第2話 五分前の自分

 谷山ちひろは、吉岡かえでと同じK大学の文学部に所属していた。彼女は、文学部で歴史を勉強していたが、かえでと同じようにひそかに、SFが好きで、よく本屋に出かけていた。

 K大学から電車で十分ほど乗ったところがすでに、H県の県庁所在地であるKす市の中心部になり、そこには、巨大な本屋が数軒あった。しかし、昨今のネットの普及によって、電子書籍に移行しつつあったので、小さな本屋はほとんど消えてしまい、大きな本屋の方も、いつどうなるか分からないという様子でもあった。

 休日は結構賑わっているが、平日の昼間などは、ほとんど客がいないという状態で、これは本屋に限らずのことであるが、街に出かけても、高校時代のように、本屋やCDショップがどんどんなくなっていくのを感じていたのだ。

 だが、まったくなくなるということもなく、最近では、気のせいかも知れないは、集客も戻ってきているような気がするので、少し安心していた。

 もっとも、人込みは嫌いなちひろだったので、これくらいの人出がちょうどよかった。

 大学生になると、平日の昼間から時間が空くので、何も無理して休日の人の多い時に出かけてくることはない。そういう意味で、平日も昼間出てきたら、夕方までいることはない。それまでに帰ってしまえばいいことであった。

 その日は、本屋で、いつものように、SF小説を物色していた。文庫本のコーナーには、相変わらず、人はそれほどおらず、まったりと見ることができた。

 昔の本屋がどんなものだったのか、実際に見たことはなかったが、本好きの父親から教えてもらったことがあった。

 あれは、中学の頃だっただろうか。家族で街に出かけた時、それぞれに別行動を取ったのだが、母親はブティックや、化粧品の店を回っていたが、まだ中学生のちひろには、少し早すぎて、しかも、化粧品やのあの臭いには耐えがたいものがあり、父親と一緒に本屋に訪れることが多かった。

 そもそも、SF小説が好きなのは、父親の方だった。

 今から、十年ほど前のことになるのだが、父親は、元々ミステリーが好きだった。

 それも、昭和初期くらいの、レトロな小説で、

「探偵小説」

 と言われるような小説だった。

 戦前戦後の混乱期の探偵小説はそれぞれに特徴があったという。

「戦前というのは、日本の区には大正末期に起こった関東大震災の影響が残っていて、さらに追い打ちをかけるような世界恐慌、そして、軍部による暴走などの混乱期だったこともあって、探偵小説も暗いものであったり、猟奇的なものが多かったんだ。いわゆる、変格探偵小説と呼ばれるもので、その最たるものが、耽美主義のような、とにかく美を追求するという話が多かったんだよな。だけど、時代は次第に戦争に突き進んでいくことになるだろう? そして、戦局が危うくなって、次第に軍や政府が国民生活を抑えつけるようになる。そうなると、国家による検閲が激しくなって。殺人事件などのような小説は、発禁になったりしたんだ。それで、当時の探偵小説家は、小説が書けなくなったり、他のジャンルのものを書いたりしていたんだよ。だから、普段は探偵小説しか書いていないはずの作家の作品の中に、時代小説があったりするのは、その戦争中の検閲を受けていた時代のことなんだ。そうでもしないと、食っていけないからな」

 というのだった。

「なるほど、そういう時代があったんだね」

 と、ちひろがいうと、

「うん、そうなんだ。お父さんもそんな時代に生きていたわけではないので、聞いた話なんだけど、そのせいもあってか、戦後になれば、検閲はなくなったんだけど、時代が占領下ということもあって、食うや食わずのその日暮らしの時代になってきた。何しろ、空襲で焼け出され、住む家もない人が溢れていた時代だったから、探偵小説はどうしても、ドロドロしたものになるんだ。だが、お父さんはそんな時代の小説が好きだったんだよ。お父さんが育った時代とも、今の時代ともまったく違う。想像を絶する時代の小説だからね。まるで、歴史を読み解いているような気分になって、新鮮な気分で見ることができた。そんな時代に、有名な探偵も数人出てきて、日本の三大名探偵なんて言われていた時代があったりしてね。そのブームが戦後二十数年が経って、出てきたんだよ。その時は、映画やドラマになって、一大ブームだったよな。本屋にも、一角にその探偵のコーナーができたりして、本当にすごかったんだ。今からは考えられないようなことだけどね」

