回想1

 ――今から17年前。


 冥府マレスペーロで、勇者一行は最後の夜を迎えていた。


 この先の山を越えて行くと、魔王オディウムの待つ冥界がある。


 決戦を前にキャンプを張り、勇者たちは食事とともに心の整理をつけていた。


 暗闇で浮き上がるように燃える焚火。


 明日の闘いで、この世界の命運が決まる。


 言い換えれば、この闘いに負ければ全員が死に、王都ミラグロどころかすべての国が魔物や悪魔たちに支配される未来を意味する。


 逆に闘いで勝利すれば、世界には平和と明るい未来がもたらされる。


 中間などない。勝てばすべてを手に入れて、負ければすべてを失う。


 この食事が最後の晩餐となる可能性はそう低くない。だが、それを口にする者は一人としていなかった。


 見上げれば満点の星空。爆ぜた老木が、乾いた音を立てる。


 柔らかな炎を前に、一行はそれぞれの思い出や未来への展望について語り合った。


「なあ、オディウムを倒したらどうするつもりだ?」


 エリック・イグナティウスは焼いた魚を頬張りながら訊いた。まるで明日の天気でも訊くみたいだった。


「さあな。そんな未来を語る日が来るとすら思っていなかったからな」


 ティム・モルフェウスは自作の果実酒を呑みながら答えた。歴戦をくぐり抜けてきた雄と言うには、いくらか軽薄そうにも見える男だった。


 ティムはどこかつまらなそうに星空を眺めている。エリックはその表情の意味するところを計りかねながら、話を続けた。


「魔王を倒せば俺たちは王都ミラグロの英雄になる。そうなれば金も好きなだけ入り、贅沢な暮らしもし放題だ……と、俺は思いたい」


「どうだろうな。生々しい話、近年の国家予算はやべえって話だ。外国から借金しているらしいから、その内わけわからん奴に国を乗っ取られるかもしれない」


「こんな時にそんな夢の無い話をするな、ティム。俺たちは明るい未来のために闘う。違うか?」


「俺だって世界に平和が訪れることは望んでいるさ。だけど、明日が終われば生きていようが死んでいようが俺たちの旅は終わる。それがちょっと寂しいのさ」


 ティムは遠い目でどこかを見ている。


 彼の能力は「喰らった技をすべて自分のものにする」という驚異的なスキルであり、それは貧しいミラグロのスラム街で育った時に開花した能力だった。


 肉体的にも精神的にも虐げられてきたティムは、スキルの発動を機に騎士団へと入隊して、その頭角を現していった。


 本来は貧民街の出身者が騎士団に加わり、国家のために闘うなどといったキャリアの進展はありえない。


 だが、それを差っ引いてもティムの才能は図抜けていた。


 貴族のエリックはティムの才能を見出し、その出自や経歴を書き換えた。そのせいでティムは表向き元貴族の嫡子ということになっていた。たかだか紙一枚の問題だ。どの世界にも建前はある。


 ティムはイグナティウス家の庇護下でその腕を伸ばしていった。同時に、貧民街出身の下賤さを無くすために貴族的な振る舞いを身に着けるスパルタ教育も施された。


 だが、元来持っている気質までは消し去ることができず、ティムは貴族らしからぬ軽薄さをところどころに滲ませていた。


 ティムとイグナティウス家の「契約」はあくまで魔王オディウムを討伐するまで。その後はティムの生きたいように生きることができる。


 ティムが堅苦しい貴族社会で生きて行くのは困難だ。


 そこには独特の伝統があり、規律がある。


 腕っぷしと闘いの才覚だけでのし上がってきたティムは、おそらく騎士団の規律を守ったり、上下関係の理不尽さに耐えることができない。


 そうなるとおそらく騎士団崩れの私兵団を作って糊口を立てていくことになるだろう。闘いに生きた者は死ぬまで闘うしかない。かつての英雄は各地の戦場で武勲を立てるべく奔走することになるだろう。


 だが、それは今まで連れ立ったエリックやエリスとの別れを意味する。


 いずれは避けられぬ未来であったはずだが、いざその時が近付くと、すでに決まっていたこととして割り切るのは難しかった。


 そもそも住む世界が違ったのだ。エリックは王族の血が流れているし、エリスも大賢者筋の血統書付きの白魔導士だ。身分で言えば、ティムたちとは天と地中深くで眠りにつくセミほどに差がある。


 国家間のパワーバランスを考えればエリックとエリスは結婚するだろう。誰が見ても安泰なハッピーエンドだ。


「俺はこの闘いが終わったら自由に生きるよ。二人は王都を護る象徴として、末永くミラグロを治めてくれ」


「それがなあ……」


 エリックが頭をかく。


「どうした?」


「いや、なんていうか、こういうのはどうやって説明したらいいんだろうな?」


 エリックが助けを求めるように目をやると、エリスが今までにないくらい真剣な顔でティムを見つめていた。


「ティム、ちょっといいかな?」


 エリスは返事を待たず、ティムの手を引いて焚火を離れて行った。


 困惑しながらエリックを見ると、何やら神妙そうに頷いていた。


「なんだ一体」


 エリックは質問に答えなかった。エリスに手を引かれて、二人は焚火の明かりからどんどん遠ざかっていく。


 そのまま近くの林を抜けて、エリックの姿は見えなくなった。

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