第11話 いつか素直に

我が学園が誇るマドンナ・真鶴凪沙は料理も上手である。

小さい頃からその手は、それはそれは美味しい料理を作りだし、一人の幼い少年の舌を何とも贅沢に肥えさせてくれた。


美味しい、そう、最早それ以外の感想など何も浮かばない完璧な料理はどこまでも完璧というかぺきかんでパーフェクトで…、そう完璧。だから、美味しい以外浮かばなかった。何故か。


けれども最近、何かが出てきそうな気がしてきている。美味しい以外の言葉。霧のように霞んだ何かが美味しいの向こう側に…。


敢えて言葉にするなら、……温かい?


………。


…いや、料理なんだから当たり前やないかい。







「藤堂くん」


それは飲み物を買った帰り、近道でもするかと何気なく裏庭を通り過ぎていた時のこと。


横から声をかけられた気がして振り向けば、ベンチに綺麗な姿勢で座る真鶴先輩が楽しそうにかもかもと手招きをしている。

呼んでいるようだしと、何を思うでもなく彼女の傍へ。


「何でしょうか」

「素直に来る様になったわね。最近」


……………。


「失礼します」

「はいはいごめんね待ちなさい」


即座に右回れして立ち去ろうとすれば、シャツの裾を引っ張られ、憐れ藤堂はベンチの上へ。木製とは思えない柔らかい感触がとても心地よく


「お」


柔らかい、感触が、とても、心地よく。


「…いやーん」

「っ!!!!」


何とも棒読みな恥じらう声が聞こえると同時に、光速で立ち上がろうとした膝の上に乗っかった高校男子を、逃がすまいと即座に拘束する高校女子。何か技でも使っているのかと疑るくらい、何とも軽い動作で全身が絡め取られる。これがAIKI?


「大胆ね?」

「大惨事!」


こんなところ誰かに見られようものなら、明日から自分はもれなくバカップル、最悪変態の烙印を押されることになる。というか普通逆だろう。

冷や汗をダラダラと流す自分に構うこと無く、先輩は背中に顔を押し付けると大きく息を吸い込んでいる。やめてよ。マジで。


「うーん。懐かしい。思い出すわ。昔」

「俺は今この瞬間を思い直してほしいんですが」

「大丈夫よ。この時間、 人来ないから」


俺の意思は?

最近、あんな夢を見てしまったからかこの体勢は色々と思い出してしまう。彼女の柔らかい腕、何もかもを包みこんでくれる笑顔。それはあの日の想いをもう一度想起させ─


「すぅ〜〜〜ふぅー……ふふふふ……」


─何でこんななっちゃったかなぁ。

どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。いや、お前だよ。


これがもし、ゲームであればコントローラーを破壊する覚悟で全力でスティックを回すものだが、これはどうやら脱出不可能なぶっ壊れ技らしい。早急にアプデしてほしいものだ。


「ふんっ」

「ああん…」


万一にでも怪我しないよう、細心の注意と共に何とか拘束を振りほどいた。名残惜しいのか、いやに艶めかしい残念そうな声をあげる先輩に言いたいことはいくらでもあるが、あいにくこちらも暇ではないのだ。

教室に戻って寝る…じゃない、勉強…うん。予習しよう。5分位で力尽きる気がしなくもないけど。もっとやる気出せよお前。


彼女の前に勇ましく立って向かい合う。この人を見下ろすのは何だか新鮮だった。


「…真鶴先輩、こんなことばかりしていると誤解されてしまいますよ」

「………へぇ。例えば?」


そして、100%の善意から苦言を呈すれば200%の不服顔で返された。

何で不機嫌そうなんですか。手を組み脚を組み、何とも威圧感ましましで彼女は続く言葉を待ち受ける。だから際どいんですって、脚上げないで。


「だから、その…自分と先輩が付き合っている、とか…」

「ふーん…」


赤の他人に騒がれたところで何か問題でも?そう言わんばかりのつまらなそうな顔を隠そうともしない。絶対零度の淀んだ瞳は、少なくとも学園のマドンナがしていい顔ではない。

