第5話 悪趣味と意地悪と
我が学園が誇るマドンナ・真鶴凪沙は芸術も達者である。
一歩間違えばキュビズムともとられかねない斬新な作風は数多の好事家気取りを魅了して。
遠い昔、俺が生贄として彼女の独特な感性の爆発に付き合わされた甲斐があるというものだろう。
あの時見せられた絵に、成長した今、新しくタイトルを付けるとするならば、そう、
『大叫喚地獄』
■
「これあげるわ。藤堂くん」
ある日、お馴染みとなりつつある部屋で二人で過ごす時間。そう言っていきなり笑顔で手渡されたのはこう…なんというか、何だ、いや何も言えない。何だコレ。本当何だコレ。
「何ですコレ」
「なんか大きくて可愛くないやつ。略しておおかわのキーホルダーよ。可愛い?」
「可愛くないですね」
もうタイトルで答え合わせしてるじゃん。
「世紀末の世界観の中に、作者の性癖なのかたまに差し込まれる、隠しきれないどうしようもなくハートフルな描写が人気の劇画調のゆるゆる漫画よ」
「全くもって可愛くないですね」
「それは主人公の大川」
「大川!?」
目を見開いて、掌に乗せられた着ぐるみみたいなキャラクターを穴が空く程に見つめまくる。身体は愛くるしいくせに首から上が世紀末覇者みたいな面をしているせいで何もかもを台無しにしている緩さの欠片もない許されない存在を。
こいつがワ、ワァ…とか言うの?何もかもが許されないよ。うワァらばとかならまだ許すけど。
「可愛い?」
「びっくりするほど可愛くないです」
「中川か小川の方が良かった?」
「そういう問題でもないです」
「ふふ、可愛くない」
ニコニコと楽しそうに笑う大きくて可愛い方。
何だ。これは善意なのか、悪意なのか、それすら全く分からない。
何故、彼女は学園ではあんなに品行方正・完璧超人なくせに、自分と二人になるとフリーダムナギナギと化してしまうのか。これが分からない。
「私だと思って大切にしてね」
この二頭身ラ◯ウを?先輩だと?もしそんな奴がいたら、グーで殴りますよ。自分。
ええ……。ええ〜……?果たしてどう答えればいいのか、正しいルートが導き出せず、ひたすらうんうんと顔を顰めて唸る情けない自分を、彼女はやけに微笑ましそうに眺めている。
かと思ったらまたニマニマとしだして。
「…やっぱり可愛い」
「…えぇえ…?、本気で言ってます?」
「うん」
本当この人の感性昔から独特だな。成長した今だからこそますます理解できない。
もう一度、手の中の拳王もどきを見つめてみる。
残念なことに、今にも我が生涯に一片の悔い無しとか言い出しそうなその着ぐるみでも愛せる度量は自分には無かった。
■
「………ふふ」
ひとしきり、自分を困らせて満足したのだろうか。
ホクホクした笑顔で人のベッドに背中から倒れ込んだ先輩は、しかし疲れた様に深い溜息を吐いた。
いつもの如く、と言うのもどうかと思うが短いスカートのままあちこち身体を翻すものだから、チラチラと見えてはいけない黒いものが見えたり、見えなかったり、いや見てないです。冤罪です。
「…先輩。あまりはしたない真似は」
「いいのよ。君しかいないのだから」
またこの人は…思わず頭に手を当てる。…どう受け取れというのかと。
「大目にみなさい。多めに見ていいから」
「…自分も男なんですよ」
一度はっきりとさせておくべきかと思い、声を低くして言ったつもりだったが、何故か、先輩は途端に目を輝かせてむくりと起き上がって。
「ひゅー(棒)。狼宣言?来なさい、ばっち」
「違います」
「なるほど。おかずがあってもご飯が無い。つまり、開けろということね。上も。欲張りさんなのだから、レンレンは」
「今日絶好調ですね」
無論、悪い意味で。男らしくネクタイ緩めないで。
追加でもいっちょ困らせたところでご満悦なのか、先輩はもう一度寝転がると大きく腕を伸ばす。すると、すぐにパキパキと小さな音が聞こえてきた。それは疲労か、肩こりか。深い意味は無いけど。
そして存分に伸ばした腕を投げ出して、暫し呆けた様に、静かに天井を見つめていたかと思うと、ポツリと口を動かした。
「………疲れるのよ。『優等生の真鶴凪沙』を演じるのは」
「………」
それは今までと全く異なる深く、深く沈んだ声。深淵の中で発せられるような重苦しい声は、紛れもなく彼女の本心なのだろう。
緩やかに、けれど確かに、仄かに色づく頬と潤んだ瞳で先輩が俺を射抜く。どこまでも艶美なその顔から目を離すことなど、できる訳がない。
「…君の前だけなの。『私』が『私』でいられるのは…」
「……な、…先輩………」
「……蓮………」
「こないだカラオケ大会ではっちゃけてたんですよね?」
「何のことかしら」
忘れたとは言わせないぞ。何なら戻るボタン一回押してみろってんだ。
「嘘よ。冗談。お姉ちゃんジョーク。私が舞台上で叫ぶ訳無いでしょう?」
「あり得るとは思ってますよ。大いに」
「審査員側だから。私」
あ、そうだったんだ。まぁそれならおかしくは…いや、普通にはっちゃけてるよ審査員側でも。騙されないよ、自分。
…ん?
