ゲオルクの奸計

「エリスが攫われただと?」


 エリックが目に見えて狼狽する。


 何の前触れも無く、凶報が届いた。


 ――皇妃が誘拐されたようです。


 慌てふためいた見張り番の兵士がゲオルクにエリス誘拐の報告を入れた。


 エリスの寝室は荒らされており、血痕の残るベッドには置き手紙があった。置き手紙は魔石を加工して作る特殊なもので、この技術を持っているのはダークエルフたちだけだった。


 魔石で残されたメッセージには以下のことが書いてあった。



 ――皇妃を救いたければ、漆黒の森の侵攻をやめて、貴様らの邪神への信仰をやめよ。ミラグロの得た利潤は漆黒の森へ献上し、未来永劫ダークエルフたちの手足となって生きるがいい。それが嫌なら皇妃の命は無い。



 手紙を読み上げる兵士の声は震えていた。それも当然のことだ。


 自分たちが見張っていたにも関わらず皇妃はどこかへと連れ去られた。文字通り全員の首が飛んでも何ら不思議ではない事態が起こっている。


「しかしエリスが……。正直、信じられん」


 エリックがそう言うのも無理はない。


 エリスは肉弾戦こそ得意にしていないものの、魔王オディウムを討伐した勇者一行の一人である。


 そのような英雄を、力ずくで攫うなどという常人離れした行為が本当に可能なのか。


 だとすれば、ミラグロはこれから途轍もない敵と闘うことになるのかもしれない。


「敵が誰であれ」ゲオルクは続ける。


「犯人が漆黒の森にいるダークエルフであることは変わりません。このような謀反が許されるはずもありません。今すぐわたくしめに漆黒の森への出兵命令をお出し下さい」


「いや……」エリックが珍しく毅然とした顔つきになる。


「今回は俺が直接出向く。エリスは俺の妻だからな」


「なりませんぞ。皇帝が敵地へ赴くなどと、前代未聞でございます」


「今回ばかりは事情が違う。エリスは皇妃という前に……俺の女だからな」


 臭いセリフを吐くエリックは、ゲオルクがかすかにニヤけているのに気付かなかった。


 ゲオルクは密かに笑った。まるで、はじめからこうなることが分かっていたかのように。


 今にもニヤけそうな顔を厳かに保ちつつ、ゲオルクは溜め息を吐く。


「そこまでおっしゃるなら仕方ありますまい。わたくしめも最大限の支援をさせていただきます。漆黒の森へは、全軍の8割の兵を出兵させます。これは譲りませんぞ」


 ミラグロの兵がすべて出兵すれば、漆黒の森は袋叩きの状態になる。明らかに過剰な兵士の数だが、妻を攫われたエリックにはそのツッコミどころが分からなかった。


「よし、俺のドラゴンを用意しろ。久しぶりにドラゴンに乗って、敵地へと飛び込んでやる。エリスを救出するぞ」


周囲にいる兵士たちが鬨の声を上げる。誰一人としてゲオルクの奸計には気が付いていない。


 ――これでバカ皇帝の不祥事が一つ増える。


 ゲオルクは密かにほくそ笑む。


 怪文書にだまされて他民族を虐殺すれば、国際的にもそれなりの責任を負うことになるだろう。そのような人物が帝国の玉座にいる資格は無い。


血の紋レイン・イン・ブラッドはもう少しで完成する」


 不気味な独り言。


 それは、誰にも聞かれることなく空気中の粒子へと溶けていった。

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