回想2

「星がきれいだね」


 戸惑い気味のティムを尻目に、エリスは満点の星空へ感嘆の声を漏らす。


 見上げると、確かに夜空には万華鏡のような光景が広がっていた。


「で、何があったんだ?」


 ティムは怪訝そうな顔で訊く。エリスの意図が理解できなかった。


 明日になれば魔王オディウムとの決戦が待っている。


 余計なことはせずに、さっさと寝たかった。睡眠不足で最強の敵に挑むのは無謀だからだ。


 少なくともこの世界では死んだらすべてが終わる。


 どこかの教会で苦言をもらいながら復活することもなければ、「死んでしまうとは何事だ」と言いながらも第二第三のチャンスを与えてくれる王様がいるわけでもない。


 死ねばすべてが終わる。


 それが、この世界の共通認識だった。


 面倒くさそうにしているティムを差し置いて、エリスは語りだす。


「私ね、この闘いが終わったらね、世界中を平和にできるような仕事をしたいの」


「今だってやっているだろう?」


 脳裏に浮かんだ「なぜこのタイミングで死亡フラグを張る?」という感想は差し控えて言う。


「うん。でも、これって結局は魔物と人間の戦争でしょう? そうじゃなくて、どんな種族でも平和に共存できる世界が作れたらいいなって思ってるんだ」


「そうか。そりゃ立派な心掛けだ。俺はバカだから無理だな」


「もう! さっきから分かんないの? ニブいにも程があるよ」


「言っただろう? 俺はバカなんだって。スラム街の知能をナメるなよ」


 ティムはエリスの意図が分からないながらに茶化し続ける。


「ねえ、この闘いが終わったらどうするつもりなの?」


「さっき言っただろ? 自由に生きるのさ。何のプレッシャーも無いまま、好きな時に食って、好きな時に遊んで、好きな時に寝る。きっと最高の人生だろうな」


「そんなの、すぐに飽きるよ」


「飽きないさ。俺は元々遊び人なんだ。人生をムダに浪費する才能だったら大いにあるぞ」


「それでどうするつもり?」


「どうもしないさ。たまに賞金首のモンスターでも狩って、それで生活はしていける。それで充分だろ」


「そうなんだ……」


 エリスはふいに寂しそうな顔になった。


 世闇にまぎれて見にくいが、その眼には涙が浮かんでいるようだった。


「どうした。ガラにもなく」


 ティムは涙目になりはじめたエリスの姿に戸惑った。


 もともと奔放に人生を送ってきた身だ。そのような答えが来るとエリスが想像できなかったとは思えない。


「ねえ」


 エリスは星明かりに目を輝かせながら言う。


「私にもこの闘いが終わったら一つだけ願いがあるの」


「うん」


「それは人並みに結婚もして、子供もできて、幸せに生きていく未来。でも、私たち貴族はそういうのが自由にできる立場でもない。だから物語で見るような恋はできない方が普通なの」


「まあ、そうだろうな」


「ここまで言っても分からない?」


「……すまん。本当に何が言いたいのか分からん」


 エリスはこれ見よがしに溜め息をつく。


「なんでこんな人を好きになったんだろう?」


「は?」


 ティムは理解が追い付かずに固まった。


 エリスは視線を落としたまま続ける。


「ずっと……だったんだよ」


「ん? なんて?」


「バカ!」


「なぜ怒ったし」


 エリスは暗闇の中でも分かるぐらい顔を紅潮させて言う。


「だから、ずっと私は君のことが好きだったの!」


 半ばヤケクソ気味に叫ぶエリス。


「はあ……」


 当のティムはポカンとしていた。


 普通、愛の告白とは怒ってするものなのだろうか? という至極真っ当な疑問が脳裏をよぎる。


「そうなのか。知らなかった」


「は? 何そのリアクション? 普通だったら『その言葉をずっと待っていた』とか、そういう返しができるものなんじゃないの?」


「それは少女マンガの読み過ぎだろうな。それもだいぶ昔の……」


「信じられない! 私がせっかく勇気を出して言ったのに、それに対する評価がまったく無い!」


 エリスは一人で感情的になっていた。


 ティムは「めんどくせえ」という言葉をこらえて訊く。


「つまり、この闘いが終わったら俺と付き合いたい?」


 エリスは頭を抱えて髪を振り乱していたが、その一言でピタリと止まり「……うん」と言った。


「で、ゆくゆくは結婚ってこと?」


「……そう」


「やめとけ」


「なんでよ!」


 またエリスが取り乱す。


「俺はスラム街出身のクズだ。そんな甲斐性があると思うか?」


「堂々と言うことじゃないでしょ、それ」


「やめとけって。この前に調べたら結婚後にかかる費用は二人暮らしだと25万モーノかかるそうだ。その内訳は住居費、光熱費、水道代、通信費、交通費、保険料その他ある。愛だけで幸せな生活が送れると思っているのだったら大間違いだ」