 というのであった。

「本屋も、以前とはだいぶ変わってきたんでしょうね?」

 と聞くと、

「ああ、そうだよ。昔の本屋というのは、有名な作家の本は、ほとんど全冊本棚に並んでいたものだよ。でも、今は本屋にいけば、昭和の時代に大ブームを巻き起こした作家の本が百冊くらい並んでいたのに、今では五、六冊がいいところなんだよな。でも、売り場面積はそれほど変わっているわけではない。それだけ、新しいジャンルの本が増えてきたということなんだろうね? ライトノベルとか、ケイタイ小説、そして、異世界ファンタジーと呼ばれるような小説が増えてきていることが大きな原因ではないかと思うんだ。本の表紙もだいぶ変わったよね? 昔は写真や、イメージ画像のようなものが多かったけど、今の本は、マンガチックなものが多くて、一見、マンガ本じゃないかって思うような本が並んでいた李するんだよな」

 と父親がいうので、

「確かにそれはあると思うわ。今は、単行本と呼ばれたマンガの本が、文庫本サイズになって置いてあることもあって、文庫本のコーナーに置かれているものだから、文庫本には、フィクション小説と、ノンフィクションのような小説。そしてマンガ本と、それぞれが置かれているのよね。昔はそんなことはなかったんでしょうけど」

 というと、

「昔は、マンガと言えば単行本しかなかったけど、最近は、単行本でもあるけど、文庫本のような小さなものも結構あるんだよね。これって経費節減とかの観点からなんだろうかな?」

 と父親がいう。

 ハッキリとしたことは分からないが、確かに昔とは本屋の感じは違ってきているようだ。

 どちらかというと、あまりマンガを見る方ではないちひろは、今の本屋のレイアウトに満足しているわけではない。

 正直にいうと、昔の方が、探したい本を見つけるのが早かった気がする。

 そこまで劇的に店内のレイアウトが変わったわけではないのにどうしてなのだろうか?

 やはり自分が気に入った本を、見つけにくいように感じるからなのか、一人の作家の本が少なすぎて、本当にお気に入りの作家になるかどうかも怪しい感じがするからではないだろうか?

 そんなことを考えていると、特にSF小説というのが、あまり最近では、ちひろの好きなものがないのは、懸念するところであった。

 SFというよりも、ファンタジー、しかも、異世界モノが多くなっているのは、憂慮に堪えないと思っている。

 異世界ファンタジーというと、どうしても、ゲームとの連動を思わせる。しかも、アニメとなって、テレビなどで放送していたりもする。

 小説が原作となって、それがアニメ化し、テレビになっているというのもあるかも知れない。

 ただ逆にテレビドラマの実写モノは、最近ではそのほとんどはマンガが原作であり、小説が原作のドラマや映画はほとんどなりを潜めたといってもいいかも知れない。

「確かに、マンガという文化は日本独特のものがあり、日本の代表する文化の一つなのだ」

 と言っている人もいるが、ちひろにはそうは思えない。

 マンガというと、どうしても、絵に目を奪われてしまい、元来小説の醍醐味である、

「想像力や、妄想」

 というものが羽ばたく余地がなくなっているのではないかと思えるのだった。

 想像や妄想ができないと、いくらマンガで著しているとしても、それは膨らみや伸びしろというものがまったくない、いわゆる、

「遊び部分」

 ともいえる、ニュートラルな部分がないことで、イメージが凝り固まってしまうのではないだろうか。

 特に父親も話していたが、

「小説を読んでいて、自分の知らない時代だったり、世界を妄想することが、小説を読む醍醐味だ」

 と言っていたその言葉に、ちひろは感心していた。

「その通りよね。マンガなどは、確かにビジュアルに訴えることで、読者が余計な想像をしないという意味で、作者本意のものとなっているので、それが読者による作品を妄想という形で大きくすることができないんだわ。それが結局、作品の幅を小さくしているということに気づかないのかしら?」