「あの、それならあのスーツは?」
「………」
あのコスプレじみた際どいスーツ、確かカラオケ大会の景品って言っていたような。
「………(ニコッ)」
何か言ってよ。
「大丈夫よ。未使用だから」
「その心配はしてません」
何故持っていたかを知りたいだけです。
「だって君、好きでしょう?女教師」
「……………、…………?……???」
何のことだろうか。全くもって分からない。いや、本当に。まじで。
俺別に好きじゃないよ。女教師。どっちかって言うと幼馴染とか、お姉さんの方が好きだしいや何でもない。
視線だけをチラリと動かしてベッドの下を見る。いや見ない。そういったものは全部データにあるだろうが。でもおかしいな。空調壊れちゃったのかな。汗が止まらないや。
続いて恐る恐る彼女の目を見る。心なしかこちらを責めるような彼女の瞳に優しさは無い。
「何のことでしょうか?一体」
「何のことでしょうね?一体」
その顔は目以外はどこまでも笑顔。
…いやいやちょっと待てよ。
そんな、自分が好きだからわざわざスーツを持ってきたなんて、そんなの絶対おかしいよ。だってそんなの、まるでこの人が俺のために
「はい」
「え」
と、先輩の軽い声と同時に携帯がメールの着信を知らせる。
どうぞ、という彼女の手に導かれる様に、訝しながらもゆっくりと画面を起動して
「ぶっ」
吹き出した。
メールに添付されていたとある画像を見て。
何とも際どい、いや際どすぎる女教師の自撮り画像を。
「大切にしてね?」
「……ぉ………」
何という。指が勝手に画像を保存し、いや、駄目だ。これは流石に一線を超えている。
ここははっきりと、ビシッと、男として決めなければならない。
彼女と正面から向かい合って、背筋を伸ばして、自分は決意と共に口を開く。
「いい加減にしてください先輩」
「……」
「何をしてもいい訳ないんです。俺にも我慢の限界というものが」
「私は我慢したのに。何年も」
「………」
幼馴染として秒で敗北した。
ダラダラと、冷たい嫌な汗が背中を流れていく。
彼女は一歩分、距離を詰めて自分の顔を覗き込んでくる。
「また破るの?約束を」
「……っ……」
その果てしなく暗い目に、何もかもを呑み込まれてしまいそうで。
思わず顔をそらした。情けない。先程の威勢は何処へといったのか。
また一歩。彼女が距離を詰める。既に鼻先が触れ合うのではないかという至近距離で。けれども彼女の顔に照れは無い。寧ろ感情が無い。ごっそりと抜け落ちている。
「約束したのに。互いが互いの居場所になるって」
頭を鈍器でぶん殴られた様に、鈍い痛みがガンガンと広がっていく。
「俺は、」
言葉が紡げない。フルフルと情けなく震える唇は、どこまでも役立たずだった。
「……ふぅ」
小さな溜息と共に、更に距離が詰められた。
彼女の顔は自分の顔を通過して耳元へと寄せられる。
「でも、そうね。ちょっと意地悪しすぎたかしらね」
「………」
身体が優しい温もりに包まれた。
あの日の屋上と何も変わらない温もりに。
「ごめんね、蓮。私も少し苛ついていたのかも」
「いえ…」
頭を撫でる手に、苛つきなど欠片もない。満場一致で自分が悪いのに、それでも温かく接してくれる彼女の優しさがどうしようもなく辛くて、嬉しかった。
「そうね。焦らなくていいものね」
「……焦る?」
「こっちの話し」
「うん。さっきの写真はやりすぎたわね。貸しなさい。消すから」
「え」
携帯に向かって伸ばされた彼女の手を、俺の腕は勝手に避けて…
…………。
……………?
「「………………」」
あれぇ。
「まぁ、………いいけど、…別に。いいけどね…」
お互いに暫し呆けた後、先輩は怒ったような、照れた様な顔で俺を睨みつける。
尖らせた唇が普段は感じさせない彼女の年相応さを浮き彫りにして。
「いや、これは、違」
「……大切に使いなさいね」
「違うんですって!!」
何で嬉しそうなんですか!
その後も、誤解を解くべく俺は必死に彼女に詰め寄って訳の分からない言葉を並び立てる。そして彼女は涼しい顔でそれを受け流す。
まぁ結局、その写真が消されることは最後まで無かった。
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