12 本当の姿

 納屋の中で一人、私は願い続けていた。もう、自力では出られそうにない。私とはぐれたことに気付いて、ルイはきっと連絡を入れてくれているだろう。でも、ここがどこだか分からない。男たちが去ってしまった後、辺りはシーンと静まり返っていて、人の気配はしない。市場から遠く離れた場所なのだろうか。


「竜帝さん……」


 私はもう一度、竜帝さんのことを想った。私たちはもうつがいだ。夫婦なのだ。私はあの方と一緒に、この世界で暮らすのだと決めたのだ。帰りたい。竜帝さん……ヴィクトルの元へ。


「ヴィクトル!」


 ありったけの声で叫んだ。声は虚空に消えた。こんなことしても、意味ないよね。私がそう、諦めかけたときだった。

 ゴオオオオオン!

 轟音がして、何かが地面に落ちたような振動が走った。私はきゅっと目を瞑った。バリ、バリリ、と上から音がした。目を開き、そちらの方を見ると、納屋の天井がはがされようとしていた。


「コハク!」


 大きな爪が見えた。天井がすっかりあらわになると、大きな銀色の竜の首が、にゅうっと私に近付いてきた。


「やっと見つけました」


 竜は私をくわえ、納屋から取り出してくれた。そして、爪で縄を切ってくれた。その竜の大きさは、ゆうに五メートルくらいはあった。私は竜の優しげなブルーの瞳を見つめた。ヴィクトルだ。


「ヴィクトル!」

「コハク。ようやく、僕のことを名前で呼んで下さいましたね」


 ヴィクトルは、私の頭に鼻先をこすりつけ、うっとりと目を閉じた。


「無事で良かった……本当に、本当に心配しましたよ」

「ごめんなさい、ヴィクトル。私が勝手に路地裏まで行っちゃったから」

「いいえ、いいんです。無事ならそれで。それにしても、こんな形で本当の姿を見せることになるとは思いませんでした。婚儀のときまで、お預けにしようと思っていたんですけどね」


 私は一歩離れて、大きなヴィクトルの姿を見た。外はもう、夜になっていた。夜空を背景に、銀色の翼が美しくきらめいていた。これが、彼の本当の姿。なんて美しいんだろう。私はぽかんと口を開けて、彼を眺めていた。


「さあ、帰りましょう。僕の背に乗って下さい」


 ヴィクトルは身をかがめた。私が上に乗ると、翼をはためかせ、彼は空中へと羽ばたいた。


「キャー!」


 私は叫び声をあげた。物凄い高さだ。下を見ると、家が豆粒のように思えた。ますますこわくなってしまいそうなので、私は目を瞑り、ヴィクトルの首にしがみついた。


「そう、遠くはありませんから。安心して下さい。もうすぐ竜帝城に着きますよ」


 ヴィクトルは、ゆっくりと庭園に着地した。コレット、ジュリアン、それにルイの姿がそこにあった。コレットは、ガウンを手に持っていた。私はヴィクトルの背から降りた。


「お帰りなさいませ、ヴィクトル様、コハク様」


 コレットがそう声をかけると、ヴィクトルの身体は輝いた。そして、人間の姿になった。すぐさまコレットがガウンをかけた。ルイが泣きじゃくっていた。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ボクがコハク様から目を離したから! ごめんなさい! ボクはどんな罰だって受けます!」


 私はルイを抱き締めた。


「ルイは悪くない。私が一人で、屋台に行っちゃったから……」


 ルイを腕に抱いたまま、私はヴィクトルに顔を向けた。


「ねえ、ヴィクトル。今回のことは私が悪いの。どうかルイには何の罰も与えないであげて」

「わかりました。コハクがそう言うのなら」


 落ち着いた私たちは、竜帝城へと入った。私の手首と足には、縄が食い込んだ痕がくっきりと残っていた。湯あみをしながら、コレットが優しくそこをさすってくれた。ヴィクトルと夕食をとりながら、私は気になっていたことを質問した。


「ヴィクトル。どうして私の居場所がわかったの?」

「あなたが僕の名前を呼んだからですよ。つがい同士は、名を呼び合うことで、互いの場所を知ることができます」

「わあっ、そうなんだ」


 この世界にはまだ、知らないことだらけだ。今回の軽率な行動を、私は心底反省した。私は、竜帝の妃なのだ。もし、私を失えば、ヴィクトルは……。


「ごめんなさい、ヴィクトル。私はあなたのつがいとして、もう少し自覚を持ちます」

「よろしい。くれぐれも、もうこんなことは無いようにして下さいね?」


 部屋に戻り、小さな竜の姿になったヴィクトルを、私はベッドで強く抱き締めた。力が入りすぎていたようで、彼はぐえっと声を漏らした。


「あっ、ごめんなさい」

「今のはさすがに痛かったです」


 私たちは顔を見合わせて笑った。ヴィクトルが囁いた。


「愛していますよ、コハク」

「私も愛してる、ヴィクトル」


 そして、ゆっくりとキスをした。ぺろり、とヴィクトルが私の唇を舐めた。


「ひゃあ!」

「済みません。これはまだ、早かったですかね?」


 もう一度、私たちは笑った。

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