「なんで急に現実的な話をするのよ!」


「未来を考えずに不幸になってきた夫婦をたくさん見てきたからな。そういう計画性の無い夫婦に人生をダメにされてきた子供はいくらでも見てきた」


「スラム街でもいるの?」


「どこにでもいるな」


「どうしろって言うのよ」


「つまり、俺みたいな稼ぐ力が無い奴とは結婚するなってことだ。それならエリックを選んだ方がいい。あいつは王族だ。金なんて湯水のように使えるぞ」


 その時、視界の外からややキレ気味のツッコミが入る。


「おい、人を金ヅルみたいに言うなよ」


 思わず出たツッコミのもとをたどると、エリックが両手に小さな木を持って擬態していた。


「いたのかよ」「見てたの?」


「なんだか、面白そうだったんでな」


 エリックは頭にも樹木の枝を縛り付けていた。タチの悪い森の精のようだった。


 あきれる二人に構わず、エリックは続ける。


「まあ、なんだ。エリスは俺と結婚すればいいなんて言ってるが、お前だって本当はエリスが好きなんだろう? だって、エリスと話した後のお前って本当に幸せそうだったからな」


「うるせえな。んなわけねえだろ!」


 暗闇の中でもティムの顔が紅潮していくのが分かる。


「本当、なの……?」


「ああ、本当だ。皇帝を継ぐ者であるエリックが言うのだから間違いない」


「正気かお前ら。俺はスラム街出身だぞ」


「気にするな。そんな経歴は俺の力でどうとでも書き変えてやる。王族の権力をナメるなよ」


 エリックがニヤニヤと笑う。この見世物を特等席で見られてさぞ満足していることだろう。


 エリスが潤んだ眼でチラチラとティムを見る。風向きが変わってきた。


 エリックは追い打ちをかけていく。


「お前には俺の補佐官として就いてもらう。名前は……ひとまず執務大臣とでもしておこうか」


「俺に政治なんてできるわけねえだろ」


「安心しろ。お前がアホなのは知っているから、実際の政策は議会で決めてもらい、後はお前と俺がハンコだけ押して終わりだ。歴史を見渡してみても、アホな奴が頂点に立った国家は軒並み崩壊する運命にあるからな」


「じゃあ俺じゃなくてもいいだろ」


「そうでもない。この闘いに勝てば俺らは途轍もない求心力を持った英雄になる。民衆というのはいつだってヒーローを必要としているのさ。


 そうなればお前の出自がどうだろうが、その言葉に多くの人間がこうべを垂れる。その力は下手をすれば悪用されるかもしれない。でも、それぐらいなら俺の右腕として生きてもらった方がいい。それならお前も満足だろう?」


「俺にデスクワークなんて無理だぞ」


「安心しろ。さっき言った通り執務大臣には軍を統括する役割がある。もっと言えば全軍の全権を掌握させてやる。お前なら妙に野心をこじらせて他国に耳塚を作りに行くこともないだろう」


「ぐぬぬ……」


 ティムの逃げ道がどんどん塞がれていく。


 エリスと結婚するだけでなく、執務大臣として国の重鎮になるルートが勝手に仕上がっていた。


 野心家であれば狂喜乱舞しそうな道のりだが、それとは正反対のティムには嫌な予感しかしなかった。


「どうだ、ティムよ」


「……」


「観念しろ。年貢の納め時だ。安心しろ。エリスは世界でも有数の美女だ。下手をすれば宇宙で一番かわいい。お前は毎日幸せに過ごせるだろうよ」


 エリックはほんのわずかだけ寂しさを垣間見せた。コンマ何秒の違和感は、夜の闇に薄められていく。


「お願い、ティム。ここでフラれたら、私死んじゃうかも」


 エリスがここぞとばかりに目を潤ませる。演技だと分かっていても、妙に同情心を引かれるいたいけさがあった。


「考えろ、ティム。二十代ならともかくとして、これが三十路、四十路となったらお前の価値観なんてただただイタいだけだぞ。しかも、それに気付いた時にはおそらくもう手遅れなんだ。その後に待っているのは底辺の派遣社員で工場を往復しながらクビに怯える日々を過ごすことになるんだぞ。一時は勇者と呼ばれた男が派遣切りに怯えながら、ホステス上がりのケバい事務員に害虫を見るような視線を向けられるんだ。そんな余生でいいのか?」


