皇帝となった英雄
――王都ミラグロ。
魔王を打倒した勇者の一人、エリック・イグナティウスが皇帝として治める希望の地。
「パザエフが討たれただと?」
エリックが皇帝の威厳を忘れて取り乱す。
凶報を伝えた臣下は、苦虫を噛み潰した顔だった。この後に控えた叱責や懲戒、降格が脳裏をよぎっているのは明らかだった。
「はい。なんでもバケモノにように強いダークエルフが現れたそうで……」
「信じられん。パザエフは人格はともかくとして、重火器の扱いに長けた歴戦の雄だ。それがこうもあっさりと倒されるなんて……」
「現在、そのダークエルフの素性を洗っているところです。あれだけ強いのですから、事情通であれば何か知っているかと」
「いやしかし、世界は広いな。魔王を倒した時には、この世界で私たち以上に強い者など存在しえないと思っていた。だが、ここで考えを改めるべきのようだ」
エリックはそう言いつつも、どこかワクワクした顔になっていた。エリック自身が闘いに身を置いてきた勇者なのだ。血が騒ぐのも無理は無い。
「あなた、やっぱり漆黒の森を攻めたのは間違いだったんじゃないの?」
皇妃のエリス・イグナティウスが心配そうな顔で訊く。
エリスもかつては一国の王女でありながら、勇者一行に回復魔法で貢献した伝説の聖女だ。エリスとエリックは魔王討伐後に婚姻を果たし、王都ミラグロを創り上げた。
王都ミラグロは魔王討伐後にできた国家連合の中枢に当たる。帝国という形態をとっているものの、実質的な自治権は各国で保有しており、有事の際を除いてはそれぞれの国で自国の問題を解決するルールとなっている。
皮肉なことではあるが、魔王という驚異は人間たちを一致団結させ、同族間での争いを消し去った。猛獣がすぐそこに来ているのに、喧嘩を始めるバカがいないのと同じ理屈だった。成り立ちはどうあれ、国家連合の形成は人類にとって好ましいものになった。
だが、その一方では国家連合という特質上の問題も孕んでいた。
国家連合の長として君臨するのはエリック・イグナティウスだった。
魔王討伐を果たした英雄ではあるが、政治的な立場としてはお飾りにほど近い。平たく言えばバカだからだ。
元タレントのアホ議員が国会で通用しないように、世界の英雄だったからといって国政がうまくいくわけではない。
政治には政治の哲学があり、それは昨日今日で政治に関心を持ち始めた人間がどうこう出来るものではないからだ。
そのため、各支部国の主権はそれぞれの国家元首に任せているのだが、考え方や宗教上の相違から近隣国でのいざこざが起きやすかった。
理由はエネルギー問題や移民問題、流民による治安悪化や雇用の問題など様々だった。
エリックは一国の兵隊上がりでしかなく、世界を救った英雄とは言え、政治力についてはカスだった。
このままでは国が亡ぶと、参謀たちが実質的な執務執行を行ってきたわけで、政策についても専門家に丸投げだった。それでも脳味噌までもが筋肉のエリックに一国家の全未来を任せるよりはだいぶマシだった。
エリックを見つめるエリス。
その眼には愛する国を憂う優しさがあった。
だが――
『困っている顔までかわいいな』
当のエリック本人には、エリスの懸念は届かなかった。平たく言えばバカだからだ。
さすがに口にするほど愚かではなかったが、漆黒の森侵攻を続けるか否かについては、「専門家」の意見無しには判断できない。それを判断できるだけの頭脳があれば、政治運営を執行委員会に丸投げなどしていない。
「あーそのー……なんだ。その、漆黒の森? このまま攻めるかどうかって話?」
知ったかぶりをしてしまった映画を紹介させられるような口ぶりで話すエリック。
「そうよ。そもそもダークエルフに罪は無いじゃない。資源が欲しいなら協力体勢を要請するだけでいいじゃない。軍事侵攻なんてあんまりだわ」
「まあ、そうかもな(棒読み)」
「今からでも遅くない。軍は漆黒の森から撤退して、彼らと友好的な立場を取るべきよ」
「それはなりませんぞ」
和平を訴えるエリスに、痛烈な声が飛ぶ。
「ゲオルク……」
声のした方に視線を遣ると、執務大臣のゲオルク・ベーゼが険しい顔で立っていた。
皇帝の直属機関である執行委員会の長、執務大臣を務める「鉄の男」。
魔王討伐では軍の最前線で活躍した知将と言われており、戦場で最も敵に回したくない男と恐れたいわつくきの英雄。
いわくつきというのは、その性格の陰湿さや、敵に対しての酷薄さから来ている。
腕っぷしに恵まれなかったゲオルクは、その頭脳を活かして戦場を生き抜くことにした。
だが、敵国であれば女子供でも容赦なく殺戮の対象にし、一国の王女を自国の兵士に輪姦させた上に殺すなど、極悪非道さでも世界で広く知られている。
ゲオルクは異常なまでにプライドが高く、一度覚えた怨みは何百年経とうが決して手放そうとしない。どちらかといえば、その執念深さに多くの者が恐怖を抱いていた。
「漆黒の森では大量の魔石が採掘できると言われています。大して強くもなかったはずのダークエルフたちが存外に粘るのは、その魔石の力があるからと思われます」
「それもそうだが、精霊のご加護があるからじゃないのか?」
「精霊でございますか。まあ、奴らからすれば聖なる存在なのでしょうが、言ってみれば邪教の神であり怨霊です」
「ずいぶんな言いようね」
エリスが顔をしかめる。
「皇妃様、邪教に配慮する必要などありません。邪教は所詮邪教です。私たちと同じ神を崇めないからいざこざが起きる」
エリックもエリスも黙る。
互いの神を認めないことが、世界でいくつもの戦争を生み出してきた。
だが、それを言えば自国の神や教会を否定することになる。目の前のタヌキじじいのことだ。不用意な発言をすれば大ごとにされた上に、足をすくわれかねない。
当然、ゲオルクはそれぐらいのことは織り込み済みのはずだった。
ゲオルクは不気味な微笑を浮かべながら続ける。
「魔王討伐後、世界の団結は
「他国が侵攻してくるという噂はどこから来るの?」
「地獄耳でしてな、私は」
ゲオルクは口角を不気味に上げながら自身の耳を指さす。
エリスが害虫でも見るかのような視線を送る。ゲオルクはまったく意に介さない。
二人が険悪な雰囲気を放つ中、皇帝のエリックが咳払いをした。
「とにかく、だ。漆黒の森の侵攻はもう少し待て。ダークエルフは思ったより手ごわいようだ。交渉して貿易するとか、もう少しマシな手があるだろう」
エリスをチラチラと見ながら、諭すように言う。妻は今にも腹心へと噛みつきそうな顔をしていた。
「承知いたしました。ですが、私たちには時間が無いということをお忘れなく」
ゲオルクは意外にも抵抗せずに一礼すると、その場を辞去した。
部屋を後にする執務大臣の背中を、多くの視線が追いかける。
「あなたこそ、国を危機に陥れる悪霊よ」
閉ざされた扉に、皇妃エリスが毒づく。
全員の耳に入ったはずだが、誰もが聞こえなかったことにした。
皇妃と執務大臣の不仲は有名だ。この先も二人のやり合いが続くと思うと、誰もが胃に不快感を覚えた。
――俺、やっぱり皇帝に向いていないかもしれない。
エリックは困り果てた顔をしながら、誰にも言えない独り言を飲み込んだ。
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