第2話 科学の限界
ちなみに、その近代という時代であるが、江戸時代を、近世と呼ぶこともある。この近世という言葉の意味は、
「統一国家の成立」
ということであるが、ただ、それであれば、豊臣秀吉による天下統一という観点からが近世であるも言えるかも知れないが、ここも難しい判断で、
「豊臣家は一代きりだった」
ということから、本当の天下統一は、幕府成立からと考えると、江戸幕府の成立からが近世と考える場合もある。
つまりは、中世が、狭義の意味での中世と、近世に分かれるという考え方である。
そんな近世から近代を経て、今度は現代ということになる。
現代のキーワードは、
「民主主義」
という考え方である。
しかし、民主主義というものは、近代にもあった。
「大正デモクラシー」
などと言われるものであるが、実際にはそれが定着することはなく、日本が大東亜戦争に敗れたことで、結果的に、
「アメリカを中心とした連合国に押し付けられた民主主義」
だったのだ。
そもそも無謀な戦争に突っ走ったのは、アメリカによる挑発が原因であった。
本来であれば、どう考えても、欧米列強に宣戦布告して勝てるわけはないのだ。それはまるで、義和団の乱の時に、西太后が欧州列強に宣戦布告をしたのと同じようなものだと思っている。しかし、日本にも作戦があった。
「初戦で奇襲攻撃を仕掛け、相手国の戦闘意欲をそぎ、できるだけ有利に戦闘を展開することで、ちょうどいいところで、講和に持ち込み、一番いい条件で和平を無図部」
ということが、日本が負けない戦争を行うという青写真であった。
確かに、大東亜戦争における初戦である、
「マレー上陸作戦と真珠湾攻撃」
は、日本の陸海軍の作戦としては、大成功を収め、三か月で、マレー半島を征服し、さらには、イギリスの要塞があったシンガポールを占領するという快挙もあった。
その勢いに乗って、一番の目的であった、原油獲得のための、インドネシアにある油田地帯を確保できたことで、日本軍は最高潮の勢いだったといえる。
本来ならここで、講和に持ち込めば、少しは有利な条件が結べたかも知れないが、軍部も政府も、ここで戦争をやめようとはしなかった。簡単にいうと、
「勝ちすぎた」
のである。
しかし、その後は、戦線が拡大してしまったことで、補給が難しくなり、混乱していた態勢が整ったアメリカ軍が攻勢を仕掛けてきたこと、一つは、
「ドゥーリットル攻撃隊による、帝都空襲」
というものに、焦りを感じた大本営が、アメリカ軍に無線を傍受されていていて、攻撃目標がバレていたことで、大失敗に終わった、
「ミッドウェイ作戦」
が引き金となって、次第に制空権も制海権もなくなっていき、補給路も像軍も、すべて失敗に終わった。
それが日本の敗北の引き金であり、ある意味、その引き金を引いたのは、日本側だったともいえるだろう。
アメリカの圧倒的な物量作戦もあって、すでに戦略的な戦闘に勝ち目はなくなっていたので、政府はソ連を仲介先として戦争終結を今さら模索するようになったが、それも、時期の問題ではなく、そもそも、ソ連は世界の覇権を考えていたことで、日本というものを、アメリカとの交渉カードとして考えていたようだ。
ヤルタ会談でのスターリンとルーズベルトの密談で、まさか、ソ連が満州を攻略しようなどと思ってもいなかったのだろう。すでに、日ソ不可侵条約はあってないようなものだったのだ。
日本の敗戦を、
「原爆投下」
が一番の引き金だと思っている人も多いだろうが、一番の問題は、和平交渉を頼んでいたソ連に裏切られたことだったのだ。
ソ連がそもそも、この密談に乗ったのは、戦争終結後の世界秩序建設について、ソ連もその一役を担いたいという意識があるからだろうか。特に民主主義陣営との絡みを自分たち共産圏がいかに対抗できるかということが問題だったのだ。
実際にソ連の参戦によって、日本は無条件降伏に至る。それによって、朝鮮半島に、北からソ連、南からアメリカが入ってくるということで、五年後の朝鮮戦争へとつながってくるのだった。
日本国内においては、アメリカが主導での占領計画となった。いわゆる、GHQと呼ばれる占領軍によって、日本は統治されるが、問題の天皇制という国体は、天皇の主権放棄、そして象徴化ということで、民主主義ができあがった。
その際、つまりはサンフランシスコ講和条約にて、日本が独立するまでは、アメリカの主導によって、それまで呼ばれていた戦争の呼称も、シナ事変を日中戦争、大東亜戦争を太平洋戦争という言い方に変えさせられたのだ。