「なんでエリックまで生々しい話をするんだよ……」


 そうは言いつつも、エリックの話もあながち無い話ではない。


 夢を見続けるのには対価が要る。


 ある者は何かを成し遂げ、ある者は勝者の踏み台にされる。


 誰もが主役になれるわけではない。


 夢を叶えられなかった夢追い人は「ああはなるな」と後ろ指を指される。


 栄光と屈辱の間に中間の段階は存在しない。


 それは何かを成したか、それとも成せなかったのか。


 最後に残るのはそのどちらかでしかない。


 夢を追うというのはそういうことなのだ。


「ティム、お願い……」


 潤んだ眼で懇願するエリス。


 揺さぶりと同情のサンドイッチ。


 ティムの心はこれまでにないほど揺れていた。


「さあ、覚悟を決めろ、友よ」


 エリックが迫る。


「ああ、とりあえず分かったよ。じゃあオディウムを倒したら考えよう。それまで生き延びないとな」


 ティムが投げやりに言う。


 エリスが苦笑いした。


 答えた風で、結局のところ回答は先送りになった。


「では二人には俺からプレゼントがある」


 そう言うと、ティムは紅く輝く宝石を取り出した。魔石をカットしたもので、ペンダント状になっている。


 二人は怪訝そうにそのペンダントを受け取った。エリスもこの話は聞いておらず、エリックの真意をうかがうような顔を向けてくる。


「これは?」


「聞いて驚け。この魔石には想った事を相手に伝える能力がある。不器用な二人のことだ。きっとこの先も心にもないことを言ってお互いを傷付け合うだろう。残念ながら、俺が皇帝になったらいちいちお前たちの痴話ゲンカを取り持っているヒマはない」


「なっ……」「なによ」


 二人が同時に赤くなる。


 エリックは構わず続ける。


「どれだけ仲睦まじい夫婦でも、ちょっとしたすれ違いで不仲になっていくことはある。それは『自分は相手のことをこれだけ思っているのに理解してくれない』といったものや、『どうしてこの人は自分の気持ちを分かってくれないのだろう?』という不満の蓄積からどんどんこじれていく。そんな時に、このペンダントで本当の想いが伝わったらどれだけ二人の助けになるか、想像できるか?」


「まるでどこかで見てきたような口ぶりだな」


「……まあ、能書きを垂れ続けても仕方ないからこれを付けてみろ」


 エリックは二人にペンダントを手渡した。


 ティムとエリスはおのおのでペンダントを首にかける。胸元で紅い魔石が凄艶な光を放っていた。


 エリスはティムを眺める。



『好き』


『好き』


『大好き』


『超愛してる』



 舞城みたいなやつが聞こえてきた。



 二人の間だけで起こる本音の暴露。仲良く心臓が止まりそうになる。


「ちょっ……これっ、これっ……!」


 エリスが泣きそうな顔で抗議する。


 エリックがニヤニヤと笑いを浮かべる。エリックにエリスの声は聞こえていないが、おおよそ何が伝わったのかは察しがついている。



『俺もだ、エリス』


『心から、愛している』


『すべて』


『心から、君に伝えたい』



 ル〇シーか。




 今度はどこかで聞いたようなセリフがエリスに伝わる。


 発信した側のティムは頭を抱えて絶叫している。軽い地獄絵図だった。


「これさ、世界が平和になったら商品にして売り出そうと思ってるんだよね」


 エリックが苦しみのたうつ二人をまったく気にかけずに続ける。


「まだ試作品なんだが、これは相手に対するネガティブな意見や思いを完全にフィルタリングしてくれて、相手が言われて嬉しい言葉だけをペアの魔石を通じて交信する。ペアストーンとでも名付けておこうか。きっと売れるぞ。バカップル発券器って呼ばれるかもしれないけど」


