14 暇
婚儀の翌朝。目覚めると、日は高く昇っており、ヴィクトルの姿もベッドにはなかった。
「あれ……?」
私はローテーブルの上にある鐘を鳴らした。しばらくして、コレットが来てくれた。
「コハク様、おはようございます」
「おはよう、コレット。ヴィクトルは?」
「ご公務ですよ。コハク様がお疲れのご様子でしたから、そのままお休み下さいとのことでした」
確かに昨日は疲れた。体力的にも、精神的にも。お腹はぺこぺこだった。私はコレットに聞いた。
「もしかして、もうお昼時?」
「そうですね。お着替えの後、ご昼食にいたしましょうか」
昼食の席にもヴィクトルは現れなかった。公務が溜まっていたらしく、かなり忙しいのだとか。それに引き換え、私の予定は何もなかった。婚儀までは、コレットに色々と教わったり聖歌を練習していたりしていたのだが、それが無いとなると、どう過ごしていいものやら。
とりあえず私は部屋に戻り、ベッドに倒れこんだ。昨日は慣れないハイヒールを履いていたので、足が痛かった。コレットに言えば、揉んでくれるだろうか。
それにしても……暇だ。
婚儀までは、そのことで頭がいっぱいで、それより先のことは考えたことも無かったのだ。竜帝の妃として、私は何をすればいいんだろうか。ヴィクトルにも、コレットにも、何も言われていない。
「あっ、そうだ!」
私はベッドを抜け出し、厨房へと向かった。そこにはマルクがいて、何やらボウルに入れたものをかきまぜていた。彼は私と目が合うと手を止め、深々とお辞儀をした。
「これはお妃様。いかがなさいましたか?」
「マルクの様子を見に来たの! 何してるの?」
「マフィンを作ろうとしていたところです」
「本当? 私にも手伝わせて!」
マフィンなら、私も何度か作ったことがあった。楽しいんだよね、あれ。簡単だし。私の言葉に、マルクは戸惑う様子を見せた。
「でも、お妃様のお手をわずらわせるわけには……」
「私、暇なの! ねえお願い。もう材料は混ぜたんだよね?」
「ええ。味付けをどうしようか、まだ決めていないんです」
そこで二人で相談して、ブルーベリージャムを使うことにした。型に入れて流し込み、焼き上がるのを待つ間、私は厨房でマルクと語らうことにした。今晩のメニューは鶏肉のローストらしい。もう下味はつけているのだとか。付け合わせの野菜は、竜帝城の菜園で栽培されているものだということも聞いた。
「私、菜園にも行ってみたいなぁ」
「いいですよ。また今度、お連れします」
「本当? ありがとう!」
いつもマルクの美味しい料理を食べている私だが、彼自身のことはあまり知らない。この機会にと思い、聞いてみることにした。
「マルクって、つがいはいないの?」
「はい。俺もまだ二百歳ちょっとなんで、そんなに急いで見つけなくてもいいかなぁと」
「二百歳ってまだまだ若いの?」
「竜族としてはそうですね」
そういえば、ヴィクトルって何歳なんだろう。外見は二十代に見えるけど。今度聞いてみよう。そして私は、マルクから下町で働いていた時の思い出話をされた。竜帝城とは違い、もっと家庭的で大味な料理を作っていたらしい。今度それを食べてみたいと私が言うと、彼は了承してくれた。
「おっ、もうすぐマフィンが焼き上がりますよ」
「わあっ!」
焼きたてのマフィンは、ふんわりといい匂いがした。たまらず、一口かじりついた。
「んー! 美味しー! マルクも食べなよ!」
私はマフィンを割って、一口マルクに食べさせた。
「ふむ……上出来ですね」
「私、ヴィクトルにこれ持って行こうっと。一緒に来て!」
「え、ええ」
マルクを連れて、私は執務室へ行き、扉をノックした。どうぞ、とジュリアンの声がした。
「ヴィクトル! お仕事お疲れさま。このマフィン、私とマルクで焼いたの。どう?」
「コハクが? それでは頂きます」
机の上を見ると、書類が積み上がっていた。ヴィクトルもやや疲れた様子だ。ジュリアンが言った。
「コレットに紅茶を持ってこさせますね」
ソファに座り、私はヴィクトルがマフィンを食べるのをうきうきと見ていた。
「ねえ、どうどうヴィクトル?」
「美味しいですね。このブルーベリーが最高です」
「良かったぁ!」
その日の就寝前、小さな竜の姿になったヴィクトルは、私の腕に抱かれながらこう呟いた。
「マフィン、ありがとうございます」
「うん! ああいうので良かったらいつでも作るからね!」
「でも……いえ、はい……」
なぜか煮え切らない態度だ。私はヴィクトルの瞳を見た。目をそらされた。そして彼は言った。
「その、マルクとずっと一緒に居たのでしょうか」
「うん。マフィンが焼き上がるまで、お話してたよ」
「そうですか……」
あれ。これはもしや。
「ヴィクトル。言いたいことがあるんならちゃんと言ってよ。私たち、つがいなんだし」
「はい。その……僕以外の雄と、あまり一緒に居ないでほしいのですが」
やっぱりそんなことだった。私はヴィクトルを強く抱き締めた。
「もう、ヴィクトルったらー!」
「コハク、痛い、痛いです」
焼きもちを焼く旦那様も可愛いな。本当は、毎日厨房に通いつめたかったけど、ほどほどにしておこうと私は思ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます