別章

風待山 5 

 美智子の日課はある一つのことをすることで始まる。

 仕事に出る時、玄関を出ると家の裏手に見える風待山に心の中で祈るのだ。

 孫のもみじもつばきも一緒に並んで祈るときもある。


「願い事はだれにも言っちゃだめだよ。言うとね、願いが叶わなくなっちゃうから」


 美智子は孫にそう言っている。だから、もみじもつばきも美智子が何を祈っているのか知らないし、美智子も孫のもみじやつばきが何を願って、何を祈っているのか知らない。


幸せを願ってはいけないって……。


 今朝も三人で並んで風待山に向かって頭を下げてそれぞれの願い事を心の中で言ってから、それぞれの職場や学校に向かった。

 

 美智子はあの女の一日を……。


 「風待山でおじいちゃんが私たちを見守ってくれているような気がする」

 おじいちゃんならきっと願いを聞いてくれると思う。

私は幸せを願っていません。ただ一つだけ、聞いてほしい願いがあるんです。 

 この願いをおじいちゃんに伝えたいな。


 つばきは学校へ行く途中にある風待山の石塔の前に来ると、また心の中でつぶやく。

「私の願いを聞いてください」


 もみじは中学校の校門の前を曲がるとひときわよく見える風待山の山頂を一瞬見上げて唱える。

「私は毎日願っています」


 美智子は市役所の駐車場で、車の窓から見える山頂に向かって目を閉じて、願いを唱えた。

 「どうか……」


 三人とも頭の中に自分の願いを思い描いていた。


 今日はよく晴れていて、風待山の空の青さは三人の心のように澄んでいた。

 心地よいさわやかな風が山に向かって吹いていく。

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