ゲオルクの闇

「お願い。生きて」


 レインのいなくなった拷問部屋で、エリスは祈りを捧げる。


 その時、重い音とともに鋼鉄の扉が開かれる。


「これはこれは。一体どんな風の吹き回しですかな」


 扉の奥から聞こえる嫌味な声。全身に悪寒が走る。


 ――ゲオルク・ベーゼ。


 王都ミラグロの執務大臣にして、陰で国家を牛耳る男。


 残虐さを隠した双眸は、冷たい光を放ちながらエリスを眺めていた。


「ゲオルク……」


 エリスは青ざめる。ふいに訪れたまずい状況が理解できないほどバカではない。


「国家に反逆するダークエルフから敵情を得ようとしていましたが、はて、あの邪悪な女はどこへ行ったんでしょうな」


 ゲオルクの背後から帝国兵たちが現れる。


 だが、どいつも見たことの無いほどの下卑た眼でエリスを眺めている。まるで娼館で売春婦でも物色するかのような目つきだった。身体の上を這いまわる卑猥な視線がひたすら不快だった。


「自分が何をされたのか、理解されていますな」


 ゲオルクは淡々と続ける。


「あなたはこれから異端審問会にかけられます」


 その声を聞いた途端、みるみる血の気が引いていく。


 異端審問会は国家を危機にさらした犯罪行為や重大な過失を裁く場である。とはいうものの、実際には有罪ありきでことが進み、異端審問会に出席を命じられた者は少なくとも死罪を告知されたに等しい。


「そんなこと、エリックが許さないわ」


「それはどうでしょう」


 ゲオルクが平坦な声で言いながら、分厚い書物を取り出した。


「ミラグロ法の第24条7項にこのような記載があります。『王都ミラグロや同国家の統制する州、およびそれに属する自治体を何らかの脅威にさらした場合、それは執務大臣が主幹となって結成した諮問委員会の執り行う異端審問会を経て、その処遇を協議する。なお、この法に於いては平民、貴族、王族すべてに適用がなされる』と」


 ゲオルクが邪悪な微笑を浮かべながら続ける。


「まあ、平たく言えば、王族であろうが国家を危機に瀕するような状況へと追い込んだ者は、漏れなく異端審問会で裁かれるということですな」


「……その出典はおかしいわ。その項目の後には『但し、その判断については諮問委員会とは別の構成員で結成された査問委員会の承認が必須となる』という表記があったはず」


「おや、知らなかったんですか?」


 ゲオルクがわざと驚いたような表情を作る。


「その項目は削除されたのですよ。時間も人件費も無駄にかかって効率が悪いのでね」


「……それはいつの話なの」


「つい先ほどです。私は仕事が早いので」


「なんて男……」


 エリスがゲオルクを睨む。


 目の前の男は「コスパが悪い」とばかりに、ただの気分で法律を改訂していた。しかも、その改訂は他の誰も把握していない。


 ゲオルクは明らかにエリスを排除しようとしていた。


 執務大臣の権力はあまりに強大だ。ゲオルクは思いのままに国の命運を握る決裁をできるよう、自身の土台を勝手に大補強していた。


 アホ皇帝のエリックがすべての決裁を丸投げしていたことから必然的に起こった事象。だが、今さら悔やんだところでどうにもならない。


 エリスは後でエリックを殴ってやろうと思った。あの男がボサっとしている間にエリスは死刑になりかけている。理不尽な話だった。


「そういったわけで」


 怒りに燃えるエリスを前に、ゲオルクは気色の悪い笑みを浮かべる。


「皇妃、あなたには異端審問会に出廷いただきます」


 ゲオルクの瞳が怪しく光る。


 ふいにエリスの全身から力が抜けていく。その場に崩れ落ちて、気を失った。


「この国賊を牢獄にブチ込んでおけ。自殺させないために全身を縛り、セシュターをさせておけ」


 ゲオルクが命じると、輪をかけて気色悪い部下たちがエリスの体を持ち上げ、神輿のように担いでいく。


 セシュターはSMで使われるボール状の猿ぐつわだ。ボールに空いた穴から息はできるが、口が閉じられず会話もできない。穴からは涎も垂れてくるため、セシュターを装着された側にとっては非常に屈辱的な恰好となる。


 皇妃にそのような仕打ちをするということは、ゲオルクがエリスをどうしようとしているのかを遠回しに宣言しているようなものだった。


 ゲオルクは無人となった拷問部屋で佇んだ。


「もう少しだ。もう少しで、血の紋レイン・イン・ブラッドが完成する。それをあんな小娘ごときに邪魔をされてたまるか」


 誰にも聞こえない独白。無機質な部屋に、冷たい空気が広がっていった。


 足元のから伸びていく影――ゲオルクの全身から、深い闇がしたたっていく。


「そして、


 その眼は暗く光り、異形の者を思わせた。

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