盧溝橋事件に端を発した(決してこれが始まりというわけではなく)中国との全面戦闘は、両国とも宣戦布告をしていない。なぜなら、
「宣戦布告というものは、第三国が、どちらかの国につくか、あるいは中立かを決めなければいけない。この場合、中国も日本もアメリカから物資の援助を受けていたり、買っていたりしたので、戦争になってしまうと、アメリカが中立を宣言し、物資が入ってこなくなることを恐れて、宣戦布告をしなかった」
というのが事実だったのだ。
また、大東亜戦争という呼称であるが、これはそもそも、米英蘭への宣戦布告の際に、
「中国との戦闘にさかのぼって、大東亜戦争とする」
という閣議決定に基づいてのものだったのだ。
ただ、占領軍としては、
「大東亜」
という言葉は、実に都合の悪い言葉であった。
日本の戦争の大義は、
「欧米列強に支配され、植民地とされた、アジア各国を開放し、大東亜共栄圏を作り、アジアで独自の世界を形成する」
というものであっただけに、大東亜を認めるということは、自分たちの侵略の事実も認めることとなるので、この名称は危険なものだったのだ。
そのため、占領期間中は、シナ事変、大東亜戦争などの呼称を自粛させていたのだが、サンフランシスコ講和条約にて、晴れて日本が独立国家となることで、その名称の自粛もなくなったはずなのに、なぜか日本政府はアメリカに譲歩してのことなのか、その名称を使用しないという慣習となり、今でも、
「大東亜戦争」
と書かれた書物はほとんどない。
「太平洋戦争(大東亜戦争)」
という名称がかろうじてある程度で、どこまでわが日本という国は、アメリカに譲歩すれば気が済むのかと、言いたくなるのも無理もないことであろう。
そういう意味で、マスゴミというのは、何とも情けない団体なのであろうか?
例えば放送禁止用語と呼ばれるものなどは、本来、自粛という程度で、実際には罪に問われることはないのに、たぶん、
「放送倫理に反すること」
として、使用が禁止され、少しでも苦情があったりすると、過剰に反応して、放送事故のような形で、責任者を簡単に処分したりするという、悪しき伝統のようなものがあったりする。
考えてみれば、マスゴミというのは、戦前は、世論の言葉に乗せられて、戦争を煽るようなことをしておいて、実際に戦争になると、軍部の威光を組んで、隠ぺいに手を貸したり、国民を欺き続けたのは、いくら、戦争中という非常事態だとはいえ、許されることだったのかということで、戦争責任を叫ぶ一部の人はいるが、それほど一般的に言われているわけではない。
そういう意味で、情報統制の恐ろしさは分かっているくせに、今の時代でも、マスゴミに踊らされるということは往々にして起こっていることだ。
下手をすれば、冤罪を生んだり、国家の興亡を握っているかも知れないマスコミの役割を、
「マスゴミとしての役割」
として、捻じ曲げてしまっているのではないかと思えるのだった。
一番煽ったり、煽られたりしてはいけないマスゴミは、本当にどこまで信じていいのか分からないというのを、ここ数年の、訳の分からない世界的なパンデミックによって、証明された形になっているのだった。
歴史的な背景としての現代というのは、昭和二十年から、現在までということになる。
本来であれば、歴史としての節目はその中にあるのかも知れない。
「いや、もしかすると、今が、その時代の節目のちょうど現在進行形なのかも知れない」
と言えるのではないだろうか。
まあ、時代区分と呼ばれるものは、
「歴史を勉強するうえでの、区分に過ぎないというもので、その発想が違えば、分け方もいろいろである」
今の歴史認識として、支配政権という意味での区分で考えれば、
「○○時代」
と呼ばれるものに近くなるだろう。
しかし、これも中世の終わりまでの話になる。
近代からこっち、つまり、明治維新からこっちの時代の付け方は、
「天皇が変われば、そこに新しい時代が付く」
という考え方であり、つまりは、
「元号がそのまま、時代ということになる」
というものである。
日本は明治に入ってから、一人の天皇一代一元号ということになったことで、そのような区分になっている、つまり、
「君主の抗体による代始改元」
ということになるのだ。
しかし、明治までの改元の理由として、
「吉事や凶事に際してを理由の改元」
であり、特に多いのは、
「凶事に際して、その影響を断ち切るための災異改元というものである」
日本における現代は、昭和の途中から、平成、そして令和になってからと、今でちょうど七十五年と少しが経ったということであろうか?
