ゲオルクの暴走

「あのボンクラが」


 ゲオルクは虚空に毒づいた。


 部下の帝国兵を連れて、不機嫌そうに城内の回廊を闊歩する。ゲオルクは無駄に歩くのが早かった。


 気まずい静寂。兵士たちはゲオルクの「独り言」を聞こえなかったことにした。


 ゲオルクは皇帝エリックに不満を抱えていた。


 魔王亡き今、人間の脅威となる存在はいない。言い換えれば、人類の覇権を握る者がこの世界の王となる。


 エリックはそれゆえに人神に等しい存在とされているが、魔王の脅威が無くなったことで、その覇権を奪いにくる者が現れる可能性がある。人間は相手が誰であれ、争うことを好む。人類の歴史とは、戦争の歴史でもある。


 良く言えば平和主義、悪く言えば危機感の欠如した皇帝は、国防についてはほとんど関心を持っていなかった。ゲオルクからすれば、その能天気さは許しがたいことだった。


 加えて皇妃のエリス・イグナティウスもゲオルクにとって邪魔な存在だった。


 エリスは勇者一行を回復魔法で助けた文字通りの癒し系美女だったが、激戦をくぐり抜けてきたせいか、想像以上に気が強かった。


 鷹派のゲオルクは近隣諸国で驚異になりそうな国家を「しめあげる」よう進言してきたが、そのたびにエリスの一喝で封じられてきた。


 そこにはかつてあった深窓の令嬢といった趣きは無く、人々を導く強い女王の貫録があった。


 当然気の弱いエリックは圧倒されて、エリスに逆らうことなどできない。


 そのためゲオルクの掲げる理想への道はいつでもエリスに阻まれていた。口には出さないものの、エリスの存在は途轍もなく邪魔だった。


「いっそ――」


 その先を言おうとして、咳払いをする。


 怒りに我を忘れ、護衛がいるのを忘れていた。


 たとえ気を抜いた末での独り言だったとしても、その先を聞かれたら無事ではいられまい。


 不機嫌そうに回廊を見つめ、歩を進める。


 タイミングを見計らった配下が、ゲオルクに訊く。


「漆黒の森へと向かわせた部隊は撤退ということでよろしいでしょうか?」


 ゲオルクは苦虫を噛み潰したような顔で虚空を見つめる。重々しい足音以外、何も聞こえなかった。


 配下の兵士はゲオルクに寄り添ったまま、返事を待っている。


 ゲオルクたちは回廊を抜け、遠くが見渡せるバルコニーに出た。


 抜けるような青空。その遥か向こうには漆黒の森がある。


 バルコニーにいたカラスが、ゲオルクたちを見て飛んで行った。カラスなりに殺気を感じたのかもしれない。


 ゲオルクはバルコニーで立ち止まり、遠くを見つめていた。


「撤退、か……」


 心ならずも敗北を認めるような声。


「いや」それが、ふいに険しくなる。


「漆黒の森から兵は撤退させん。奴らを皆殺しにしろ。場合によっては森を焼いても構わん。邪教を崇める者に容赦などいらない」


 ゲオルクの眼には、復讐心に満ちた炎が揺らめいていた。


 帝国兵はわずかに目を見開き、敬礼して去っていった。


 残った兵が目を見合わせる。執務大臣の一存で、漆黒の森の焼き討ちが決まったのだから、無理もない。この男の意志は皇帝のものとして部下たちへと伝令されていく。


 ――これから戦争が始まる。


 それは誰の目にも明らかだった。


「良いか、漆黒の森の焼き討ちにあたり、邪教を崇拝するダークエルフの討伐を併せて命じる。戦果者には褒賞をたっぷりと出してやろう。殺したエルフの耳を証拠として集めてこい。あの尖った耳であれば、どれだけのエルフが駆除されたか分かるだろう」


 帝国兵たちは、ダークエルフの血にまみれになった耳が山積みにされた光景を想像して、そのおぞましさに震えた。


 ゲオルクは本気でダークエルフたちを殲滅しようとしている。


 誰一人としてゲオルクに逆らえる者などいない。狂っていようが、この男は皇帝に次ぐ権力を持った執務大臣だ。逆らえばどんな目に遭うかはバカでも分かる。


 ダークエルフたちに罪は無い。


 だが、彼らはたまたま運が悪かったのだ。


 不幸にも魔石の産出地に住居を構え、それでたまたま帝国に屈服しなかっただけだ。


 それでも世界の覇権を握る者の逆鱗に触れれば不幸な結末が待っている。


 彼らは、そのような未来を予測できるほど聡明でもなかった。


 起こったことは、ただそれだけだ――。


 誰に宛てたでもない正当化。自分自身を騙している。


 誰もが、胸の内に巣くう罪悪感をごまかしていた。


 魔王亡き今、世界は平和でいられるはずだった。


 だが、それも幻想なのかもしれない。


 間もなく漆黒の森を本格的に侵攻するための部隊が組まれる。無数の歩兵に魔導士、聖騎士たちが雪崩のようにエルフたちを飲み込むだろう。


 大空を一羽のカラスが飛んで行く。


 まるで、この地から逃げていくように。

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