第6話 N・O・T・Y

我が学園が誇るマドンナ・真鶴凪沙は聡明なイメージに違わず手先も器用である。


ある日、風邪を引いた自分の為に鼻歌交じりに林檎を兎の形に剥いてくれたことはまだ記憶に新しい。


因みにリアルな兎である。頭からかぶりつきなさい。豪快に。と言われた時は果たしてどうしたものかと。







「今日も今日とてゲーム。いい度胸してるわ小童」


学校終わりの花の週末。

呆れた様な声を背に、何となくだらけることもせず背筋の伸びた姿勢で自分は黙々と画面と向き合っていた。


「…明日休みなんだからいいじゃないですか」


ちゃんと課題は終わらせているし、押しかけてきたのはそっちのくせに。

『行くから。今日』とかいう抜き打ちテストみたいな言葉をいきなりすれ違いざまに放課後かけてきたくせに。

毎度毎度掃除するのも楽じゃないんですから。そんな散らかさないけど。


「こんなに大人で清楚で可憐で妖艶でナイスバディでナウなヤングのお姉さんがいるのに。ベッドの上に」

「………」


ナウ…?何語?自己評価高いなこの人。

自分の胸を持ち上げて謎のアピールをしているのがチラリと見えたけれど、多分触れたら色々とアブナイ気がする。色々と。


後ろからしなだれかかられ、拗ねた様な声と共に両肩から手が前へと出てきたけれど、無視。…ちょっと今重要な局面だから。集中したいから。


「…もう。あんまり意地悪するようなら」

「………」


伸びた手が首を包む形で顎へとそっと添えられる。後頭部に感じる微かな温もりと、ふわりと香る心地良い匂いが何とも集中力を削ぎにきてくれる。しかし自分は屈しない。負けられない戦いがここ(画面)とここ(後ろ)にある。


先輩はそのまま耳元へと唇を寄せて


「かましちゃうんだから。メレー」


可愛らしい声音から想像できない物騒な発言飛んできちゃったよ。


「ぶちこむんだから。処刑」


しかも即死技。

かりかりと、ペットを可愛がるように人差し指で顎下をくすぐってくるその嫌らしい攻撃に、ついには自分の華麗に操る主人公は膝を屈して。


「あらあら可哀想に」

「ぐっ…」


泣けるぜ。何て言わないけれども、可哀想にしたのは貴方なんですけどね。

動揺さえしなければ勝てたんですけどね。もうこんなんワンパンですし。


「いいわよ。コンティニュー」

「…どかないんですね」

「好きでしょ。縛りプレイ」


物理的な縛りはいらないなぁ。

さりとて気を取り直し、決定ボタンを押して、もう一度死闘の場へと踏み出した。

気の所為だろうか。心なしかさっきよりも後ろの柔らかい感触が強くなっている気がする。何かご機嫌に身体を揺らす気配も伝わってくる気もするし。  


…気の所為だろう。いざ。




………。




「また外した。焦りすぎよ」






「右から来てるわよ。敵」






「判断が遅い」






「へなちょこ」

「うるさいなぁ!!」


画面には既にゲームオーバーの無機質な文字が浮かび上がっている。


耳元でちくちくちくちくちくちくと、姑かってんだ。

いいじゃないですか、下手の横好きだってえ!!

最近のゲームは色々とスキルを要求されるんですよぉ。


「駄目よ。若いうちからばんばん撃つゲームばっかりやってると」

「はっ。ご心配なさらずとも自我はとっくに完成されています」


思わず皮肉増々で反射的に笑ってしまった。

またお母さんみたいなお説教を…。それこそ必要無いではないか。された覚えも無いが。


「と、いうわけで目の前の有象無象より、今ここにいるお姉さんを構いなさい」

「どういうわけで?」


ぎゅ。回された手の力が強くなった。


「変わるのよ。若いうちに。私無しでは生きられない身体に」

「結構です」

「ここで構っておけば間違いなしよ。ナギサ・オブ・ザ・イヤー受賞」


どうせクソゲー待ったなしですよ。『凪姉(仮)』みたいな。

自分の反応がお気に召さなかったのだろう。自分の頭頂部に顎を乗せると、先輩は何とも面倒くさげに溜息を吐いた。ぬるい風がつむじへと伝わってくる。


「…仕方ないわね。なら、私が君より高評価出したとしたら、どう?」

「はぁ…?」

「構ってくれる?」


本気で言っているのだろうか。自分が苦戦する様なゲームをこの人が?