 エリックの言葉は二人に届かない。


 現在土くれの上でのたうつ二人の間では、ラブソングしか書かない歌手でもためらうほどの甘い言葉が鉄砲水のように互いを行き交っている。


 言い換えればそれだけ二人が両想いであったことを示すのだが、今まで自分自身にすら秘密にしていた想いが相手に筒抜けとなるさまは想像を絶する心理的負担になった。


「まあ、あきらめろ」


 恥ずかしさで死にそうになっている二人へエリックが告げる。


「お前ら二人は両想いだったってことだ。オディウムを倒したらなんて言ってないで、ここで永遠の愛を誓え」


 そう言うと、アリスに出てくるチェシャ猫のようなニヤニヤとした笑いを浮かべる。


「えっ外せないんだけど……」


 エリスが唖然とする。


 脳内暴露装置を一刻も早く取り外そうとするも、ペンダントを首から先へ持っていこうとすると、結界でも張られているかのように動かない。


「そりゃそうだ。そのペアストーンは結婚指輪みたいなものだからな。どちらかが死なないと外せないぞ。そういう仕様で職人に作ってもらったからな」


「は?」「ちょっ……」


 二人が声を失う。


 つまり、これからの人生では中学生が書いた後年黒歴史確定のポエム並みに恥ずかしい言葉たちが立て続けに相手へと届くことになる。


 自分の意志とは関係なく、甘い言葉が相手に届き続ける未来を想像すると背筋が寒くなる。


「ねえティム。悪いけど死んでくんない?」


『嘘だよ! ティム、あなたが死んだら、私生きられない』


 ペンダントが瞬く間に強がりを全否定する。


 本音が届いてしまい、エリスは恥ずかしさでへたり込む。


 恥ずかしさに耐えられなくなり、相手へそれが攻撃としての形態を取ると、それはすぐに古臭い恋愛小説風のセリフに「変換」される。


 心の声と思っていることは大差ないが、言い回しがわざわざ大げさになるため、発信した側は死にたくなる。


 ペアストーンの仕組みを理解したティムが、自分へ言い聞かせるように呟く。


「俺は何も考えないぞ。考えたら負けだ」


『嘘だ。本当はいつも君のことを考えている。それはこの世界が壊れてしまう時だって変わらないさ』


 即座にペアストーンが深層心理を拾い上げる。ティムが苦悶の声を上げながら倒れ込む。地獄絵図だった。


「決戦前になんてことしやがる」「決戦前に何するのよ」


 悶える二人がほぼ同一のことを言う。


 こうでもしないと二人は本当の気持ちを言わないだろうと思っていたが、どうやら今回は「効き過ぎ」たようだ。


「まあ、アレだ」


 エリックが苦笑いしながら続ける。


「この石は二人の強い想いが届きやすくなっている。だからお互いが好きだと認めればこっぱずかしい言葉は飛び交わないんじゃないか。抑制されなくなる分な」


「ほ、本当に?」


 エリスが泣きそうな顔で訊く。


「ああ、本当だ」


 喉元まで出かかった「多分な」という言葉は飲み込んだ。


「好きです。私と結婚して下さい!」


「はい」


 切迫感に満ちたエリスへ、ティムが白旗を上げるように答える。


 魔王との決戦前夜に、結婚を誓い合った恋人たちが生まれた。


 二人は抱き合うでもなく、森の中で仲良く大の字になった。こんな形で恋人と寝ることになるとはお互い思いもしなかっただろう。



 ――少々ロマンチックさには欠けるが、これで思い残すことは無い。



 誰にも聞こえない呟きは、夜の風に乗って消えていった。


「さあ、ここに一組の夫婦が生まれた。英雄として帰ったら、二人の式を盛大に上げるぞ」


 エリックが少し無理くりに見える元気さで言う。


 二人は「えー」と言っていたが、まんざらでもなさそうだった。恋人として互いを認識するのも時間の問題だろう。


 少しばかり妙な形にはなったが、これで三人の絆がより深まった。


 明日にはミラグロの軍勢も追いつき、文字通りの戦争が始まることになるだろう。


 夜空に彗星が流れる。


 エリックは、またこの三人で一緒にバカができるようにと、密かに祈りを捧げていた。

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