11 市場の買い物
四人でワインを飲んで語らった翌朝。また、リオネルさんが執務室にやってきた。
「今日は異世界の教育制度について聞きたい」
「教育ですか。日本には、義務教育というものがありまして……」
私とリオネルさんの話を、竜帝さんもジュリアンも聞いていた。小学校、中学校が義務教育であること、そこから先は、高校、大学なんかがあることを私は話した。リオネルさんは、顎に手をやり、真剣な眼差しで話を聞いてくれていた。
そもそもの義務教育の成り立ちについて聞かれたが、さすがにそこまでの知識は私には無かった。首をひねっていると、執務室の扉がノックされた。ジュリアンが扉を開けた。
「失礼いたします。ルイです」
ルイは、私の服を仕立てるために、城下町の市場に行きたいのだと話した。竜帝さんは言った。
「いいですよ。コハクも竜帝城にばかり居たら退屈でしょう。ルイと一緒に楽しんでいらっしゃい」
ジュリアンが、不安そうな表情で言った。
「でも、大丈夫ですかね? 城下町にはニンゲンも住んでいます。危険では?」
竜帝さんは、少し上を見上げてから言った。
「まあ、少し心配ではありますが。コレットに侍女服を借りて、侍女のフリをして行けばいいでしょう。僕につがいができたことは民には知られているでしょうが、コハクの容姿までは伝わっていないはずですからね」
市場へは、午後から行くことになった。寺子屋のことを思い出した私は、リオネルさんに昔から読み書きを教える施設があったことを話し、今回はお開きとなった。昼食を取り、侍女服に着替えてから、いよいよ市場へと繰り出した。
「わあっ! 人がいっぱい!」
ルイに連れられ、私は市場のど真ん中に居た。果物や装飾品など、ありとあらゆる屋台が並び、活気に満ち溢れていた。ルイは反物を扱う店に入った。そこで私は、布をあてられながら、ああでもないこうでもないと悩むルイにされるがままになっていた。
「ふうっ、このくらいでいいかな。親父さん、まとめて買いますから、少しまけてくれませんか?」
そうしてルイが値段交渉をしていると、開け放たれていた戸口からいい匂いがしてきた。ふんわりと甘い匂い。これは何だろう。私はフラフラとそちらへ向かった。大通りから外れた、細い路地から匂いは漂っていた。
「これは……ドーナツ?」
匂いの元は、一軒の屋台だった。辿り着いてようやく、私はお金を持っていないことに気付いた。
「お嬢ちゃん、欲しいのかい?」
屋台のおじさんが聞いてきた。
「でも、私、お金を持っていなくてですね……」
「一口だけだったら、試食であげるよ。ほら」
おじさんは、棒にドーナツらしきものの切れ端を刺して、私に渡してくれた。そのままぱくりと口に入れた。
「ふわぁ、あまーい!」
私はおじさんに礼を言って、さっきの反物屋へ戻ろうと後ろを振り向いた。
「あれ……どこだっけ」
匂いにつられるがまま、いくつもの路地を通ってきたので、帰り道を覚えていなかった。私は愕然とした。どうしたらルイと合流できるだろう。薄い記憶を頼りに、歩み出してみたが、私の思いとは裏腹に、どんどん薄暗い道へと進んでしまった。
「へへへ……お嬢さん、何してるんだい」
声のした方を振り向くと、でっぷりと太った大男と、長いヒゲを生やした長身の男が立っていた。
「あははっ、道に迷いまして」
私がそう言って笑うと、男たちも笑った。太った男の方が言った。
「お嬢さん、竜帝城の侍女だな。こりゃあ上物だぜ。おい、やれ」
ヒゲの男が、私に向かって飛び込んできた。
「けふっ」
お腹に男の腕が振り下ろされた。そうして、私の意識は遠くなっていった。
気が付くと私は、納屋の中に居た。麦わらや、農具なんかが置いてあった。私は後ろ手に縛られており、足にもきつく縄が締められていた。私は大声を張り上げた。
「誰か! 助けて!」
すると、扉の向こうから、先ほどの男たちの声がした。
「げっへっへ、目を覚ましやがったぜ」
「残念だったな。今、身代金を要求しに行こうとしているところだ。さぞかし高くつくだろうな?」
そんな。私は攫われてしまったのか。ガクガクと身が震えた。甘い匂いにつられて、勝手に店を出たりなんかしたから。私の目には涙がにじみはじめた。男たちは続けた。
「まあ、女郎に売り飛ばす手もあるけどな! 兄貴、どうします?」
「そうだなぁ。瞳の色も珍しいし、そっちの方が高く売れるかもな。お嬢さんよ、ゆっくり考えさせてもらうわ」
「嫌! ここから出して!」
「がっはっは……」
男たちの声は遠くなっていった。私は腕や足の縄が切れないか、必死に身をよじらせてやってみた。しかし、無駄なことだった。
「竜帝さん……助けて……」
私は愛しいあの竜の姿を思い浮かべた。そして、ただただ願った。お願い、竜帝さん。私に気付いて。ここから救い出して。もう勝手なことはしません。だから、どうかお願い。
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