第4話 バーチャルリアリティ

 実際にあゆは、一度はあきらめようとした。しかし、それができずに、また彼に連絡を入れてしまった。

 彼の方としても、

「今なら、諦めがつくかも知れない」

 と感じたのだが、実際に諦めをつけるための覚悟を中途半端に感じ始めた時だっただけに、ある意味、

「最悪のタイミングだった」

 と言ってもいいだろう。

 つまりは、

「ここを超えれば、もう戻れなくなる」

 という一線を、覚悟を感じることもなく、通り超えてしまったのだ。

 これ以上の最悪なことはない。それを、あゆも、遠山も気づいてはいなかったのだ。

 その時、あゆと、遠山のどちらが先に気がつぃたのか分からないが、実際には、そのあたりの時、ほぼ同時くらいに、二人には将来が一瞬見えた気がした。

 その未来は、

「見てはいけないもの」

 だったようで、まるでおとぎ話の、

「見るなのタブー」

 を感じたのだ。

 その感じたことというのは、

「最悪の状態」

 であった。

 人は何かを目的に、達成するまでに、必ずどこかで一度は、

「最悪の状態」

 を一瞬であっても感じるものだという。

 もし、その最悪の状態を、もう一度感じることになるのであれば、

「もうそれ以上、深入りはしてはいけない」

 という警告に違いない。

 それを無視したり、考えないようにしようとすると、結果は、目に見えて明らかではないだろうか。

 それを、どうやら、あゆの方では感じていたようである。そして、今回の最悪を頭に思い浮かべた時、

「あと一回」

 と思わず口に出してしまったようだった。

 その時、あゆは、自分がうつ状態になっているのが分かったようだ。その心境があったので、遠山に限らず、誰とも連絡を取りたくなく、当然、夫に対しても、近づくのすら嫌だったのだ。

 夫の方も、

「妻が鬱状態になった」

 ということを自覚しているようだが、そんな時にどうしていいのか分からない。

 夫の性格として、

「何か、不安なことや、どうしようもないと思えば、自分から言ってくるに違いない」

 という思いがあったようだ。

 その思いは、

「相手を自由に考えさせている」

 という余裕を与えているつもりだが、ただ、逃げているだけだということに、本人は気づいていないのかも知れない。

「家族には優しくしてあげ、こちらが気を遣うことで、家庭を育んでいく」

 ということが正しい結婚生活だと思っていたので、悪い意味で、

「相手に対して委ねている」

 と言ってもいいかも知れない。

 そんな奥さんの状態を、少し離れたところから見ていた旦那は、完全に奥さんから逃げているようにしか思えない。

 それでも、逃げていることに気づかない旦那は、自分が優しいと思い込んでいる。そもそもそれがあるからぎこちなくなったのであって、あゆばかりが悪いわけではなく、むしろ、旦那の方に罪があるといえるだろう。

 不倫されたとしても、

「悪いのは旦那」

 ということになるのは無理もないことであろう。

 もちろん、遠山には、その旦那がどんな旦那なのかということを、ハッキリと分かるわけではない。あゆの愚痴として聞いているだけである。

 ただ、愚痴と言っても、あゆの主観ではあるが、正直に感じていることを、

「他の人にはとても言えない」

 と言って、遠山に聞かせてくれたのだ。

 遠山に、何かの助言をしてもらおうなどと、毛頭思っているわけもない。

 大学生で、しかも、まだ童貞という男の子に、真剣に夫婦間の話をしても、何も解決するわけもない。

 そんな状態を分かっているので、

「ただ、聞いてくれるだけでいい」

 という思いから、恥も外聞もないという思いから話をしているのだとすれば、あゆにとって、その愚痴は、本当に本音であり、その状況は事実に近いものだともいえるのではないだろうか。

