異端審問会

「最後に言い残すことはありますか」


 石像のように動かなかった屈強な男の一人が言う。


 ずっと口に嵌められていたマジカルセシュターは外されたが、相当な量の魔力を吸い取られたせいか、エリスは疲労困憊して虚ろな眼で遠くを見ていた。意識は半ば遠のいており、まともな思考が難しい状態だ。


「そうですか。特にありませんか」


 返事がなく、言い残すことは無いと判断されたようだ。


 手首の縛めを解かれると、喪服めいたデザインをしたローブを着せられた。異端審問会の被告人が着用を義務付けられているもので、これを着て生きたまま帰って来た者は一人もいない。


 異端審問会では有罪ありきでことが進む。


 そもそも絶大な権力を持つゲオルクが秘密裏に組織化したもので、大仰な魔女裁判とも言える裁きの場では、数々の政敵が有効性の乏しい証拠を次々と羅列されては有罪が確定し、しまいにはその命を終えていった。


 ひっそりと行われるはずの異端審問会にはなぜか傍聴制度もあり、ある経路から金を払えば入場できるようになっている。そのため、好事家やゴシップ記者がただのネタ集めのためだけに来る構図が出来上がっていた。


 傍聴に入れる人間は秘密裏に事前の審査で決められる。王家の暴虐政治を暴こうという、いわゆる「正義の味方」はこの審査で弾かれる。主にろくでもない者しか入廷を許されない。


 世界を救った「聖女」でもこのような扱いになるのか。


 不条理さを考えると涙よりも呪詛が出てきそうになる。


 長い昇り階段の向こうで、重苦しい音が響くとともに光が差し込んでくる。エリスは急激な明るさに目をしばたかせた。


 光の差す方からざわめきが聞こえる。


 ぼんやりとしか分からないが、品性の無い、嗜虐性に満ちた者たちの発する声だった。


 ゲオルクの兵に促されて、階段を上がっていく。野卑な声は大きくなっていく。


 階段を昇り切って扉を抜けると、そこにはコロシアム型の異端審問会場が出来上がっていた。


 円形に「観客」たちがひしめき、今回の生け贄が誰なのかを確かめようとしている。


 人が裁かれ、殺されるところを見に来ようとする者たちだ。まともなはずがない。


「ここは本当に同じミラグロなの?」


 エリスが思わず呻く。


 コロシアムで沸く者たちの狂騒は、おおよそ同じ世界に住む者とは思えなかった。


 エリス自身も魔王討伐の旅で相当な数の荒くれ者たちと出会ってきたが、それらは魔王の統治する世界下という土壌があったわけで、ろくでなしたちは魔王討伐後に更生するか、刑務所へ送られるなどの理由で表社会からは消えていった。


 結果として世間一般にはまともな人間ばかりが残ったわけだが、今ここで騒ぐ者たちはどいつもこいつも人間の皮をかぶった魔物のようだった。


 ふいに寂しさと絶望がその胸に押し寄せてくる。


 自身の命が危険にさらされたからではない。


 命を懸けて救ってきた者たちが、己の快楽に溺れて人間という生き物の嫌な部分を剥き出しにする。


 それは多大な犠牲を払って魔王を討伐してきた戦士たちへの冒涜にも思えて、言いようのない寂しさを引き起こした。


 ――この人たちを救う意味は本当にあったの?