頭を使うパズルとかならまだ分からなくもないけど、アクションは流石に向き不向きがあると思うんだけど。


「…いいですよ。ま、出せるものならですけどね。」


まぁ、それで我儘が減るなら安いものか。

コントローラーを上に掲げれば、横からにゅっと伸びてきた手がそれを取って静かに構える。

………いや、何で自分を抱き込んだまま始めるんですかね。


「………お手並み拝見ですか」

「よしなに。大丈夫よ」




「見て、覚えたから」











「はいSSランク」

「」


何とも軽い感じで先輩がコントローラーを置いた。

画面には世界と比べても負けず劣らずの数字が表示されている。

おかしいな。自分が操っていた時はあんなにスタイリッシュな動きしてくれなかったのに。

一発も狙いを外さず、一度も攻撃をくらわないなどと、これはあれか。チートってやつですね。間違いない。


「それじゃあ、何してもらおうかしら」

「………」


処刑、いや死刑宣告が刻々と迫る。

前に回った先輩は、人差し指で自分の顎をくいっと持ち上げると、妖艶に微笑んだ。


「とりあえずはお姉ちゃんとの本日のデイリーミッションね」

「え」


そして頭やら顔やらを撫でられる。

さっきまで妖艶だったくせに、今度はうってかわって幼い子供のようにニコニコとご機嫌に笑う彼女の心中はさっぱりと読めなくて。


「駄目よ。ログインボーナスだけで済ませては。貯まらないから。お姉ちゃん石」

「何を回せと」

「まわすだなんて。最低」


…何が?…何が!!?

突如、めきめきと嫌な音が頭に響く。…何でいきなり笑顔で顔面アイアンクローされてんの!?さっきまでのほのぼのシーンどこ!?


「冗談よ」

「………」


冗談で済む力加減じゃなかった。

分かっていたことだが、彼女は決して怒らせてはいけない。また腰の入った右ストレートを食らっては溜まったものではないのだから。


「じゃあ、君の番ね」

「は?」


暫くされるがままになっていたけれど、突然その手を引っ込めたと思ったら、先輩はそんなことを言い出した。

ほんの少し顔を上げて、まるで全てを委ねるかのように目を瞑っている。


「ん」

「………は?」


「ん〜」


いつまで経っても動かない自分がお気に召さないのか、チラチラと片目を開けて謎の合図を繰り返す先輩。

まさか、ひょっとして。ひょっとしてなのだろうか。いやまさか。だけど、いいのか。行っていいのか。行くのか、蓮。


「…………」

「っ」


意を決して、心の片隅でぶん殴られる覚悟を決めながら、自分は先輩の頭に手を置いた。

瞬間、腹に力を入れてボディブローに備えたけれど、先輩は何も言わない、動かない。静かに次を待っている。


ならば間違いではないのだろう。

ゆっくりと、ゆっくりと置いた手を動かして彼女を撫でる。


「っ………ふ………」


心地よさそうに表情を緩めて、身を委ねる先輩。

暫くその時間は続いた。無言で撫で続ける自分と、無言で撫でられる先輩。傍から見てて訳が分からないけれど、安心してほしい。自分も分からない。


「………」

「っ!」


物足りなくなったのだろうか。少し前からすりすりと自ら頭を擦り寄せていた先輩が、静かに自分の手をとると、今度は頬を擦り寄せてくる。

仄かに染まった頬は、その色に違わず僅かに熱を持っていた。


「…大きくなったわね」

「……そりゃあ…、まあ…」

「ふふ、昔はあんなに小さかったのに」

「………」

「……本当、可愛くないわ……」


言葉とは裏腹に、顔はどこまでも安らかで。

擦り寄せていた手を前に抱き寄せると、指を一つ一つ確かめるように、丁寧に先輩が触り始める。

指と指の間までねっとりじっくり、果ては自分の指まで絡め始めて。

耽美というか淫猥というか、なんて落ち着かない時間なんだろう。視線が右へ左へ、忙しなく泳ぐ。


けれどこんなに嬉しそうな、過日を懐かしむような彼女に口を挟むことなんて出来るはずもなく。




─……疲れるのよ。『優等生の真鶴凪沙』を演じるのは─


「………」


何故か今、こないだのあの言葉がふと、頭を過ぎり。

だからだろうか。この人が楽しいならそれでもいいか、だなんて。

それは弟として姉を想う心か、それとも──




結局、彼女が我に帰るまでひたすらなすがままにされるのだった。











「……先輩。そろそろいいですかね」

「そうね。デイリーミッション達成よ。お疲れさま」

「…………ん?………デイリー?」

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