23 声
あくる日、ヴィクトルは朝早くに竜帝城を出た。私は裁縫室で刺繍をすることにした。ルイからは、こんな話を聞いた。
「マルクがさ、いきなり謝ってきたんだよ。ボクのこと雄だと思っててごめんって。誤解が解けたのは良かったけど、それからなーんか、距離感じるんだよね」
ルイはミシンを踏む気も起きないのか、椅子に座ってぼおっとしていた。私は言った。
「よそよそしくなったってこと?」
「うん。今まではさ、成竜したら夜の店に飲みに行こうぜ! だなんて気安く誘ってくれてたのにさぁ……」
もぞもぞと指を動かし、落ち着かない様子のルイ。私は彼女の頭をポンポンと撫でた。
「マルクもきっと、動揺が収まらないんだよ。時間が経てば、元通りになるはずだよ」
「そうだといいけど」
「あっ、そうだ。ルイって何で男の子の名前なの?」
はあっ、とため息をつき、ルイは言った。
「それ、マルクにも聞かれたんだけどさぁ。単純だよ。ボクのお父様、雄が欲しかったんだって。それで、卵の内に名前決めちゃって。酷くない?」
なるほど、そういうわけだったのか。
「うーん、それはちょっと酷いね」
「ボクだって、コハク様みたいに可憐な響きの名前が良かったなぁ」
何度もため息をつくルイを横目に、私は自分の作業を始めることにした。もうすぐで出来上がるのだ。あと、もう少し。薔薇の葉のステッチをこなせば。
「できたー!」
私は天井に向かってぐぐっと伸びをした。どれどれ、とルイが見にきた。
「うーん、糸の始末とか、布の引っ張り具合とか、言いたいところはたくさんあるけど、初めてにしては良いんじゃないですか?」
「やったー! もう、肩ガチガチにこっちゃったよ!」
「コレットさんにでも揉んでもらったら?」
「えっとね、それはちょっと」
ルイに、コレットが倒れたことを話した。
「心配だね。コレットさんって、一日も休まずに侍女長してるでしょう?」
「そうなの。ヴィクトルに、侍女の数を増やすようお願いしてるから、そうしたら休みを取ってもらおうかなぁって思ってるとこ」
つんつん、とルイが私の頬をつついて言った。
「ねえ、これでついにキスだね」
「うん、私頑張るね!」
今日は昼食も、夕食も、私一人だ。食堂はとても広く感じられた。ちょっと会えないだけなのに、どうしてこんなにも胸が詰まるのか。早く、早くハンカチを渡したい。最後の一針が終わった瞬間、私の覚悟も固まった。ヴィクトル、会いたいよ。
ハンカチを握りしめ、部屋のソファで一人ワインを飲んだ。遅くなるとは聞いていたけど、まさか日をまたぐのかな。この世界に来てから、毎日ヴィクトルを抱き締めて眠っていた。今さら一人の夜だなんて過ごせない。
(コハク……)
はっと私は窓の外を見た。満月が、美しく輝いていた。
(コハク……!)
声。ヴィクトルの声。私は窓辺に駆け出し、叫んだ。
「ヴィクトル!? ヴィクトル、どうしたの!?」
この夜空の向こうにヴィクトルが居る。そのことが、私にはハッキリとわかった。行かなくちゃ。私は扉を出ようとした。すると、コレットとぶつかった。
「いたた……コハク様、いかがなさいました?」
「ご、ごめんコレット。ヴィクトルがね、ヴィクトルが、私の名前を呼んだの!」
「ヴィクトル様が?」
「私、行かなくちゃ!」
飛び出そうとする私の腕を、コレットは強い力で掴んで止めた。
「コハク様! 落ち着いて下さいまし。このまま夜道に出るのはあまりにも危険ですわ」
「でも、ヴィクトルが……」
「ジュリアンからは、もう工事現場は発っていると連絡がありましたの。じきにお着きになるはずですわ」
確かに、ヴィクトルが少しずつ近付いてくる感覚がした。それでも私は、はやる気持ちを抑えきれなかった。
「ねえコレット。庭園で待っていてもいい?」
「かしこまりました。今、上着を持って参りますね」
私はコレットに肩から上着をかけられ、庭園に立ち尽くしていた。夜風がバサバサと私の髪を散らした。あれ以来、声は聞こえない。でも、確かに呼ばれたのだ。ヴィクトル。一体どうしたというの。
「コハク様!」
ジュリアンが、何かを抱えて走ってきた。それは、小さな竜の姿になったヴィクトルだった。ジュリアンの服は血にまみれていた。見ると、ヴィクトルの前足に矢が刺さっていた。
「ヴィクトル!」
「コハク様。帰り道に、賊に襲われました。すぐに医務室へ!」
ヴィクトルは、目を閉じていた。辛うじて、息はしているようだった。医務室へ行くと、医官が処置をしてくれた。どうやら毒矢らしい。抜いた矢から、医官は毒の成分を調べ始めた。私は気が気ではなかった。ジュリアンに、頭を下げられた。
「申し訳ございません。わたしがついておきながら、ヴィクトル様にお怪我をさせるなど……」
「ねえ、大丈夫だよね!? ヴィクトル、助かるよね!?」
コレットが、落ち着き払った様子で言った。
「コハク様。ヴィクトル様は竜帝です。この世界を統べるお方なのです。信じましょう、ヴィクトル様を」
私はコレットにすがりついた。彼女は優しく私の背中を撫でてくれた。
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