魔王の紋章

「うおおおおおおお!」


 ゲオルクが雄叫びを上げる。


 魂に植え付けられた、恐怖の粒子が脳内を駆け巡っていた。


 この体では、どうあがいてもレイン・ハンネマンには勝てない。


 あの小娘は見た目はともかく、中身は魔王を実質的に倒した勇者なのだから。


「こうなったら仕方があるまい。無理にでも血の紋レイン・イン・ブラッドを完成させる」


 ゲオルクは両手を広げると、手の平から光弾を放った。光弾は次々と発射されて、逃げ惑う人々に当たる。


 爆発――あちこちから悲鳴が上がる。


 光弾は上位攻撃魔法だった。それは小規模な核融合を起こして、あちこちで爆発を起こす。


 それを喰らった者は即死。爆発の度合いから、誰の目に見てもそれは明白だった。爆風に巻き込まれた人々は次々と死んでいった。


 文字通り、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


「ひどい……」


 エリスは円の中心から、呆然と周囲の様相を眺めていた。


 先ほどまで皇妃の処刑を楽しもうとしていた人々が、今度は殺される側に回っている。因果応報と言えばそれまでの光景であったが、それを差し引いてもエリスにとっては耐えがたい景色だった。


 遠くに立つ少女を見上げる。


 黒髪をたなびかせるレインと目が合った。


 レインが頷く。


 小太刀を構え、途轍もないスピードでコロシアムの壁を垂直に下りはじめた。


「来るなあああ!」


 ゲオルクは両手をレインへと向け、光弾を連打する。


 光の弾がマシンガンのように飛んでいく。


「リフレクション」


 レインの体を円形の柔らかい光が包む。光弾はレインを包み込んだ円に弾かれていく。運悪く流れ弾の着弾先にいた者たちは、光弾の爆発に巻き込まれて悲鳴を上げる。


 レインはみるみる近付いて来る。


 迫る恐怖――ゲオルクの中で終わりの始まりが旋律を奏でる。


 その時――


 ゲオルクだけに聞こえる波紋が、その胸の中で広がっていった。


 遠く離れた漆黒の森。


 そこで流された血が、必要な数値に達したのが分かった。


 ――満たした。


 漆黒の森へドローンを放って起こした混沌は、血の紋レイン・イン・ブラッドを形作る最後の一点をギリギリ成立させるだけの基準を満たした。完全なる肉体の復活とはいかないでも、これで血の紋レイン・イン・ブラッドを発動することはできる。


 魔王の嗅覚が、混沌の匂いを嗅ぎつけた。


 ふいに空気が重苦しくなる。


 レインが立ち止まる。


 無双状態の彼女でも分かるほど、辺りには禍々まがまがしい空気が立ち込めていた。


「なんなの……?」


 空はみるみると暗くなり、黒い雲が渦を巻いている。


 渦の中心には次第に禍々しい紋章が現れた。


 懐かしいとは形容しがたい空気。レインはこの感覚を覚えていた。


「まさか……」


 ゲオルクを見る。


 年老いた男が掲げる双方の手の平には、上級の魔族だけが操れる術式スペルの紋章が浮かんでいた。


「時は、満ちた」


 ゲオルクは途轍もなく邪悪な笑みを浮かべていた。

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