20 決意
転移については、謎が深まるばかりだったが、刺繍の練習は上手くいっていた。基本の縫い方の練習が終わり、とうとう本番の青い薔薇にとりかかったのだ。裁縫室でルイが仕事をする傍ら、私はちくちくと布に向き合っていた。
「コハク様、くれぐれも指を刺しちゃダメだよ? 血で台無しになるからね?」
「わかってるって」
ミシンのカタカタという音と共に、私の針も乗ってきた。最初に比べたら、ずいぶんと上達したものだ。でも、調子に乗りすぎて、刺さないように、丁寧に。私とルイは、しばらく無言でそれぞれの作業をしていた。
「……ふう。コハク様、そろそろお茶にします?」
「いいね。そうしよう」
私はコレットを呼び、二人分の紅茶を持ってきてもらった。お菓子にクッキーもついてきた。それを食べながら、ルイはニヤニヤして言った。
「で、どうなの、コハク様。お世継ぎはいつですか?」
「んんっ!?」
紅茶を吹き出しそうになった。私はぐっと飲み込むと、ルイの悪戯っぽい笑顔を見て、ためらいがちに言った。
「その、まだね、人間の姿のヴィクトルとキスすらできてなくてね……」
「えー!? せっかくボクがセクシーな下着作ってあげたのに!?」
ルイったら、竜族としてはまだ子供だそうだが、子供の作り方はきちんと知っているらしい。きっとヴィクトルもずっと待ってくれているのだと思うが、どうしても決心がつかないのだ。この場には私とルイしか居ない。私は打ち明けた。
「私、男性とまともにお付き合いしたことがないの。だから、あんなに綺麗なヴィクトルを見ると、つい緊張しちゃって。竜の姿なら、可愛いし、いくらでもナデナデできるのに」
「あっ、ナデナデはしてるんだ。へぇー」
「ヴィクトルのうろこって、滑らかでとっても気持ちいいの! 抱き心地も最高!」
「でもまだ抱かれる勇気は無いと」
「うっ」
図星を突かれた。私がうつむいていると、ルイがくいっと私の顎を人差し指であげ、顔を近付けてきた。
「なんなら、ボクと練習する?」
私はルイを引きはがした。
「け、けっこうです!」
「えへへ、冗談ですよ。ボクだって、初めてのキスはつがいのために取っておきたいもーん」
こちらの事情ばかり聞かれるのは嫌だ。私はルイに質問した。
「ねえ、ルイは早くつがいが欲しいと思う?」
ポリポリとおかっぱ頭をかき、ルイは言った。
「うん、まあね。二百歳になって、成竜したらすぐにね」
「もしかして、好きな人……じゃなかった、竜って居るの?」
「居るよ」
ルイはかあっと頬を染めた。素直ないい子だ。
「私の知ってる竜? 誰か教えてもらってもいい?」
「えーと、コハク様。絶対内緒だよ?」
そっとルイが耳打ちしてきた。
「マルク」
私は飛び上がって叫んだ。
「ええー!?」
「コハク様、声大きい!」
ルイの顔はますます赤くなっていた。そして、語りだした。
「今はまだ、ボクのことを使用人仲間としか思ってくれてないっぽいんだけどね? ボクが成竜したら、思い切って打ち明けるんだ。だからボク、早く歳取りたいの」
アドリーヌに、まさかのライバルが居たとは。これはどちらを応援すればいいんだろう……。いや、どちらか一方だけになんて肩入れできない。アドリーヌがマルクに気に入られるのが先か、ルイが成竜するのが先か。ここは見守るしかない。ルイが話を戻した。
「それより、コハク様の話だよ。つがいになって、婚儀もしたっていうのに、キスもまだってどういうこと!?」
「竜の姿ではしたもん!」
「コハク様はニンゲンでしょう? ニンゲンの姿じゃないと意味ないよ!」
それもそうだ。正論だ。前からずっと思っていたことだったのだが、こうして他人の口から言われると、改めて自分の奥手さに情けなくなった。そろそろ、勇気を出さないと。そこで私は宣言した。
「よし、この刺繍が出来上がったら、私ヴィクトルにキスする!」
「おー! コハク様、その意気ですよー!」
二人揃って、天井に拳を突き上げた。
その夜、ワインを飲みながら、私はヴィクトルに告げた。
「ねえ、今ね、青い薔薇の刺繍をしているの」
「ほう、ついにとりかかったんですか」
「楽しみにしててね? その、色々と」
「色々?」
「うん、色々」
ヴィクトルは髪をかきあげ、首を傾げた。どうしても、唇に目がいってしまった。
「あー! ヴィクトル! 竜になってー!」
「えっ、あっハイ」
小さな竜になったヴィクトルは、私の太ももに前足を乗せてきた。
「では、今夜もお願いします」
ヴィクトルのお願いとは、翼の付け根の辺りをさすってほしいということだ。ここ最近、それが彼のお気に入りだ。
「うん……気持ちいいです……」
「私も触ってて気持ちいい! あーもう私の旦那様めちゃくちゃ可愛い!」
「僕としては、カッコいいと言われたいんですけどねぇ」
青い薔薇ができたら。私も一歩進むんだ。可愛くてカッコいい旦那様のために。
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