そういえば、国民の祝日である、二月十一日であるが、この日が何の日だか、正確に答えることができる人がどれだけいるであろうか?
昔の人、生前から生きている人であれば、
「紀元節」
と答えるであろう。
これは、古事記や日本書紀によって記された、初代天皇である、
「神武天皇お曽木いび」
とされる。
それが占領軍(GHQ)によって廃止されたのだが、それがしばらくして、国民の祝日の制定の中で、
「建国記念日をいつにするか?」
ということで議論があったという。
それで、候補がいくつかあり、
「日本国憲法が施工された日」
あるいは、
「サンフランシスコ講和条約が締結され、日本の独立が承認された日」
さらには、
「厩戸皇子(聖徳太子)が憲法十七条を制定した日」
ひどいものとして、
「終戦記念日」
を建国記念日として制定案もあったくらいである。
しかし、結局、紀元節が採用されたわけだが、
「建国されたという事象そのものを記念する日である」
と解釈できるようにし、名称に、「の」を挿入することで成立した、
「建国記念の日」
という名称になったのだった。
つまり、「の」が入る国民の祝日は、基本的に、
「必ずしもその日ではなくてもいい」
とされているが、この日だけは、二月十一日を政令で定めた日ということで、
「建国をしのび、国を愛する心を養い日」
ということで、この日が制定されたのだった。
だから、この日は、
「建国記念日」
というのが正式ではない、
「建国記念の日」
というのが正解なのだ。
ということである。
考えてみれば、最近の祝日は、
「第二月曜日」
などという、いわゆる、
「ハッピーマンデー」
などと称して、祝日を変えるような場合が多い、
「成人の日」
「スポーツの日」
「敬老の日」
「海の日」
などの日は、日にちを決めることなく、月曜日になるように、毎年日にちが変わってしまうのだ。
ただ、山の日だけは、本来、お盆にひっかけるつもりだったものが、日航機墜落慰霊日と重なってしまうことで、
「山に墜落した飛行機の犠牲者の慰霊の日に、山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日に合わせるというのは、不謹慎だ」
ということで、日付を移動させずに、八月十一日固定とされたのだ。
国民の祝日のうち、「の」が入っている日は、基本的に、日付を変えても構わない日だということになっている。だから、国民の祝日を絡めることで、三連休になるように定めたのだった。
これは、表面上、
「国民に余暇を楽しんでもらうようにするため」
などということで決められたが、大体政府が、
「国民のため」
になど、わざわざ法律を制定してまで行うはずがない。
結局は。
「祝日を集中させて、国民に金を使わせることで、経済効果を生む」
という作戦にすぎないのだ。
経済を動かすことによって、政権の維持を最大の目的とし、しょせん、国民に余暇を楽しんでもらうなどというのは言い訳にしかすぎない。
政府が、
「国民のため」
などというのは、
「真っ赤なウソである」
ということは、パンデミックによって証明されたではないか。
東京で行われたオリンピック。
「安心安全で、国民の命を守る」
とか言って、結局強行し、医療崩壊まで起こした責任は政府にあった。
しかも、最悪の医療状態になると、今度は政府が言った言葉は、
「今は災害時と同じ危機的状況にあるので、災害時と同じで、皆さんの命は皆さん自身で守ってください」
などと言われ、
「何が、安心安全で、国民の命を守るだ。ウソばっかりじゃないか。結局最後は、政府の責任を投げ出して、国民に丸投げをした政府を、誰が信じるというのか」
と、感じた国民がどれほどいたことか。
今でも、政府が広げた責任を、国民に押し付けて逃げに走った政府を許さないと思っている国民も少なくはないだろう。
それが、日本政府というもので、いくらソーリが変わろうとも、責任政党が変わろうとも、同じことではないだろうか。