 と思っていた。

 確かにマンガでも、リアルな描写ではなく、想像力を与えるようなものはあるが、どうしてもマンガのジャンルによって、皆同じ顔に見えてくるのは、どうしてだろう?

 マンガこそ、オリジナリティが失われていく最初の牙城だったのかも知れないと感じるのだった。

 そんな本屋で、その時見つけたSF小説が、気になるないようだった。本のタイトルは、

「五分前の女」

 という話だった。

 作家の名前は聞いたことがなかった。それも同然といえば当然、その作品がデビュー作であり、ある有名出版社の新人賞受賞の作品で、これから、有望という作家だったのだ。

 本棚の前のひな壇になっているところに、本が山積みにされている中の一冊で、帯には、新人賞受賞と書かれていた。

 アイドルグループの中でも読書家として知られる女の子が、レビューのようなものをしているようだが、そんなことは関係なく、気になったので読んでみることにした。

 二百ページほどの作品で、それほど長くないこともあって、ちひろは一気に読んだので、二日で読み終えることができた。

 今まで読みやすい小説でも、二日で読み終わるなどということはあまりなく、時間を感じずに読めたのは、それだけ小説に嵌りこんで読んだからだろう。

 小説の内容は、SFでありがなが、恋愛小説の様相を呈していた。しかも、その内容は純愛ではなく、ドロドロとした愛欲系のもので、不倫や異常性癖をテーマにしたものであるだけに、性描写は結構濃厚なものだった。

 そういう意味では、少し読みながら、想像を絶するところがあり、

「本を読むのに、こんなに疲れを感じたのはなかった」

 と思ったほどだった。

 その疲れを感じた部分は、小説の内容ではなく。そのところどころでのシチュエーションであった。

 愛欲にまみれた話なので、想像を絶する場面を妄想することすらできなかったのだ。

 だが、内容的にはどんどん引き込まれていき、最初はあれだけ、

「五分前の女というのは、どういうことなのか?」

 と考えていたのに、何かはぐらかされた気がした。

「五分前の女」

 という発想には、ちひろ自体が感じている思い込みがあり、実際にその内容を思い出してみると、

「なるほど」

 と思える部分も多々あったのも事実だった。

 五分前の女というと、自分の前にいつも現れる女で、その女は、実は自分、あるいは自分ソックリな人間だという。主人公には彼氏がいて、彼氏の部屋にいくと、彼は優しく迎えてくれるのだが、最初は驚いた顔をしていたのだが、その理由について、彼は何も言わなかった。

「聞いてはいけないことだ」

 と主人公は感じたので。聞いてみなかったが、あまりにも毎度のことなので、さすがに聞かないわけにはいかなかった。

「あなたは、どうしてそんな怪訝な顔をするの?」

 と聞くと、彼はさらに表情を歪ませて、

「何を言ってるんだ。君だって、何で、何度もそんなに帰ってくるんだい? 俺が止めても君はいつも出ていくくせに」

 というではないか。

「何言ってるの。今来たのが最初なのに。あなたは、その人を抱けなかったことを私のせいにでもして、そのムラムラを晴らそうとでもいうの?」

 というと、さすがに彼も怒って、

「俺が、時間を作っているのに、君はそそくさと帰っていくじゃないか。そして、性懲りもなく、また同じものを持ってくる」

 と言って、彼がワインの瓶を主人公に見せると、まったく同じものをその女、主人公にしか見えないと彼はいうが、その女の持ってきたワインと、今主人公が持ってきたワインを並べると、まったく違うものは何もなかった。

