禁書の記憶

「まさか、あの本のことを思い出す日が来るとはね」


 エリスはミラグロ城の地下にある霊廟れいびょうを歩いていた。


 ミラグロの霊廟れいびょうには、ミラグロ史に残る偉人たちが祀られている。その名前には王都ミラグロの創立者にはじまり、帝国へと国土を拡張させた英雄、そして魔王オディウムの討伐に多大なる貢献をした者が連なっている。


 ここにはエリスにとって身近な人物の一人が聖人として眠っている。


 ――彼は、エリスにとって大事な人だった。


 エリック・イグナティウスがいなければ、いや、彼が生きていればルビを入力…、エリスは彼の妻になっていたかもしれない。


 ――もう帰らない、愛しい人。


 思い出は消えずに、この胸でずっと灯り続けている。


 遠く、懐かしく、切ない記憶。


 それは、何年経った今も鮮明に残っている。


 きっと、あと何年経っても……。



 エリスが魔王討伐を目指す勇者一行にいた頃、興味半分で読んだとある禁書があった。


 それは、「死した人の魂は別の肉体を見つけて、また別の生命として生まれ変わる」という荒唐無稽なものであった。


 それは斬新な考えであった。


 ミラグロに限らず、この世界に生きている者にとって、死した者は神の国で永遠の愛とともに生きていくか、地獄で永遠の責め苦に遭いながら悠久の時が流れていくという説が常識であり、公理であった。


 平たく言えば、良かろうが悪かろうが「あの世」というのは、一度行けば行きっぱなしで帰って来られない場所にあたる。


 別の生命へと「転生」するなどと、そんな話は子供向けのおとぎ話でも通じない非現実的な概念だった。


 おそらくそのような「禁じられた考え」というものを大々的に書き記したせいなのか、その説明がなされている書物は焚書ふんしょとなる予定であったが、何とか難を逃れたようだった。


 うら若き白魔導士であったエリスは、そのような禁書をゴシップ誌でも読むような感覚で楽しんだ。


 自身を「雑食」と評するエリスは、遊び感覚で禁書や魔導書を読みふけっていた。お陰で白魔導士のくせに黒魔術だろうが暗黒魔導術だろうがお手の物である。


 脳裏には複雑な術式が無数に記憶されており、その理論は隅から隅まで理解されている。


 それは瞬時により複雑な術式へと進化して、新たな魔導術となって敵へと襲いかかる。


 魔物にとってエリスは世界一凶悪な魔導士であった。


 そんな魔導書・禁書マニアであるエリスでさえ珍妙に感じる内容の書物があった。


 それは滅ぼされた少数民族の中で禁忌となり、禁書を記した魔導士は異端者として焼かれた。


 この世から消え去るはずだった技術は、その存在すら知られていない弟子の手によって秘匿され、本として保存されてきた。


 禁書マニアのエリスは勇者一行の大金を勝手に持ち出すと、法外な値段でその禁書を買い取った。


 幸い禁書を代々保管していた弟子の子孫は、一族の秘宝とされる禁書を厄介な聖遺物ぐらいにしか思っておらず、それを引き取ってもらえる上に金までもらえるということから喜んで手放した。


 エリスはその禁書を読みふけった。


 まるで人気作家の新作を一番に読み終えようとしている読者のようだった。


 禁書の知識はみるみるとエリスの力になっていった。


 ただ、魔法は自分の力にしたものの、その禁書には気になる記載があった。それが例の「転生」のくだりである。


 暗黒魔導術の習得については直接関係ないので参考知識程度にしか読んでいなかったが、その理論はどうにもエリスの心に引っかかった。


 魔導書に実際の科学とは矛盾した「事実」が書かれているということはそう珍しいことではない。というのも、魔導書はしばしば古書であることから、当時の知識や常識がその素地として書かれていることが多い。


 その中には政治的な事情にまみれた神話もどきの話もあるのだが、そういった話は後世の者には「役に立たない」と一蹴される。読むべき本は無限にあり、そのような神話はむしろ邪魔だと知っているからだ。


 だが、魔導書マニアたるエリスはそういった神話や逸話の部分も余さず読んでいた。情報の取捨選択能力が高かったこともあり、エリスは魔王軍にとって一層タチの悪い魔導士――大賢者へと変貌を遂げていった。


 そんなエリスにもくだんの「転生」論については荒唐無稽な昔話で済ませていた。


 その判断が間違えていたとは思わない。だが、その理論が妙に気になりはじめた。


 世の中には輪廻転生があった方が説明のつく現象が確かに存在する。


 一度も弾いたことの無いはずのピアノをものの見事に弾く少年の話に、前世の記憶を滔々と話す子供――そういった話は、散発的に現れては世間を少しだけにぎわせる。


 それらの事象は一方で「荒唐無稽」と謗られながらも、もう一方の視点から見れば「そのようなこともあるのかもしれない」と思わせるだけの説得力を持っている。


 むしろ、後天的に才覚を手に入れたのであればつじつまが合わないルビを入力…


 彼らは、明らかに「はじめから持っている」のだ。


 好奇心もあり、分かりし頃のエリスは禁書の「転生」を繰り返し読んでいた。単に読み物として面白かったからだ。


 とはいえエリスもその転生説については話半分ぐらいにしか信じていなかった。


 人は死ねばそれっきり。


 良き魂は「あちら」で神に祝福され、悪い魂は悪魔に苛まれながら悠久の時を経ていく。


 誰もが知る、


 だが、エリスの中でその常識にヒビが入りはじめている。


 今でも唇に残る感覚。


 ダークエルフの女――キスして、舌を入れてきた。


 ぐちゃぐちゃと音を立てて、皇妃らしからぬ卑猥な口づけをしてしまった。


 それだけじゃない。


 ――私は、明らかに自分から求めていた。


 はじめて会ったはずの女の唇を、その愛を。


 思い出すと、下腹部が熱くなってくる。


 手を当てると、かすかに湿っていた。


 自分をごまかすように首を振る。


 濡れていない。


 濡れてなんかいない。


 それはきっと気のせいよ。


 私が愛したのは、皇帝のエリックと――



 エリスは脳裏をよぎる仮説を確かめるために、霊廟れいびょうへと歩いて行く。


 ――彼の眠る場所へ。


 今でも彼のところには通い続けている。


 ――ティム・モルフェウス。


 皇帝と並び称えられる、王都ミラグロを救った真の勇者。


 魔王オディウムとの闘いで命を落とし、今は神として祀られている。


 いつの日か愛を誓い合い、約束は果たされぬまま永遠の別れを迎えた。


 蘇る記憶。


 今でも、思い出せば涙が出て来る。


「もしかして」


 誰にともなく、語りかける。


 彼しか知らないはずの約束。


 果たされることのなかった想い。


 それが、長き時間を経て叶えられようとしているのかもしれない。


「あなたなの……?」


 問いかけは、虚空へと溶けて消えていく。


 エリスは彼に会いにいこうと思った。

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