そういう意味で、政府が、
「国民のため」
などという政策は、ほとんどが、
「自分たちのため」
なのである。
まるで、戦争において、国民を盾にして逃げ出す政府と同じではないか。少なくともかつての大日本帝国における政府にはそんなことはなかった。軍隊にしてもそうだ。それを勘違いさせているのは、アメリカに押し付けられた民主主義で教育を受けたせいであり、そのせいで、今の政府も結局、自由というものをはき違えて、保身のために、国民を犠牲にするというやり方が正当だと思うようになっているに違いない。
外交、経済政策などの政策は、国民二の次で、自分たちの政権維持のためにしか行っていないということだ。だから、今の選挙というものが、
「消去法」
でしかないのである。
それは、現代においては、今も昔も変わっていないのではないか。ある意味、それが、民主主義の弱点なのではないかということを考えてしまうのだった。
さて、この都市伝説であるが、現代、つまり時代の誤差は若干あるにしても、戦後の、
「アメリカによる押し付けの民主主義」
以降に、伝承された噂話だといえるだろう。
しかも、その根拠があいまいで、不明なものということは、
「現代の科学では解明できない」
という意味があり、一種の超科学であったり、ホラー色豊かなものを考えさせるものであったりする。
科学で解明できないような話というのは、結構昔から伝えられていて、その中で、科学の発展により、解明されたものもたくさんあり、その中でも、
「解明できないもの」
ということで残ってしまった若干の話が、都市伝説として伝承されている言ってもいいのかも知れない。
もちろん、現代になってから言われ出したものもたくさんあるだろうが、昔から言われてきていて、科学で今でも解明できないものが、そのまま都市伝説として残っているものもあるだろう。
しかし、それら昔からあったもので解明できないものすべてが、都市伝説だということでもないだろう。
「都市伝説には都市伝説としての意義がある」
ともいえるのではないだろうか。
前述の、
「口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの」
という定義以外でも、都市伝説としての縛りがあるのかも知れない。
そう思うと、都市伝説というものが、どこからどこまでをいうのか、実際のラインも、かなりあいまいなのではないかとも思うのだった。
科学というものの中には、医学というものも含まれているような気がする。
人間の中にあるもの、いわゆる潜在している意識など、科学、あるいは医学では解明できないものもたくさんあるではないか。何と言っても、
「不治の病」
というものが存在したり、
「不老不死の薬」
というものが、存在しなかったりと、
いわゆる、
「医学の限界」
というものが存在しているのだ。
科学の中にも同じように、不可能と考えられ、
「科学の限界」
と言われるものがあるではないか。
人間というものは、不可能だと思えるようなものを可能にしてきたではないか。
「いい悪い」
は別にして、原子力の開発だって、原子爆弾をはじめとする軍事的な化学兵器を、半世紀の間に、相当作り上げ、空を飛ぶことを可能にし、海に潜ることも可能にした。
時代が時代だったので、すべてが軍事目的に使用されたが、逆に考えて、平和な時代であれば、これほど科学が発展したのかどうかを考えると、実に皮肉なことだといえるのではないだろうか。
ただ、現代においての、
「科学の限界」
と言えるものは、そのキーワードは、
「パラドックス」
と呼ばれるものではないだろうか。
パラドックスというのは、日本語に訳すると、
「逆説」
と呼ばれるものである。
パラドックスと呼ばれるもので、パッと思いつくことといえば、
「タイムパラドックス」
というものではないか。