 胸の奥から、誰ともつかない声が聞こえる。


 呆然としていると、「早く歩け」とでも言うように屈強な男が背中を押してくる。


 ローブで顔を隠したエリスの姿がコロシアムの階下から現れると、それを見た「観客」たちが盛大に湧く。まるで生け贄を見つけた野蛮人のようだった。


 いや、現在のエリスは文字通りの生け贄でしかなかった。


 魔王オディウムがいなくなった今、平和ボケしたろくでなしどもは残酷なショーに人生の刺激を見出していた。


「これから、異端審問会をはじめます」


 重々しい声が魔石拡声器の音声で流れると、コロシアムをひしめく人々は残酷な歓声に沸いた。声の主は考えるまでもない。異端審問会の最高責任者、ゲオルク・ベーゼだった。


 沸き立つろくでなしども。ふいに、ゲオルクが寂しそうな声でアナウンスをする。


「非常に残念なことではありますが、今回の被告は、このお方です」


 エリスのかぶっていたフードが剥ぎ取られる。


 その刹那、会場が凍り付いた。


 疑いようもない。今回裁かれる被告人は他でもない皇妃のエリス・イグナティウスその人だったからだ。


 困惑と、どよめきが広がる。


 どうして皇妃が被告席に立っているのか。


 何かの間違いではないのか。


 誰もが目を見合わせ、どのような反応をすれば適切なのかを決めかねていた。


 国民の動揺は織り込み済みとばかりにゲオルクが続ける。


「誰もが戸惑うのも無理の無いことでしょう。これから王都ミラグロで何があったのかを順を追って説明いたします」


 ゲオルクに表情は無かった。


 エリスはその暗い目をじっと見つめる。


「皇妃様は、いや、エリス・イグナティウス被告は、王都ミラグロを裏切りました」


 コロシアムがざわめく。


 誰もが目を見合わせ、その真意を問おうとしていた。


「エリス・イグナティウス被告は、我が国と対立するダークエルフと繋がっていました」


 ゲオルクは暗い目で続ける。


「ダークエルフは人間という種族を骨の髄から憎悪しており、隙あらば我々を根絶やしにしようとしている野蛮な種族です」


 誰もがゲオルクの演説に聞き入っている。


 ダークエルフの偏ったイメージは、もちろんゲオルクが捏造したものだった。


 実際にダークエルフたちが治める漆黒の森へと軍事侵攻を進めたのは他ならぬゲオルク・ベーゼ率いる王都ミラグロであり、ダークエルフからすれば人間こそが野蛮な侵略者だった。


 だが、民衆はそんなことは知らない。


 彼らへと引き渡される情報は統制され、歪曲されている。


 国民感情としてダークエルフへの憎悪が煽られているせいで、誰一人としてゲオルクの話を疑う者はいなかった。


「この女はダークエルフ側の刺客と内通していました」


「嘘よ! 魔石の採掘権欲しさに漆黒の森へ軍事侵攻をしたのはあなたじゃない!」


 エリスがすかさずゲオルクに反論する。


 だが、ゲオルクは不気味なほど冷静だった。


「それでは、証拠を提示しましょうか」


 ゲオルクが中空に手をかざすと、魔石を動力として虚空に創り上げられた即席のスクリーンが現れる。


 スクリーンにはエリスとレインの映像が写し込まれる。嫌な予感がした。


 映像に映った二人は、ぐちゃぐちゃと音を立てながら熱く激しいキスを交わしていた。これはレインがエリスを攫いに来た時の映像だった。


 顔は熱くなり、背筋は寒くなる。エリスにとって新しい感覚の悪夢だった。


 ――まさか、撮られていたの。


 王都ミラグロにもゴシップ誌は存在していたが、まさか皇妃である自分がそのターゲットになるとは思ってもみなかった。


 映像を見る者たちが息を呑む。


 これはまがいも無い不貞の瞬間であり、かつ美女二人が下を絡ませながら濃厚なキスを交換するという淫靡な瞬間だったからだ。


「これをどう説明するのでしょうか」


 抑揚の無い声。


 転生したティムレインとの逢瀬おうせをこのような形で暴露されたのは痛かった。


「これは……違うの」


「はて、何が違うのでしょうか? 少なくともわたくしの価値観ではこれほど濃厚な接吻せっぷんはかなり深い愛情を持った者同士がするものとしか映りませんが」


 冷たい声が拡張された音声で響く。


 キスの映像は、巻き戻しては何度も再生される。


 その音も鮮明に、二人の体温が持つ熱ですら伝わってきそうだった。


 あのキスは、正直なところエリスにもなぜそうしたのかが分からなかった。


 レインを見た途端、懐かしさと切なさで胸がいっぱいになり、気付けば唇を重ねていた。


 今となってはその理由も明らかだが、「死んだら終わり」という価値観が常識となっている世界で、「転生した恋人が会いに来ました」と言おうものなら、エリスは即座に発狂したとみなされるだろう。そんな「新事実」を受け入れる準備は誰一人としてできていないからだ。


