別章
風待山 6
副島は一人だけの病室でベッドに寝かされていた。もう、自分だけでは 動くことができない。
今日は特に体が重く感じる。力が体から抜けていくような感覚だ。遠のく意識の中で、考えた事は自分のこれまでの人生だった。
―自分は幸せだった。
美智子というつれ合いとの出会いがあった。
中学生の自分が美智子と話している情景が頭に浮かんできた。
美智子は静かな子だった。どちらかというと、副島は自分はだれにでも平気で声をかけて、すぐに友だちになるタイプだったと思う。だから、美智子にも普通に話しかけたり、あいさつしたりしていたが、美智子にはそれが嬉しかったらしい。
「それまであまり男子と話したことはなかった」と後から話してくれた。
美智子と結婚して、さやが生まれた。さやは素直な優しい子に育ってくれた。私が体をこわしてからも、遠くから時々見舞いに来てくれた。
家族のことをいろいろ楽しそうに話してくれるのが嬉しかった。
幼い孫も来てくれた。もみじはしっかりとしたお姉さん、つばきは純粋な心を持つ子。二人ともかわいい孫だ。
耳元でだれかの声が聞こえてくるが、何を言っているのか聞き取れない。
「……おじいちゃん」
山頂で一人座っている夢を見ていた。
副島は自分がだれもいない森の中にいた。
――ここはどこだろう。
辺りを見回したがだれもいない。来たことのない場所だ。
よく見ると道が一筋通っている。この道を歩いて行けばどこかにたどり着くのだろう。
副島はゆっくりと道を歩き始めた。緩やかな登り坂である。自分は体をこわしていて歩けなくなったと思っていたのに、不思議と足取りが軽い。
こんなに歩くのは久しぶりだ。副島は道なりにどんどん森の中の道を歩いた。
次第に辺りの森が明るくなり、目の前に空が開けたところが見えた。
副島はもう駆け出していた。
山の頂上に出たのだ。どうやらここは風待山だ。
山頂から見る眺望は病室でふさいでいた自分の気持ちを解放した。
ここから見えるまちは、自分が住んでいたまちである。
見覚えのある家、学校、病院、スーパー、公園。
副島はしばらくここからこのまちを見ていようと思った。
何日経ったのかわからない。毎日、副島はだれもいないこの山の上に一人座って、はるか下に臨むまちを見ていた。
「……せんように」
――美智子の声か…?
山の麓の方から風が吹いて、その風にのって聞き覚えのある声が副島の耳に届いた。
――何か私に伝えようとしているのか。
副島は耳を澄ませて、その声が何を言っているのかを聞こうと両手を耳の横に添えた。
耳に神経を集中させ、目をつぶる。
つぶった副島の目の奥にベッドに横たわる女の姿が見えてきた。
――だれだ?この女。
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