 それを思うと、

「私にとって、よしひこという男性は、これからの自分の運命を本当に決める相手なのかも知れない」

 と感じていたのだ。

 だが、あゆは、そこまで真剣には考えていなかったのだろうか。

 一度は、離れようと思った相手。それだけに、自分の中で覚悟を決めたつもりだったのに、その覚悟は露と消え、それが、どのような心境に変わっていったのか、現実とバーチャルの境目が分からなくなったということで、

「旦那とは離婚することになるだろうな」

 とは思っていたのだ。

 その覚悟を少しでもしっかりと持続させるためには、誰か自分のことを見守ってくれる人が必要だった。

 それが遠山であり、覚悟を決めさせた相手として、自分の中の責任を、彼にとってもらいたいという気持ちもあったのだ。

「責任とは何だろうか?」

 と考えたが、

「離婚した後に結婚しよう」

 とまでは思わない。

 そこまで感じる相手ではないことは分かっているし、むしろ、今は結婚などは考えられず、結婚したことで、本来であれば、もっとできていたことをしたいと思うのであった。

「男は、旦那や、この男だけではない」

 と考えた。

 そう思うと、遠山に対しては、

「自分が自立するまでの、一時的な相手であり、責任を取ってもらうための、人質のようなものだ」

 とまで考えていたのかも知れない。

 それが、あゆの気持ちの中での鬱状態だったのだ。

「彼に取らせる責任」

 それは、別に結婚してもらおうとかいう思いではなかった。

「自分を離婚させようとした責任」

 である。

 別に遠山は、あゆの離婚を望んでいるわけでも何でもないのに、あゆの話を聞きながら、

「ひどい旦那さんだ」

 と言って、最初の頃に煽っていたりした。

 遠山とすれば、

「そういう態度をとると、あゆに、いい人だと思われるからだ」

 と思っていたのだろうが、その無責任な言動が、あゆに離婚を決意させることになったのだ。

 あゆは、それを被害妄想だと捉え、そんな被害妄想を感じさせた遠山が、悪いのだと思うようになった。

 それが鬱状態における精神状態であり。あゆに対して、遠山は、

「絶対に責任を取らせないといけない人だ」

 と感じさせたのだった。

 もちろん、そんな発想をあゆが抱いているなどと、遠山も、、夢にも思っているわけではなかった。そのため、せっかく連絡を取ってくれたあゆに安心感を覚えてしまった。その瞬間、それまでの立場が反転してしまったのだ。

