」

「そうだな。知ってはいるよな」


…何やねん。何でそんな微笑ましい顔で頭を撫でられなければいけないのか。ていうか、鼻水付いてねぇだろうな。

流石にイラッとしたから、撫でる手をとって見様見真似の真鶴流52の関節技を決めてみたけれど、こいつはどこ吹く風でヘラヘラ笑うのみ。


「………」


彼女の先程の笑顔。そして家で見せる、また異なる笑顔。それらが入れ替わるように頭を過っていく。

先輩と後輩。姉と弟。そして幼馴染。

果たして彼女にとって、自分はどんな存在なのか。

そして自分にとって、彼女はどんな存在なのか。


ただ一つ分かることは、俺達は互いに居場所であるということ。

それだけは違えないから。


けど、何とも思っていない奴にそんな事を言うわけないことくらい、鈍い俺でも流石に分かる。


「いや、でも……あんなに小さい頃だしなぁ……」

「藤堂、流石にそろそろ、藤堂、とーどー君。折れる折れる折れるおれる」

「…自惚れてもいいのかなぁ…」

「駄目。今は駄目よ。目を覚ましてれんきゅん」


まぁ何だ。…考えたところでよく分からないけれど、今日はあの人の好きなお菓子でも買って帰ろうかな。どうせ来るだろうし。

絶対に本人に言うわけはないけれど、子供の様に顔を綻ばせるあの人の顔は、見てるこっちも幸せにならないこともないから。


「あばばばばばばば」


こいつのお顔は見てるこっちをこんなにも不快にしてくれるのになぁ。

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