「だけど、ワインの年代は微妙に違うんだよね。五分前の君は、五年前のワインで、今の君は七年前のワインなんだ。どうして違うのか分からないんだけど、酷似しているのは表面だけで、本質的なところでは完全に別人なのかも知れないと思わせているだけなのかも知れない」

 と、彼は言った。

「そこが分からないの。あなたは、その人を最初に見た時、私じゃないと気づかなかったの?」

 と聞くと、

「俺は今も分かってはいないさ。それぞれに俺を納得させてほしいものだ」

 というのだった。

 この男は、何事お相手に任せるタイプだった。他の男性のように相手に変な気は使わない。それが、彼女を却って気楽にさせたことと、それが他の男性にはない彼の魅力だと思ったことで付き合い始めたのだが、まさかこんなことで、彼の欠点が見えてくるなど、彼女にとっては盲点だった。

 それだけ彼は冷静で、何を考えているのか分からなかった。何事も客観的で、悪いのは自分ではないというオーラが醸し出されているのだった。

 そんな時、彼の様子が急におかしくなった。それまでに見せたことのない雰囲気を出してきたのだ。

「どうしたの?」

 と聞くと、

「いや、君こそどうしたんだ? またもう一度戻ってくるなんて」

 と言われて、何を言っているのか分からずに、

「私は今日初めてきたんじゃない?」

 というと、彼はすぐに冷静さを取り戻して、

「そっか。それならいいんだ」

 と、彼女には何がいいのか分からずに、ただ納得するしかなかった。

 だが、その時からだった。彼女が来る少し前に、別の女性がやってきて、何かを届けて、すぐに帰っていくのだ。それが、彼女にそっくりな人間なのだ。

 だから、彼女が何かの嫌がらせでそんなことをしていると思っているようだ。まったく見分けのつかない相手がやってきて、すぐに帰ると、その五分後くらいにまた同じ人間が訪れる。しかも、前に訪れた時と、同じシチュエーションだという。

 彼がそう思って疑わないのは、来ている服が同じで、同じものを持ってくるからだという。

 たった五分で、似た人間が彼女と同じものを持ってくるとしても、服や持ってくるものを前もって用意するなどということはまず無理だろう。

 超能力者でもない限り、そんなことをできるはずもない。もしできたとして、顔を似せることはどうすればできるのか、できたとして、何のためにそんなことをするというのか?

 そんなことを考えると、彼は自分が嫌がらせをされているとしか思えないに違いない。

 ただ、彼としても、なぜ急にそんな嫌がらせをされなえればいけないのか分からない。ただ、考え方を消去法で一番妥当だと思えることにしてしまうと、その結論に至るのは、彼でなくても皆同じことなのだろう。

 そう思うと、もっと、彼女を怪しんでしかるべきなのに、必要以上なことを言わなくなった。今までもそうだったが、冷静沈着な様子は変わらない。だから、何を考えているのか分からないのだ。

 ただ、今の時点では、立場的に彼の方が強いのは分かり切っていることであって、それについて、彼女も何も言えなかった。

 口で対抗しようとしても、適わないのは分かっていた。なぜなら。彼にはこちらが押しても、柔軟なバネのようなものがあり、力を吸収できるようだったのだ。それを思うと、下手に圧しても、跳ね返されるのが分かるので、怒りをぶつけることもできない。彼の言っていることを信じて、その状況を判断するしかなかった。

