人妖連合

 ――その頃、皇帝エリックはケリーの開発した巨大な飛行機に乗り、大空を移動していた。


「おいおい、どういうことだよ、これは?」


 エリックが皇帝の品格を忘れ、素のキャラに戻っている。


 魔石の力で中継されている映像には、もう何年も前に世界を恐怖のどん底へと叩き落とした魔王の姿が映っていた。


 放射線状に伸びていくおびただしい数のツタの中心には、禍々しい巨大な花が咲いていた。


 その花の中心からは竜の首が伸びている。


 まぎれもなく、ティムの命と引き換えに倒したはずの魔王オディウムの姿だった。


「あいつは死んだんじゃなかったのかよ」


 エリックが誰にともなく言う。


 盟友のティム・モルフェウスはオディウムを倒すために亡くなった。


 親友を失った悲しみは大きかった。それでも世界へ平和をもたらしたのだと思えば、まだ必要な犠牲であったと自分を慰めることもできた。


 だが、オディウムが生きている。


 まるで、ティムの死が無駄だったとでも言うかのように。


 ティムがいなくなった時のエリスは正視に耐えなかった。当たり前だ。誰だって未来を誓い合った恋人を失えば嘆き悲しむに決まっている。


 埋められない空白を抱えたエリスを見て、自分が傍にいてやらなければと思った。


 その結果として二人は恋仲というより家族のような存在となり、皇帝となったエリックの妻は皇妃となった。


 自分が護ろうと決めた妻――そのエリスが、魔石中継に映るオディウムに殺されようとしている。


「どうもこうもないさ」


 皇帝の隣に立つケリーが言う。


「あのゲオルクとかいう野郎は最初っからあんたを騙す気だったんだよ」


 エリックは一瞬だけ驚くと、冷めた眼をしたケリーへゆっくりと視線を合わせた。


 ケリーは高速で移動する飛行機の中で、状況を補足して説明する。


「あの男は知らぬ間に肉体をオディウムに奪われていた。ティム・モルフェウスに滅ぼされた肉体を取り戻すには、どうしても血の紋レイン・イン・ブラッドを完成させる必要があった。


 血の紋レイン・イン・ブラッドの完成には想像を絶するだけの犠牲と負の感情が必要となる。それが魔界とこちら側を結ぶための通貨となるからだ。


 だからあの男は自分で騒乱を起こして大量の血が流れるように奸計を巡らして、あたかもミラグロが世界の警察よろしく平和を作り出しているように見せかけながら、実際にはより多くの混沌を起こし、より多くの死者を出して、そして血の紋レイン・イン・ブラッドの各点に当たる箇所で多くの血を流していった。それが本当のところだ」


 ケリーの言葉に、エリックは表情を失っていく。


 ミラグロが世界各地の騒乱を止めていると報告を聞いた時、少なくとも自分は世界を救っているつもりだった。


 だが、実際には違った。


 実際には数多あまたの血を流させ、数えきれないほどの断末魔と慟哭どうこくが響き渡り、そして世界は死へと一歩一歩と近付いている。


 世界とは善と悪だけで二分できるほど単純なものではない。


 ゲオルクをはじめとした部下の報告を聞くたび、結局何が悪くて世界が悪くなっているのかが分からなくなった。


 どこの紛争も、双方の言い分を聞いていれば一理はあった。


 だが、世界を安寧に保つためには、どこかで線引きをして、いずれかの部分で自分自身の判断を下さないといけない。世界を統べる者には一定の責任が伴う。


 だが、戦士としてしか生きてこなかったエリックにとって、各地の政治情勢や民族紛争はひどく煩わしく億劫なものに映った。そもそも状況を完全に理解することでさえ不可能だった。


 どこの騒乱でも、意味の分からない理由で人々は争う。


 アホ皇帝のエリックでも、一つだけ理解できることがあった。


 それは、どいつもこいつも自分の権利ばかりを主張して、結局最後には争うことだった。それが獣たちの価値観と何が違うと言うのか。


 バカとバカが争いをはじめて、結局最後には何の非も無い民衆が割を食う。不条理ではあったが、それが実際に起こっていることだった。


 次第に自身の判断で世界の命運を決めるのが面倒になってきた。


 執務大臣であるゲオルク・ベーゼは優秀だった。それこそ、彼に任せてしまえば何でもうまくいくように思えた。


 世界へ責任を取るのは面倒になり、煩雑な業務ごと、重大な決裁の裁量権をゲオルクへと一任してきた。その結果が今、魔王復活という最悪の結果に繋がっている。


「やっぱり、俺が皇帝なんてやっちゃいけなかったんだ」


 エリックは自嘲的に呟く。


 もう何もかもが手遅れに思えた。


 魔石中継の映像が引き気味になると、放射線状に伸びていくツタはみるみるとミラグロの国土を塗りつぶしていく。


 王都の中枢まで侵入して、民衆の命ごと終わらせるのにはそう時間がかかりそうになかった。


「そうは言うけどよ」


 映像を眺めたまま、ケリーが険しい顔で言う。


「皇帝ともあろうお方が、ここでイモ引いて逃げるわけにもいかねえだろうよ。もしそんなことを考えているんだったら、今すぐここで腹を切ってくれ」


 ケリーが真新しい長剣を差し出した。補助魔法でもかけられているのか、美しく光り輝く刀身は切れ味が良さそうだった。


 エリックは剣を取る。


 磨かれた刀身に、自身の顔が映っていた。


 疲れ果てていて、闘いに嫌気の差した男の顔だった。


「いや……」


 ふいに皇帝は顔を上げる。


「ここで腹を切ったところで、誰が納得なんてするものか。もうこれは俺個人の闘いではないんだ」


 エリックは腰に下がった鞘から聖剣を抜く。オディウムと闘った際にも使用した、戦友に等しい剣だった。


 二つの剣を持ち、凄まじいスピードで虚空を切り裂く。


「久方ぶりの闘いだ。体はなまっているだろうが、そうも言っていられない。なにせ妻の命が懸かっているのだからな」


「覚悟はできたみたいだな」


 ケリーがニヤつく。


「愚か者め、俺を誰だと思っている」


 エリックの目つきが一瞬にして鋭くなる。口元には心なしか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


「俺は皇帝エリック・イグナティウスだ」


 剣を大空に向ける。王都ミラグロのある方向だった。


「ミラグロへと急げ。この俺がじきじきに闘いを終わらせてやる。ダークエルフの小娘一人なんぞに世界の運命を任せられるか!」


 帝国兵たちが雄叫びを上げる。ダークエルフたちも。


 先ほどまで対立していた種族は結託し、魔王オディウムを倒すために手を結んだ。


 ケリーはそのさまを見ていて一人ニヤけていた。


「そうだよ、レイン。お前一人なんかに、カッコつけさせてたまるかよ」


 憎まれ口とともに、機内のコントロールパネルを操作する。モードが切り替わり、両翼からすさまじい風圧が発せられる。魔石と機械文明の織り成すシンフォニーだった。


 飛行機が速度を増す。機内にかかる気圧も増していく。


 何年も前に繰り広げられた死闘のメンバーが、時を経てまた集まろうとしていた。

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