 それからのあゆは、必要以上に甘えてきた。そのうちに、あゆが怪しい声を漏らすようになってきたのだ。

「ねぇ、私のこと、好き?」

 と、甘えた声で言ってくる。

 今までのあゆであれば、そんなことを言ったとしても、それは、もっと、アバンチュールを感じたいという、ドキドキ感が伝わってくるものだが、とにかく、甘い声なのだ。

 遠山も少しだけ、

「今までと違う」

 と感じていたが、何しろ童貞男からすれば、そんな感情は一瞬にして吹っ飛んでしまった。

 完全に、主導権はあゆに握られてしまった。

 あゆはそのまま、身体のどこかを触っているようで、受話器の向こうからは、完全に濡れた吐息が漏れている。

 あゆの声を聴きながら、興奮は次第に最高潮になっていき、今まで自分にはないと思われた、S性というものが、芽生えた気がした。

「ほら、もっと触ってごらん?」

「どこを触っているんだい?」

 などと、相手を煽っている。

 それを聞いてあゆも興奮が高まってきて、お互いに完全に二人の世界に入り込んでいた。

 どちらからともなく果てると、相手も果てていた。お互いに吐息が重厚な空気を満たしている。そんな状態に、お互い何も言えなくなった。

 気まずい雰囲気になると、どちらからともなく、

「電話切るわね」

 と言って、電話を切ってしまう。

 そして訪れる、憔悴感と罪悪感、あゆの方は、

「完全に相手が悪い。責任を取らせると思っているのだから、罪悪感は相手が抱くことはあったも、自分が悪いわけではない」

 と開き直っていたが、遠山の方の気持ちはどうしようもなく、罪悪感だけに苛まれている。

 だが、冷静になってくると、

「あの人、あんな女だったんだ」

 という気持ちが冷静さを取り戻させる。

 しかし、この快感は、そう簡単に忘れられるものではない。またお互いにどちらかたともなく電話を入れ、最後には、濡れた吐息に包まれて、果てるのだった。

「こんなこと、いつまで続けるんだ」

 と、思いがらも、やめるわけではない遠山は、流れに任せるしかないと思っていると、そのうちに、あゆが何を考えているのかということを知りたいという気持ちになってきた。

 だが相手は何も考えている様子はない。電話の声は最初からまるで魔法にかかったかのような甘え声なのだ。

 まさ、あゆが、責任をこちらにすべて押し付けて、このような行為に及んでいるなどと、思っているなど想像もできない。

 遠山の感覚では、相手に責任を押し付けるなら、自分は潔癖でいるという感覚があるからだ。

 そもそも、勧善懲悪な気持ちの強い遠山には、あゆの考えや気持ちがまったく分からない。

「あの人には、罪悪感というものがないのか?」

 と、すでに心は離れていると思いながらも、あの快楽から逃れることができそうにもない遠山は、自分がモテなかった高校時代を思い出していた。

 高校時代の遠山には、好きな女の子がいた。

 どうして好きになったのかというと、

「制服が一番似合う女の子だ」

 と思ったからだ、

 清楚な雰囲気であったが、胸もお尻の張りもまさに自分の理想とするものだった。あどけない幼女のような表情とのアンバランスに、遠山は、自分でもどうすることもできないと思うのだった。

 制服で選んだという感覚が、遠山には罪悪感があった。まだ、顔や身体で選んだという方が健全な気がした。

「これじゃあ、変態じゃないか?」

 と考えたのだ。

 確かに、遠山は制服フェチだった。しかも、制服と言っても、コスプレ全般というわけではなく、

「女子高生の制服」

 が好きなのだ。

 セーラー服でもブレザーでもどっちも好きだ。

「特に、紺色のニーハイは、興奮するに値する」

 と思っている。

 大学時代にちょうど、紺のニーハイが流行った頃には、思わず女の子を追いかけてみたくなるような衝動に駆られるほどだった。

 ただ、当時くらいから、ストーカーというものに対して、世間が騒ぎ始めたこともあって、下手なことをしていると、警察に捕まっても、文句は言えない。

 だが、どうして、こんなに制服が好きなのかというと、それは、

「遠山が童貞だから」

 というところに落ち着くのだろう。

 特にまったくモテなかった、中学、高校時代。バレンタインデーや、クリスマスなどは、地獄の日々のように思っていた。

「俺にとっては、一年のうちの一日でしかない」

 と言っても、それは強がりでしかない。

 別に気にしなければいいのに、そんな時に限って、校庭の裏で、チョコを渡して、告白しているシーンを見たりする。

 そして、もらっている男は、普段からモテるやつで、

「なんで、あいつばかりが」

 と思うのだ。

「女の子も女の子だ。いくつももらっている男に、何が悲しくて渡さなければいけないのか? 競争率が激しくて、どうせうまくいきっこなどないのにな」

 と言いたい。

 それでも、チョコをもらう方も、あげる方も嬉しそうだ。こんな茶番を毎回見せられる方は溜まったものではない。

 ただ、一度、チョコをもらったことがあった。

 そのチョコは本命にあげようと思っていたのを、その子がどうやら、本命の相手が他の人にもらっているのを見て、ショックを受け、それで、遠山にあげたのだ。

 彼女の言い分としては、

「他の人なら、その気になられると困るけど、遠山君だったら、本気になられることなんかないから気が楽なのよ」

 ということであった。

 すでにひねくれた思いを抱いている遠山は、女の子からチョコをもらっても、まずは、疑ってかかるだろうという思いが女の子側にあり、変に他の人のように、チョコを渡してしまったことで、自分に気があるのでは? と思わせることへの罪悪感があるのだろう。

