秘められた謀略

「あの忌々しいメス犬め。皇妃でなければ始末しているものを」


 ゲオルクは不機嫌そうに回廊を闊歩していく。


 エリスの存在はゲオルクの野望を達成するにあたり、かなり邪魔だった。


 皇帝エリック・イグナティウスはまっすぐで誠実な人物だが、言い換えればバカでコントロールしやすい操り人形だった。誰が見ても実権を握っているのは執務大臣のゲオルク・ベーゼだ。


 政治に疎いエリックは帝国が生存、繁栄するにあたり、自身がどのような方策を打ち出すべきなのかのビジョンをまるで持っていない。


 そもそもエリックは戦闘狂の元軍人だ。命令を受けることはあっても、誰かの上に立って意思決定を行うこと自体が遺伝子から削除されているのだ。


 そのせいもあってか、エリックは政治にまつわる意思決定を各権威の人間で構成した諮問委員会で大綱を作り、自身ではその政策の是非を決定するだけの立場を取ることにした。


 言い換えればエリックの仕事は承認のハンコを押すだけで、実質的な政策や自治体の運営は参謀や委員会に丸投げしている。政治を知らない人間が中途半端に政治へ加わると、大体はろくでもないことが起きるからだ。


 そこで白羽の矢が立ったのがゲオルク・ベーゼだった。


 ゲオルクは皇帝に次ぐ権力を持った執務大臣として、王都ミラグロで強大な権力を誇っている。


 ミラグロの知将として知られるゲオルクは、その内に野心を見せるようになりはじめた。


 皇帝の指示として自身の政策を実施していけば、事実上の皇帝として王都ミラグロを治めていける。そうなれば利権も権力も存分に振るうことができる。


 だが、皇妃たるエリスはゲオルクにとって邪魔な存在だった。


 極右に近い思想の鷹派であるゲオルクは、国土の保全と世界平和の名目で侵略まがいの行為を各地で執り行ってきた。


 エリックには各地で反乱があったと嘘の報告をして、無理くり同意を取り付けてきた。


 そこに待ったをかけはじめたのが皇妃エリス・イグナティウスである。


 実際に魔王オディウムを討伐した一人であるエリスは、深窓の令嬢と呼ぶにはあまりにも勇猛果敢過ぎた。


 何しろあの魔王と直接闘おうなどと思う狂人たちの一味である。一般人の思考とは何もかもが違う。


 だからこそ国民は皇妃に絶大な信頼を抱いており、少々頼りない皇帝が王都ミラグロを治めていても大して問題になっていないところがある。


 ゲオルクにとって、そんなエリスは邪魔な存在だった。


 極端な鷹派であるゲオルクは弱肉強食を至上として、国益になるのなら侵略戦争も辞さない。理由なんぞ後からいくらでもつけることができる。


 漆黒の森も名目上は精霊崇拝などという邪教の慣習が世界へと広がらないためというものである。ダークエルフたちはミラグロの侵攻で邪教の信仰から救われるという体裁になっている。


 実際に行われているのは宗教戦争であり、他者の宗教への不寛容に他ならないのだが、生まれながらのホラ吹きであるゲオルクにはその理由をもっともらしく語る方法が幾千でも思いつく。


 どれも屁理屈には違いないのだが、薄っぺらい内容でも難解な単語で糊塗すれば不思議とそれらしく聞こえる。


「しかし……」


 ゲオルクは回廊で立ち止まる。


 邪悪な思考をこじらせて、いかに自身の手で王都ミラグロを、帝国を牛耳るか熟考する。


 以前には「喜び部隊」と称した女性を皇帝の傍へとはべらした。


 実際には男の欲望を満たすための人員だったが、エリックは「エリスに殺される」と言って寝屋へ来た女を全員拒絶してしまった。


 国中の美女を集めたはずが、エリックを陥落させることはできなかった。それが妻への愛なのか、それとも畏怖なのかは分からない。


「あのメス犬は確実に邪魔だ。だが、皇帝はベタ惚れときている。さて、どうするか……」


 時間差で、ゲオルクの頭上に邪悪な豆電球が光る。


「そうか、その手があったか。やはり私は天才だ。この作戦があればあの計画も……」


 ゲオルクは邪悪な笑いを押し殺しながら歩み始める。


 清廉潔白で勇猛果敢であることから鉄の女を通り越して「強化クリスタルの女」と呼ばれるエリス・イグナティウス。


 その強さ、美しさ、優しさゆえに国民から絶大な信頼を集めている。


 ――だからこそ、


 ゲオルクは黒い笑いを浮かべる。


 けた違いの強さを誇る、邪魔なダークエルフも近々火刑になる。


 エリスもきっと、その後を追うことになる。


 窓を見やると、カラスと目が合った。


 カラスは怯えるように去って行った。


 彼はきっと凶報を伝える象徴となるだろう。


 この先に残る、歴史的な大事件の幕開けとして。

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