 そして、彼を見ていると、もうひとりの自分というのが、どんな人間なのかということが分かった気がした。

 必要以上のことはしゃべらず。彼のようなタイプなのではないかと思った。

「私が彼のようなタイプになれないことを分かって、もし彼のようなタイプの自分がこの世に存在したら、どうなるんだろう?」

 と考えたことがあったのを、彼女は思い出したようだった。

 それを考えたのがいつだったのか、ハッキリとは覚えていないが、そのことを考えたとハッキリ意識したことがあったことは自分でも分かっていたのだ。

 そのことが結局、お互いに不信感を抱かせることになったのだが、お互いに別れを切り出すようなことはなかった。

 彼女としても、

「絶対にこの人でないとダメだ」

 と思っているわけではない。

 むしろ、

「タイミングがあえば、その気持ちに逆らわず、一気に別れることだってできるんだ」

 と思えるほどであった。

 だが、今別れるというのは中途半端な気がする。何よりも。もう一人の自分の存在をいかに考えるかということである。

 彼が見たという人は本当に自分なのか? もしそうだとすれば、ホラーのように、生霊のようなものだったらどうなのだろう?

 しかも、必ず五分前に現れるという、そして、すぐに帰るので、彼女が帰ってから五分で、自分が行くことになるというのだ。

 彼女がダラダラしていれば、後からくる自分と鉢合わせになるかも知れない。それだけはあってはいけないことだと思っている。

 彼女は、これを、

「一種のタイムパラドックスのようなものだ」

 と思って、自分なりにいろいろ調べてみたりしたのだ。

 タイムパラドックスの観点からいうと、もう一人の自分は、やはり、自分なのだと思う。そして、前述のような、パラレルワールドが、

「タイムパラドックスの解決法」

 であるかのような解釈をしたのだと書かれていた。

 そういわれると、納得もできる。

 しかし、そもそも、どの時代から来たのだというのか? 同じ次元の別の世界ではすでにタイムマシンが作られていて。そのタイムマシンは、もう一つの世界の自分を見ることができるものだとすれば、

「なぜその人が、こちらの自分に分かるように、あざといことをするのだろう?」

 と考えた。

 考えられることはいくつか浮かんできたが、一番信憑性のあることは、

「何かの危機を知らせようとしているのではないか?」

 ということであった。

 それが、自分だけのことなのか、それとも、この世界、あるいは向こうの世界のことなのかという大げさなものなのかで、大きく変わってくるのだ。

 しかも、よくある話として、別の世界の存在を知ったとしても、それを向こうの世界の人間に知られてはいけないという掟があったとすれば、それを破ってまでこちらに意識させるのだから、もし、自分だけのことだとしても、簡単なことではないだろう。

 ただ、世界全体のことであるとすれば、彼女だけが行動を起こすというのも、何か違う気がするので、きっと、自分だけのことで、何か問題が起こり、それを伝えにきたのかも知れない。

「ひょっとすると、今付き合っている男と一緒にいてはいけないということを暗示しているのかしら?」

 とも、思ったが、その考えはある意味、説得力があるような気がした。

 そこで、彼の性格を顧みることにしたが、そもそも、自分が彼を気に入った理由も、純粋なものではなかった。

 今までの恋愛経験から、

「消去法のような感覚」

 で選んだのが彼だったのだ。

 それだけ、前に付き合っていた彼が粘着退室で、酷い目にあったという意識があったからだったが。それを差し引いたとしても、今の彼は、かなりの変わり者であった。

 何しろ選択方法が消去法によるものなのだから、それも仕方のないことのように思えた。

「世の中には、自分と似た人間が三人いる」

 という話を聞いたことがあった。

 この話は結構有名なのだが、もう一つ、似たような考えで、

「ドッペルゲンガー」

 というものがある。

 主人公は、その言葉を聞いたことはあったが、詳しくは知らなかった。もっともこれは小説を読んでいるちひろにもよく分かっていなかったので、ちひろは、自分で調べてみたのだが、主人公も好奇心が旺盛な女性だったので、自分でも調べてみたようだ。

 それを見ると、どうやら、ドッペルゲンガーというのは、三人はいると言われる、

「似た人間」

 ではないということだった。

 あくまでも本人であり、

「自分自身の姿を自分で見るという幻覚の一つだ」

 と定義されているようだ。

 しかも、悪いことに、そのドッペルゲンガーを見ると、近いうちに死ぬという伝説があるようで、この話は、一種の生霊という考えに近いとも言われている。

 これこそが、パラレルワールドに近いものだといえるのではないだろうか?