つまり、タイムマシンそのものが、逆説という矛盾に含まれているといえるからだ。
特に過去に行く場合のことを考えると、その発想は今は皆が周知していることであるが、それは、小説であったり、ドラマや映画などのテーマとして、SFというジャンルの元に、考えられるものだからである。
「SF」
つまり、
「サイエンスフィクション」
というものは、空想科学物語と訳されるものであって、あくまでも空想なのだ。
科学的に証明されていれば、空想などという言葉は使わない。使うとすれば、
「科学的空想物語」
ということになり、これであれば、
「科学に基づいた架空の話」
ということになり、非科学的なものとは一線を画しているだろう。
「空想科学物語」
というのは、科学物語を空想するということで、科学物語自体が、つまり、すべてが空想で出来上がってしまうことになる。
つまり、科学で証明できないものを、いかに強引に証明しようとすると、空想物語になるという発想であり、科学における矛盾が、物語として面白いものを作り上げるということなのであろう。
ただ、一般的に、科学はどんどん発達しているのも事実で、昨日まで解明できなかったことを、今日、解明されているかも知れない。
しかし、その一つを解明、あるいは証明したことで、新たな謎が生まれてきて、
「科学の解明には、限界がない」
ともいえるのだ。
しかし、先ほどのように、どうしても科学で解明しようとすると、大きな矛盾のために、そこから先を解明できず、同じところをグルグル回ってしまうような、パラドックスに入り込む、一種の負のスパイラルと言ってもいいだろう。
負のスパイラルというのは、円ではない、らせん状になっているので、上から見て、同じところを回っているように見えても、それが平面ではなく。渦巻の中心に行くうちに、どんどん下降しているように見える、竜巻のようなものだといってもいいのではないだろうか。
負のスパイラルというのは、
「交わることのない平行線」
を、見ているような気がする。
異次元の世界を見ていく中で、
「メビウスの輪」
という発想がある。
一本の帯を一回転ねじらせるようにして、一つの輪を作った時、輪の表面のどちらかに、一本の線を帯の中心を伝って書いていくと、最後には交わってしまうというものである。
絶対に科学的には、理論的に考えて不可能であることができた時、異次元の世界が開かれるという発想であるが、それこそ、科学的に証明されているのだろうか?
基本的に異次元の世界を見たことのある人がいないのだから、その証明は無理である。
これは、死後の世界にも言えるだろう。
死後の世界というのは、
「人間が死んだ時に行く世界であり、絶対に帰ってこれない世界だ」
と言われているが、誰も見たことはないはずなのだ。
「死んだ人間が生き返ることはない」
という絶対的な理論で考えるならば、死後の世界だって、見た人がいるわけではないので、これほど信憑性のないことはない。
それなのに、ほぼほとんどの人間が信じている。それは、
「その世界の存在が、いかに人間社会に影響を及ぼすか?」
ということである。
人間に限らず、生死に関しては不思議なことが多すぎる。
生まれ変わるという発想が宗教的には、一般的な考えであるが、生まれ変わるとして、次に人間に生まれ変われるのかどうかも分からない。
ということは、自分の人生は本当に人間だったのかということも怪しくなってくるではないか。
そうなると、宗教のいう、
「死んでから、極楽浄土にいける」
ということで、救いを求めるのであれば、生まれ変わるという発想が果たしてありなのかどうかである。
せっかく極楽浄土という夢のような世界にいけたのであれば、ずっとそのままいればいいものを、生まれ変わり、
「輪廻転生」
などという考えがあるのは、おかしいのではないだろうか?
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