再会
「飽きたわね……」
宙づりのまま、レインはひとりごちる。
全裸のままいたぶられた身体も、数時間すると傷が癒えてきた。魔法が封じられていても、スキルの「超回復」は封じられていないようだった。
もう少しすれば体力が戻る。
その時には文字通りの力技でこの鎖を引きちぎり、この牢獄から逃走する。
ただ逃走するだけではない。漆黒の森へと魔手を伸ばそうとしているゲオルクを始末する。あわよくば皇帝も……。
そのような妄想を宙づりのまま一人でこねくり回していたが、長くは持たなかった。
すぐに飽きて、することが無くなった。
魔法は封魔の紋で封じられている。回復魔法でさえ、使おうとした瞬間に強力な電流が全身へと流れる。二度とあんな電流は喰らいたくなかった。
することもなく、半ばスリープモードのように呆けていると、檻の向こう側から人が倒れるような音が聞こえた。
牢獄の鍵が開けられる。
子供には見せられない部屋。その場に不相応な人物が入って来た。
「皇妃……?」
数時間前まで拷問が行われていた部屋へ来たのは、皇妃のエリス・イグナティウスだった。
なぜ彼女がここに……?
頭の理解が追い付かない。
元々は彼女を誘拐して交渉を進めるつもりだったが、その「獲物」が自分から姿を現したので、どうしてそのような状況になったのかが理解できなかった。
「見張りはどうしたの?」
「ちょっと眠ってもらったわ」
そう言うと、エリスは封魔の紋のスペルが刻まれた床の紋章へ、解除の紋を上書きしていく。
いくつもの紋章が大きな円を描く形になっていた強力な結界は、エリスの解除魔法で徐々にその効力を失っていく。
紋章が一つ消えていくごとに、レインの魔力が回復していくのが分かった。
「何をしているの?」
レインは思わず訊いた。
エリスのやっていることは敵に塩を送るレベルの行為ではない。
皇妃は明らかに国へ脅威を及ぼした人物の逃亡を
取りようによっては、ミラグロを裏切る行為とみなされても仕方がない。
答えずに封魔の紋を解除し続けるエリスへ、レインはもう一度質問する。
「何をしているの?」
「あなたを解放するのよ」
「どうして?」
「確かめたいことがあるの」
「確かめたいこと?」
「そう。あなた、名前は?」
「レインよ。レイン・ハンネマン」
「やっと名乗ってくれたわね」
エリスが苦笑する。
初めて会った時に、誰か訊かれても名乗らなかったことを時間差で思い出した。
「それはそうでしょうね。名前を名乗る誘拐犯なんて聞いたことがないわ」
「あ、でも……っていうことは、あなたがあの死の天使?」
死の天使――一度見たら誰一人として生きて帰ることはできないと言われる、レイン・ハンネマンの二つ名だった。
「私がミラグロでどう呼ばれているかは知らないけど、あなたたちの軍勢が恐れている存在というのであれば、それは私でしょうね」
「まさか……こんなに美しい女性がその死の天使だなんてね」
エリスの両手が光り輝く。
レインはとっさに身構えた。
その刹那、優しい光がレインの全身を包み込む。
傷がみるみる癒えて、肌ツヤでさえ良くなっていく。
回復魔法のセラピアだった。それも、かなり上質の。
エリスは皇妃になる前は、魔王オディウムを討伐した一行にいた。たかだか回復魔法を披露しただけだが、それも頷けるほどの魔力だった。
「さすがね」
「まあ、これでも幾千もの修羅場を潜ってきていますから」
皇妃はいたずらっぽく笑う。
その顔を見て、レインはドキっとした。
そんなことはないとでも言うように、首を振る。
レインは全裸で宙づりになったまま、激しい動揺を抱えていた。
――エリスの顔を見て、「かわいい」と思ってしまった。
もっと言えば、恋心に近い感情が芽生えかけた。
危機的な状況を救ってくれたからかもしれない。
だが、それだけでは説明しきれない何かがあった。
――まさか。
レインの脳内に例の電流が走る。
まるで感電でもしたかのように、バリっと嫌な音が間歇的に襲ってくる。
暗くなる視界。真っ暗な映像の中で、雷のように電気が走る。
壊れたテレビのように途切れ途切れになる意識。
倒れ込みそうになるのをこらえて、エリスを見つめる。
「これ……」
エリスが胸元からクリスタルのペンダントを差し出す。
特殊な魔石を削り取って作った、魔力を増幅させる術具。
「これ、見たことないかな?」
エリスが訊く。
半分は祈るように。
ペンダントを見た刹那、無いはずの記憶が甦ってくる。
『説明は難しいけど、何て言うか、人間っていうのは死ぬ気でやればどこまでもやり直すことができるし、そうしないと本当の意味では生きられないんだって思ったんだ』
「そうだね」
『だから、一言で言えば……ありがとう。そして、エリス。俺はお前を愛している。この闘いが終わったら、ベッドに穴が開くぐらい抱いてやる。それだけ好きなんだ。分かってもらえるか?』
「分かるよ」
「私も愛してる」
『俺は必ず帰って来る。死んでも、お前に会いに来る』
「必ず、帰って来て。待っているから」
――そして、「俺」が帰って来ることはなかった。
――蘇る記憶。
自然と涙が溢れてきた。
エリスに抱いた感情。
懐かしい「何か」。
レインの心でパズルが徐々に完成していく。
封魔の紋が完全に解呪され、レインの魔力が完全に戻る。
手足を縛る鎖を魔法で瞬く間に破壊すると、奪われた衣服を生成していく。あっという間にレインの体がいつもの黒衣に包まれた。
中空から、ふわりと地面に下りる。
「はじめにありがとうと言うべきかしら。それとも……」
エリスを見る。
真剣さの中に、どこか悲しそうな影があった。
「ごめんなさい。何から話していいのか分からない」
レインが戸惑い気味に言うと、エリスが答える。
「あなたは、帰ってきたの?」
「まったく現実感が無いけど、どうやらそうみたい」
二人の間で交わされる意味不明な会話。
この時、二人の胸にはある確信が生まれていた。
「一応、約束は守ったでしょう? 間違えて女に生まれてきたけど」
レインが苦笑する。
エリスの美貌、献身、優しさ。そのすべてを忘れ去るのはあまりに難しい。
たとえ、それが何年経った後だとしても……。
「おかえりなさい」
エリスの瞳に涙が浮かぶ。
二人は無言で抱きしめ合った。
長きに渡り、果たされぬままだった約束――
――レインはすべてを思い出した。
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