19 転移者

 今日はアドリーヌが来る日だ。予め、日本語を教えてほしいと言われていたので、私はひらがなの五十音表を紙に書いていた。


「ほほう、これが異世界の文字ですか」


 アドリーヌは文字を指でなぞりながら言った。


「意外と簡単ですね」

「それが、それの他にカタカナと漢字、アルファベットとかがあってね……」

「えっえっえっ? かたかな……カンジ? えっ?」


 混乱させてしまったようだ。あとはハングルやアラビア文字とかがあった気がするけど、私には書けない。もっと言うと、古代のくさび型文字とかもあるんだっけな。それを言うと、アドリーヌは机に突っ伏してしまった。


「異世界……ややこしすぎますぅ……」

「まあまあ、少しずつやろうか」


 そういえば、なぜ私はこちらの文字が読めるのだろう。アドリーヌの考察はこうだった。


「竜のつがいになったからでしょう。つがいになったニンゲンは長寿になります。読んだり話したりできるようになる能力も得られるくらいのことは、不思議ではありません。他にも異世界からの転移者は居ましたが、言葉での意思疎通ができず、どの者も短命だったといいます。コハク様は、つがいになったことで、その例外になったのでしょう」


 そっか。他にも私のように転移した人間が居るんだ。私はもっと詳しく聞きたくなった。


「ねえ、アドリーヌ。私の他にも転移者がいたから、異世界の存在がわかったっていうことだよね?」

「ええ、そうです。古い文献や、その者の服や持ち物が残っています」

「持ち物も?」

「はい。わたしの研究室に一部が置いてありますよ。見に来られますか?」


 願っても無い機会だった。数日後、私はアドリーヌの研究所へ行った。


「汚いところで済みませんよ……っと」


 アドリーヌが扉を開けると、あちらこちらに本が山積みになっているのが見えた。一応、壁にも本棚が備え付けられているのだが、ぎゅうぎゅうだ。アドリーヌは、床に置かれていた木の箱から、黒い物を取り出した。


「これ、三百年に現れた転移者の持ち物なんですけど、何だか分かります?」


 それは、紛れもない拳銃だった。弾は入っているのだろうか。使い方もわからないし、こわくて確認できなかった。ズシリと重いそれをアドリーヌに渡し、私は言った。


「これは、銃だよ」

「ジュウ?」

「武器なの。これ一つで、人間を殺すことができるよ」

「ひえー! なんでまた! わたしったら、玩具か何かだと思ってましたよ!」


 どうやらこの世界に銃はないらしい。良かった。銃が発明されていないのは、やはり竜族の存在と関係あるのだろうか。コレットから、ある程度のこの世界の知識は教わったが、竜族と人間の力関係についてはハッキリと理解できていないことも多い。アドリーヌは震える手でそっと拳銃を箱にしまった。


「異世界のニンゲンは凄いですね。こんな小さな武器を作れるなんて」

「でも、そのせいで沢山の人間が殺されているんだ。私の国、日本だと、持っちゃいけないものだよ」


 次にアドリーヌが見せてきたのは、軍服だった。残念ながら、私はそういうことには詳しくないから、どこの国のものか、どんな階級の人のものなのかはわからなかった。ただ、軍人さんが着るようなものだとしか。私は言った。


「これは軍服だと思う」

「やっぱりそうですか。いやあね、こちらの世界のものとね、似てるとは思ったんですよ」


 それから、転移者についての文献も見せて貰った。様々なケースがあった。海に漂流していた者。川辺で倒れていた者。山で見つかった者。そのどれもが、場所は違ったが、共通点は、瀕死の重傷を負っていたということだった。


「コハク様も、お怪我をされていたとか」

「そうなの。ヴィクトルの血で治してもらったから、よくは分からないんだけどね」

「ふむ……転移……重傷……命の危機……楽園……」


 ブツブツと呟き始めたアドリーヌをよそに、私は文献を読み進めていった。転移者の中には、回復してこちらの世界で暮らすようになった人間も居たらしい。しかし、記されている限り、もうその人たちは生きていなかった。今のところ、私の世界のことを伝えられるのは、私だけなのだ。

 日が暮れそうになったので、私はアドリーヌの研究所を後にした。ジュリアンが迎えに来てくれていた。


「コハク様。何か収穫はありましたか?」

「うーん、また分からないことが増えちゃったって感じ」

「そうですか」


 ジュリアンと二人になるのは初めてだ。こっそり聞いちゃおう。


「ねえねえ、コレットのどこが好きなの?」


 そんな質問が飛んでくるとは思っていなかったのか、ジュリアンはあんぐりと口を開けた。


「す、好きなところっすか!?」

「ねえねえ、教えて」

「んー、やっぱり、ツンツンしてるとこですね! 追いかけていた百年間も幸せでした!」

「二人っきりのときはコレットってどうなるの?」

「えへへ、そりゃあもう、甘えてくれますよ」


 デレデレ顔になったジュリアンの話を聞きながら、私たちは竜帝城に帰った。今度はコレットからも話を聞いてみようっと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る