 ともあれ、エリスは複数の疑惑を背負うことになった。


 まずが皇妃でありながら不貞を働いたこと。そして、対抗勢力であるダークエルフの刺客といること。


 事実などほんの少しでいい――そこからあらゆる憶測を広げることができる。


 エリスはミラグロの情報をダークエルフたちへと流していたかもしれないし、ミラグロそのものを彼らに売った売国奴である可能性すらある。


 実際にはそのようなことは無いが、一つの真実だけを繰り返し突きつけられた国民たちの感情は、ゲオルクの思う方へと誘導されつつあった。


「このアバズレが!」


 腐ったトマトが被告席へと飛んできた。


 エリスはそれをかわしたが、一つのトマトを皮切りに、コロシアムの人々が一気に沸き立つ。ゲオルクがどうしてこのような単細胞たちばかりを傍聴人として選んできたのかがよく分かった


 人々の憎悪が磁石に引き寄せられた砂鉄のように集まってくる。


 ――殺される。


 エリスの中で流れる独白。


 彼らはまさに、導火線に火のついた暴徒たちであった。


 大勢の人々が被告席へと押し寄せて来る。まるで、先を争って自ら天誅を下そうとしているかのようだった。


 視覚効果も狙ったのか、コロシアムの全方面から人々が押し寄せてくる様相は、エリスにとって途轍もない恐怖を引き起こした。


「静粛に」


 厳かなゲオルクの声が、コロシアム中に響く。


 人々は時を止められたようにその場で静止して、次の言葉に耳を傾けた。


「お気持ちは分かりますが、これはあくまで異端審問会です。被告は、法に照らし合わせて裁きを受けねばならない」


 ゲオルクが厳かに言う。


 だが、その物差したる法はゲオルクによって好き勝手いじられて、証拠も出どころの怪しいところから捏造されまくっている。


 一見すれば非常に公平な裁判が行われているように見えるが、すべては有罪へと向けてコントロールがなされている。ゲオルクは人を陥れることに関してはエキスパートだった。


 なんとなしに納得した風の民衆は暴動をやめた。まるで神のお告げでも待つかのように、ゲオルクの言葉を待っている。


 異端審問会は続いた。


 当初の動かぬ証拠以外に、次々とエリスを悪女たらしめる「証拠」があちこちから出て来る。


 だが、その出どころはやはり部分的な事実や一般論、または各事象の解釈を歪曲したものばかりで、ゴシップ誌もかくやといったレベルだった。


 だが、そもそもここにひしめいている者たちはおおよそが愚か者だ。誰も証拠の質や信憑性の吟味などしようとは思わない。


 つまるところ、エリスの運命は有罪判決一直線だった。


 静かに、エリスへの憎悪ヘイトが募ってきていた。


 空気が重たくなっていく。


 次第に、誰もがその結果を確信していった。


 歴史が変わる。誰もが、何かが終わりを告げようとしているのを感じていた。


 ゲオルクの用意した陪審人たちが集まり、そう長くない会話を交わしてから各自の席へと戻って行く。


 ざわつく会場。「静粛に」と、ゲオルクが場を沈めた。


「……それでは判決を下します」


 表情の無い裁判長――ゲオルクは厳粛な空気を保ったまま言う。


「厳正なる審議の結果、エリス・イグナティウス被告を有罪とみなします」


 エリスは大空を見上げる。


 その表情からは、感情が消え失せていた。

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