第3話 ごみ箱

 美智子はそれまで男子とはあまり話したことがなかった。男子が目の前にいるだけで、自分がその場にそぐわないような違和感を覚えてしまう。

 そんな美智子にもクラスに一人気になる男子がいた。見た目はいたって普通。特別、かっこいいとか、いけてる、という感じではない。

 その子は副島君といった。静かな子だ。美智子は副島君と初めて話した時のことを覚えている。

 

「ここができないんだけど、わかる?」

 隣でミシンをかけている副島君が美智子に話しかけてきた。

 来月、文化祭がある。その文化祭では学級ごとに教室で展示を行うことになっている。

 美智子たちの学級では、巾着袋やハンカチ、ティッシュケースを作って販売しようという計画になっていた。売れたお金で募金活動をしようという計画である。

 掲示物を作って、世界中の紛争や貧困地帯のことを紹介するチームと販売する小物を作るチームに分かれて準備を始めていた。美智子は裁縫が好きだ。そして、得意だと思っていたから、迷わず小物づくりチームに入った。男子も数人いたが、その中の一人が副島君だった。

 副島君はミシンをやるのは小学校の家庭科以来だ、と言っていて、ゆっくりゆっくりミシンを動かしていた。慎重な人であった。

「ここを裏返しにして、角を斜めに縫うの」

 美智子は副島君が見せてきた布に鉛筆で線を引きながら教えてあげた。教えてもらった副島君は美智子に引いてもらった線に沿ってミシンをかけ始めた。しばらく副島君の手元を見ていたが、なんとかできそうだったので自分の作業に戻った。

「男子に、こういう人もいるんだ」

 美智子の男子へのイメージは、がさつ、乱暴、いい加減、適当……。あまりいいイメージはなかった。そういうイメージをもっているから、男子の前にいると自分をどんな風に見ているか考えると、居心地が悪くなる。もっと言うと、気分が悪くなってくるのだった。

 副島君はちがった。

 できあがった巾着袋を美智子に見せてきた。

「できたあ」

 美智子が手に取って見てみると、縫い目もまっすぐ、測ったとおりに縫ってあって、ひょっとすると自分より上手かもしれないと思えるようなできばえだった。

「ありがとう」

 副島君はまた次の巾着袋を作るために布に定規を当てて線を引き始めた。

「おもしろいよな、ミシン」

 美智子も大好きな裁縫で楽しく時間を過ごした。放課後の準備の時間が楽しみになっていた。


 文化祭が成功で終わった。私たちが作った小物は全部売れて、想像以上の金額を募金することができた。

 副島君はそれ以来、美智子にいろいろ話しかけてくるようになって、美智子の友だちの一人になった。

 隣の席にさとみがいることは苦痛であったが。

「この本、面白い」

 副島君が読んでいた本を美智子に見せた。

 最近話題になっている本で、図書館でも人気があってなかなか借りられない本だ。 副島君は図書館の本ではなく、家から持ってきていた。面白そうだから買ってもらったと言っていた。

 あまり本を読む趣味はなかった美智子だったが、副島君がそう言うので、手に取って少し見せてもらった。

 男子が好きそうな世界である。中世のヨーロッパを舞台にしたアドベンチャーかと思われるその本は表紙から雰囲気がある。重厚な色で描かれたイラストが目を引く。

 副島君は貸してあげるよ、と美智子に言ってくれた。

「じゃあ、読んでみようかな」

 美智子は家で読んだり、学校の休み時間に読んだりした。やはり人気があるだけの本で、読書をしない美智子もその世界に引き込まれていた。

 音楽の時間が終わり、休み時間になった。教室に戻って副島君から借りた本を読もうとして、引き出しを開けた。

「ない」

 確かにこの引き出しに入れて置いたのに、あの本が消えていた。まさかとは思ったが、鞄の中やロッカーの中も探してみた。

「やはり、ない」

 副島君に借りてた本がなくなった。


 美智子はよくおしゃべりをする何人かの友だちに聞いてみた。もしかしたら借りてるかもと思った。

「知らない」

「借りてないよ」

 誰も本の行方を知らなかった。いよいよ美智子は困ってきた。

――どうしよう?


「あっ、これその本じゃない?」

 さっき聞いた子の一人が教室のゴミ箱にその本が入っているのを見つけた。

美智子が近づいて見てみた。間違いない。副島君の本だ。

 表紙ははがされていて、なかった。大切に汚さないように読んでいたページはごみに紛れて汚れてしまっていた。


――音楽の時間に誰かがやったんだ。

「さとみ、音楽に遅れてきたよね」

 一人の子が小声で囁いた。

 そこにいた子たちがさとみの机を見た。さとみはどこかに行っていていなかった。 

「絶対、あいつだ」

 美智子は確信した。私が引き出しに本を入れたときにすぐそばにいた。

 音楽の時間に訳もなく遅れて入ってきた。

――よくも、こんなことを。


 美智子は仲良しの子に付き添われて職員室の担任の先生のところに行った。

「絶対、さとみさんです」

 友だちが泣いている美智子に代わって先生に事情を話してくれた。

「難しいな、だれも見てないのに、疑いをかけて聞くことはできない」

 先生もさとみがやったと思っているのは分かった。だけど、先生も動けないのだ。誰も見てないし、下手に疑ったようなことを言ったら、その後が始末に負えない。

 美智子自身への逆恨みも怖い。

「クラスのみんなに何か知っているか聞いてはみるが」

 先生はそう言って、一緒に教室に戻ってくれた。

 次の時間はその先生の授業だった。先生はみんなに美智子の本がゴミ箱に捨てられていたことを話した。

「誰か知っている人がいたら、先生に教えてください。先生はこういうことをする人がいると思うと悲しくなります」


 副島君を見ると泣いていた。

 そうだ、この本は副島君の本だ。自分の本がゴミ箱に捨てられたということは相当なショックだ。

 泣いている副島君を見て美智子もまた涙が出てきた。

――ごめんなさい。こんなことになって。

 犯人だと思われるさとみはいすに斜めに座ってしらばっくれてノートに落書きしていた。


 授業が終わって副島君に謝りに行った。

 副島君は黙っていた。 

 何も言えない、という顔をして美智子を見ていたが、ぽつりぽつりと副島君は話を始めた。

「美智子さんが悪いわけじゃないから、いいよ。だけど、ショックだよなあ」

 副島君は美智子に気を遣ってか、やわらかな声で話してくれた。

「あの本さあ、買ってもらったって言ったけど、正確に言うと自分で買った本なんだ。図書カードで買ったんだよね。もらったカードで買ったんだから自分のお小遣いで買ったようなもんだけど、おばあちゃんがくれた図書カードだったから、ちょっと特別な感じなんだよなあ。おばあちゃんに買ってもらったような気がするんだよなあ」

 巾着袋を作っているとき副島君が言っていたのを思い出した。

「死んじゃったけど、おばあちゃんがよくこういう巾着袋持っていたよな」

――副島君。


――こんなことをしたあいつは許せない。

――絶対不幸になれ。


 美智子はつばきには話さなかったが、おじいちゃんと自分の遠い昔の嫌な出来事を思い出して、空になったコーヒーカップを見つめていた。

――おじいちゃんも絶対に許してないよね。

 二年前に急逝した夫の優しい声が聞こえてきそうな夕暮れだった。

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