「別世界でありながら、別世界ではない」

 という観点を、パラレルワールドは示してくれている。

 それが同じ次元に並行して存在している世界であり、そして宇宙であるという考え方だからで、それは、同じ世界に存在していて、ただ、時間が違っているというだけの、並行世界に似ているのかも知れない。

 しかも、その世界は、たった五分であるが、縦並びに、

「平行して」

 進んでいるのであって、

「決して交わることのない」

 というものなのだ。

 時系列が、すべての人に共通して進んでいるのだから、兄弟の弟が、兄の年齢に追いつけないのと同じで、追いつこうとすると、兄を葬るしかなくなるのだ。

 だが、それは、あくまでも殺してしまうということは、

「別次元に追いやる」

 ということなのか、

「存在を抹殺する」

 ということのどちらしかなく、この世界とは、一切のかかわりを持つことはなくなるであろう。

 ただ、そうやって考えた時、自分がもう一人五分先にいるのだとすると、その人間にもし出会ってしまうとどうなるのだろう?

 どちらか一方が消えてしまう運命にあるとするならば、もし、五分前の自分が抹消されれば、今の自分も存在できないような気がする。しかも、その時に、考えるのは、

「同じ瞬間に消えてしまうのか。それとも、先に五分前の人間が消えてから、五分後に今の自分が消えてしまうことになるのか、それが問題であった。

 もし、一緒に消えてしまうのだとすれば、二人は同次元にいるわけではなく、あくまでも異次元の同じ人間として存在しているわけで、この世界では、虚像として映し出された自分が見えているだけなのかも知れない。

 しかし、死ぬのが五分後であるとすれば、あくまでも、中心は自分自身(もう一人の自分を含む)というわけで、同じ世界に存在している人間として、ドッペルゲンガーのような発想になり、二人が死んでしまうというのは、

「ドッペルゲンガーを見ると、近いうちに死ぬことになる」

 という伝説に合っているような気がするではないか。

 ということになると、同一次元に、五分前を行く女性は存在するということになり、自分も死んでしまうのではないかということで、主人公は思い悩むようになった。

 結果としては、事故に遭って死んでしまうことになるのだが、結果がかなりあいまいだ。事故に遭うということは、偶然なのか、それともドッペルゲンガーの存在によるものなのかということがハッキリと分からない。

 その人と同じような形で死んだ人が他にいて、その人も、自分が死んでしまうのではないかと怯えていたのだという。

 その人は、主人公とは似ても似つかない人であったが、結局は、

「五分間」

 というのがミソであり、この五分間の間に信憑性を持たせるために、お互いが選ばれたのだ。

 どちらが、本当に死ぬ運命にあったのかということは分からない。ただお互いに、五分前と五分後で別々の世界に生きているはずで、別の人間を意識していたのだ。

 だが、ここでおかしなことに気づく。

「では、彼の態度は何だったのだろう?」

 という考えであった。

 彼は、ひょっとすると、このどちらの世界も知っていて、管理している人間だったのかも知れない。どちらもの世界を行き来できるエージェントのような存在で、それぞれの世界の二人を監視していて、それぞれに幻影を見せるために遣わされた人間だったのかも知れない。

 そう思うと、異次元であっても、同次元の並行世界であっても、そのことはあまり変わらないように思う。エージェントが、いかにお互いに信憑性を持たせ、そして、それぞれを意識させることに注意を払ったのか。そしてそこからどのように、市に向かって舵を切らせるかということが重要だったのだ。

 そんな小説を読み終えると、ちひろは、何か寒気を感じ、思わず誰もいないはずの部屋にゾクッとして、部屋を見まわした。

「こんなにこの部屋って狭かったのだろうか?」

 と感じさせ、窓もすべて閉まっているのに、どこからか、隙間風が入ってくるのを感じたのだった。

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