 しかし、遠山だって、実際には、もらえないとは絶対に思いたくない。せっかくくれたのだから、最初は、勘違いだってするだろう。

 だが、冷静に考えると、

「俺を好きになってくれる女の子なんか、いるはずはない」

 と思うことで、嫌な思いをする自分が、これまた自己嫌悪に襲われるのであった。

 そんな遠山は、中学時代までは、アニメの女の子を好きになったりしていた。

 今でいえば、二次元を好きになるという感覚なのだろうが、決まって、それはセーラー服の女の子だった。

 少女漫画なども見ていたが、意外と少女漫画というのは、かなり過激なものも多かったりする。

「これじゃあ、AV顔負けじゃないか」

 と、クラスのモテない連中と、卑猥な話をしたりしているところに、いつも、遠山は入っていて、そこに誰も違和感を抱くことはなかったのだ。遠山自身も、

「俺って、結局、えっちな話に興味を持っているだけの、悶々とした毎日をただ何も考えずに生きているだけの、中学生にすぎないんだ」

 とばかりに、諦めの境地だった。

 それが、高校時代もずっと続き、

「どうせ、大学に入ったら、先輩が、風俗に連れていってくれて、そこで、めでたく童貞喪失することになるんだろうな」

 と思っていた。

 そんなことを考えていたのに、まさか、ネットで知り合った主婦と、このような関係になるとは思ってもみなかった。

 相手が、まさか離婚を考え、その責任をこちらに押し付けようと思っているなどと知りもしないので、完全に童貞ボーイが、主婦に踊らされているという状況になっていた。

 だが、そのうちに、その奥さんが、またしても、何だかんだと言い訳をして、会話をしようとしなくなった。

「奥さんも、さすがに、罪悪感に見舞われているのかな?」

 と、余計な道に引っ張り込んでしまったということで、遠山は自分を責めた。

 だが、実際には、後で他の人、ネット仲間に聞いた話であるが、

「あゆは、最近不倫をしているらしいんだよ。それも、ネットで知り合ったじゃなくって、出会い系だってことなんだ。あっ、出会い系もネットと言えばネット化」

 と言っていた。

 遠山にとってはショックだった。

「俺という男がいるのに」

 という思いもあったが、リアルではない状態で、しかも、こちらは童貞なのだ。

「あゆは、きっと、俺に飽きたんだろうな」

 と思った。

 それであれば、理屈は分かる気がする。

 あくまでも、遠山に対しての態度は、軽いつまみ食いにしか過ぎなかったのだ。

 ネットという今までにない経験が、きっとあゆを有頂天にさせたのだろう。

 それは、遠山にしても同じで、相手がどんな人間か分からないところが、魅力であり、何とでもなると思っていたのだろう。自分の本名も何も、個人情報が分からない。連絡先だって、電話番号を変えてしまえば、それでおしまいなのだ。

 もっとも、どこまで仲良くなったかによっても変わってくるが、二度と連絡を取らなくてもいいと思った相手であれば、簡単に切り捨てられる。相手だって、同じ立場なのだし、他に誰かまた見つければいいだけなのだからである。

