15 研究者

 マフィンを焼いた翌日。また厨房に行くのもなんだし、今日は一体どうして過ごそうかな、と私が考えていたときだった。私にメイクをしながら、コレットがこう言ってくれたのだ。


「コハク様。実は、リオネル様から、研究者を派遣したいとのご要望がございまして」

「研究者?」

「異世界の研究をしている竜だということです。名前はアドリーヌ様。竜族界でも名の知れた名家のご令嬢でもあります」


 詳しい話は、朝食をとりながらヴィクトルと一緒に聞いた。リオネルは、異世界について色々と調べたいそうなのだが、自身は税務庁長官を勤めているという立場上忙しい。そこで、研究者のアドリーヌさんを派遣して、私から話を聞きたいそうだ。ヴィクトルが言った。


「アドリーヌなら、僕も面識があります。実は、僕のつがいの候補としても名前があがったことがことがあるんですよ。でも、研究に打ち込みたいからとにべもなく断られましてね。僕としても、彼女にピンとくるところが無かったので、その話は流れました」

「そうだったの。どんな人? いや、竜か。えーと、どんな方なの?」

「ちょっと……変わった……ユニークな方です」


 三日後、私は図書室でアドリーヌさんと面会した。


「お初にお目にかかります。アドリーヌと申します」

「初めまして、アドリーヌさん。こはくです」


 アドリーヌさんは、長い金髪を三つ編みにして、その束を一本背中に垂らしていた。瞳の色は緑色で、知的な印象を受けた。黒いローブに赤いネクタイを締めた姿で、いかにも研究者といった風体だった。彼女は言った。


「アドリーヌ、で結構です、お妃様」

「じゃあ、アドリーヌ。これからよろしくね」


 私が手を握ると、アドリーヌはプルプルと震え出した。


「アドリーヌ?」


 アドリーヌは私の手を握り返したかと思うと、それを離し、バッと抱きついてきた。


「ああ! まさかヴィクトル様のお妃様が異世界人だなんて! 長年の夢だった異世界人との交流が! 今! まさに! 実現しているだなんてー!」


 そう叫ぶと、今度は私に抱きついたまま泣き出した。


「ひっく……ひっく……まさか、わたしが生きている間にお話しできるだなんて……」

「アドリーヌ、落ち着いて、落ち着いて」


 私がポンポンと背中を叩くと、ようやくアドリーヌは平静を取り戻してくれた……かのように見えたのだが。彼女は私から離れると、しげしげと私の瞳を見つめだした。


「ほわぁ……これが異世界人の瞳……なんて魅力的な……食べてしまいたい」

「えっ?」


 ヴィクトルがああ言っていたわけが分かった。とんでもなく感情の上下が激しい方らしい。とうとうガッツポーズをして笑い出した。


「ふはははは! これでわたしの研究も完成する! 異世界の研究をバカにしていた者共よ! ひれ伏すがいい!」

「あはは……」


 とりあえず笑っておくので精一杯だった。どうしよう。うまくやっていけるだろうか。


「ハッ……! 申し訳ございません、お妃様。わたしってば、興奮するともう、こんな感じになっちゃいまして」

「うん、ゆっくりね? 時間はたっぷりあるからね?」


 私たちは椅子に腰かけた。アドリーヌは分厚いノートを持ってきていて、それに私の話を書き留めるようだった。私はまず、この世界にやってきた経緯から話した。電車というものがこの世界にはないらしく、そこの説明から入った。


「ほうほう、そんな交通手段が。いやあ、興味深い。実に興味深い」

「空を飛ぶ乗り物もあるよ?」

「な、何ですって!?」


 アドリーヌは、そんな感じでいちいち感嘆しながらだったので、一向に話は進まなかった。でも、いいや。自分でも言ったけど、時間はたっぷりあるのだ。飛行機の話は置いておいて、とにかく駅のホームから落ちたこと、気付いたらヴィクトルの部屋のベッドに寝かされていたことを私は話した。そうすると、彼女は言った。


「コハク様の伝記を書きましょう。異世界についての注釈を入れながら」

「なるほど、そうだね。それならまとめやすいかもしれないね」

「では、ご幼少の頃のお話から順にお伺いするとしましょう! あー! 気になりますねぇ! 異世界では幼児がどう過ごすのか! どんな教育を受けるのか! あー! あー!」


 立ち上がり、身もだえしているアドリーヌ。さすがに困っていると、いいタイミングでコレットが図書室に入ってきてくれた。


「あの、そろそろ紅茶はいかがですか?」

「はぁい。アドリーヌ、ちょっと休憩しよっか」

「あー!」


 それから、アドリーヌは週に三日、竜帝城を訪れることになった。ぶっちゃけ、これで暇が潰れるな、なんて思いながら、私は就寝前のワインを飲んでいた。小さな竜の姿で、私の膝の上に乗っていたヴィクトルが聞いた。


「アドリーヌはどうでしたか?」

「その……ユニークだったね」

「そうでしょう、そうでしょう。悪い子ではないんですがねぇ……」


 私はヴィクトルの顎をさすった。まだ、人間の姿の彼と触れ合うのはこわかったが、これならいくらでもいけた。

 それにしても、私の伝記か。ただの派遣社員だった私が、この世界では重要な研究対象になるだなんて。私がどうしてこの世界にやってきたのか、それは分からないが、アドリーヌに協力していれば、糸口が掴めるかもしれないと私は思った。

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