それとも、何か別に気にいらない理由でもあるというのだろうか。


「それに先輩にはもっと相応しい人が」

「蓮」

「……はい」

「怒るわよ」


全身から血の気が引いた。

何でかって?いつの間にか振り上げられた足が自分の急所すれすれで寸止めされているからです。


眉を顰めた先輩がぽんぽんと隣を叩く。観念したように隣に座り込むと、前を向いたまま先輩が口を開いた。


「自分を卑下するのは止めなさい」

「…そんなつもりは」

「言い切れる?無いだなんて」


静かに口を噤む。少なくとも、自分が隣にいることで彼女の”価値“が下がるのではと、思わなかった事が無いとはいえないから。


けれど、それでも彼女は傍にいる。あの日の言葉通りに。

あまりにいつも通り。騒ぎ立てられても悠然といなすものだから、いつの間にか周りから変な目で見られることも少なくなっていた。それ程までに彼女は自然体だった。

それがどうしようもなく、羨ましかった。この人のようにあれたなら、自分もあの人達とも上手くやっていけたのだろうかと。


「私は価値を求めて何かしているわけではない」


「君も、自分の価値を自分で勝手に決めつけないの」

「…そんな勝手な」


そう。泰然自若で分け隔てなく優しいから、人に慕われる。そして人気が集まり、背中はどんどん遠くなる。かつて感じたその懐かしさは、また彼女との距離を


「君は私の“唯一”よ。どこにもいないわ、代わりなんて」

「………」


…なんだってこの人はこんなにも自分が欲しい言葉をくれるのだろう。自分は何も返してなんて出来ないのに。


「いてほしい。それだけじゃ、嫌?」

「…そんな訳…」


「……ま、理解しているけれど。少し強引なことは」

「何か言いました?」

「ううん」


くしゃくしゃと小さな手が頭を撫でる。何か誤魔化されたような気がしなくもないけど、今は不思議とそれを撥ね付ける気にはならなかった。そして、それを感じ取ったのか、先輩の顔はどんどんご機嫌にニヤけていく。


「お可愛いこと」

「もう勝手にどーぞ…」

「あらいいの?嬉しいじゃあこの柔らかい胸の中で思いっきり抱き締めてあげ「失礼します」

「はいはいごめんね待ちなさい」


顔が熱い。


見られたくなくて、勢いよく席を立つ。それすら恐らく察しているのだろうな、という生易しい彼女の声がこれまた感情を逆撫でしてくれるけれど、どこか安心した、というのも紛うことなき事実だった。


前だけを見て歩んでいたかつてのお姉ちゃんも成長し、もう一人で歩くことはしないらしい。立ち止まって、振り返ることを覚えた。

ふらふらと、危なっかしいクソガキが放っておけないからだろうか、なんて自分勝手な願望だけど。


当たり前のことだけれど、自分も彼女も昔とは違うのだ。けれど、当たり前のことだけれど、変わっていないところがあるのもまた事実で。

それを感じ取った時、胸の中がどうしようもなく温かくなる。綻ぶ顔を毎度抑え込むのに必死だ。何とも情けない。


「分かったわ。真面目くさい話はおしまい。ほのぼのしたお話をしましょうか」

「それこそ勝手にどーぞ…」


力尽きる様にもう一度ベンチへ。


…いつかまた、この人を凪姉って素直に呼べる日が来るのだろうか。

でも何故だろう。そう思うと胸の中で何かがもやもやする。

何だろうな、こう、素直にっていうのは


「『凪沙』」

「…え」


なぎ…


「この世界にナギナギを冠する人間って一人でいいわよね」

「…………」

「……どうかした?」

「…いえ、世のナギつく人に謝るなら今のうちですよ」


呼ばれてる覚えないけど柳沢◯悟とか、柳◯光とか。


……もうちょっと、落ち着きほしいかな。いや、落ち着いてるんだけど落ち着いてないというか、もうちょい素直に。もやもやどっか吹きとんじゃったよ。あほらしすぎて。


「上等。返り討ちにしてくれるわ」

「なぜそんな好戦的なんですかね」

「妖刀・凪刺(なぎさ)は血に飢えてるわ。今宵」

「へー」

「見せてあげるわ。二の太刀・日柳(くさなぎ)」

「失礼します」

「あ、ごめん、まって、うそ。おねえちゃんじょーく。いかないで」


うん。やっぱりもうちょっと変わってほしかったかな。この辺は。


子供の様に笑う自分に、愚かにも欠片も気づかないまま、呑気にそんなことを思うのだった。

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