 それを思うと、あゆが、自分を見捨てたとしても、それは仕方がないことだとは思ったが、そう簡単に見切りをつけられるほど、淡泊ではなかった。

 理屈では分かっていても、その感情をどのようにすればいいのか分からない。

 つまり、はけ口が見つからないのだ。

「俺は見捨てられたんだ」

 と、思ってしまった。

 ただ、あゆとの、最後の方での電話によるえっちな会話は、そう簡単に忘れることはできなかった。

 それを、恋愛感情と一緒に結び付けて考えてしまうと、どうしようもなくなる。

 今度は、遠山が鬱状態に陥った。今まで鬱状態に陥ったということを感じたことはなかった。

 前にも落ち込んで、立ち直るまでに半年近くかかったこともあったが、それが鬱だったという意識はなかったのだ。

 今回は、自分で、

「初めての失恋だ」

 と思っているので、長くても仕方がないと思っている。

 ただ、これは別に失恋ではない。本当に愛していたということなのか、時間が経つにつれて、曖昧になってくる。

「こんな感情が恋愛だったとすれば、恋愛なんかしたくない」

 とまで思ったほどだった。

 自分が好きになった相手が、主婦だというのは、別にしょうがないことだとは思うのだが、相手が、こちらをあしらったと思うと、いらだちが沸いてくる。さすがにまさか、自分に責任転嫁をしようなどということまでは分かるはずもないので、それを分からないうちに、相手を恨むというのは、ある意味、よかったのかも知れない。

 さすがに、苛立ちに任せて、すぐに、

「童貞を失いたい」

 と思うようなことはなかったが、今の遠山を見て、ひとりの先輩が気にかけてくれているようだった。

 その先輩は、高校の時に、家の近くに住んでいた人で、家族ぐるみの付き合いだったのだが、大学に入ってから、結構、遊んでいるというような話を聞いた。

 遠山がまだ童貞であるということも知っていて、

「俺が卒業させてやるぞ」

 と言われ、それを聞いて、いつも苦笑いをしていた遠山だった。

「ありがとうございます」

 ととりあえず、いつも答えていたのだ。

 遠山が、あゆに対して感じていた思いが、本当のあゆのかんが絵のどれほどだったのかということは、それ以降お互いに話すこともなかったので、よくは分からないが、すでに遠山があゆに対して、感情を戻すことはなかった。むしろ、

「俺は、あんな女、好きだったわけでもない。ネットというバーチャルな世界に、酔っていただけなんだ」

 と思うようになっていた。

 考えてみれば、あゆとえっちな電話をした後、罪悪感に苛まれていた。その思いは、あゆと離れることになって、やっと感じたのだ。それほど、あの電話に対して、感覚がマヒしていて、バーチャルによっていたといってもいいのかも知れない、

 その気持ちを、遠山は自分の中で、

「バーチャルリアリティ」

 と呼んでいた。

 その呼称は、勝手につけたもので、その名の通り、

「バーチャルなのに、やたら、リアルだ」

 ということで、バーチャルだと思えば、リアルな感覚を持っていたということであり、リアルにしては、感覚をマヒさせるようなものだというような感覚であるが、一番の問題は、

「感覚をマヒさせるくせに、罪悪感を意識させるというほどの、後味の悪さが印象深いと感じるほど、さぞや気持ちの悪いものだったに違いない」

 ということだったのだろう。

 そんな、バーチャルリアリティの状態から目覚めたことは、いくら他力だったとはいえ、よかったのだろう。

 しかし、なぜあゆが急に自分を毛嫌いしてしまったのかということを、どこまで気にするかということが問題なのだろうが、遠山の気持ちがすでにあゆにないことが分かっているので、それほど気にすることはない。

「すでに、あゆにない」

 というわけではない。

「最初からなかった」

 ということなのだ。

「しょせんは、バーチャルリアリティな世界」

 ということであり、好きでもない女を好きになったということ、そして、それはバーチャルであったことから、想像力だけが発揮され、それが、いかに妄想そのものであったのかということに気づけたのはよかったといってもいいかも知れない。

 そんな中においても、まるで失恋したかのような憔悴感に襲われている。この思いは、表に出してはいけないものなのだろう。

「どうしたんだ? そんなに落ち込んで」

 と聞かれて、答えられるものではない。

 落ち込んでいるというだけで、恥ずかしいことなのに、それをまわりに悟られないようにするどころか、落ち込んでいることをまわりに知らせないと、気が済まないというような感覚が、どこから来るものなのか、考えてみたが、その時に分かったこととして、

「自分が、多重人格なのではないか?」

 という思いだった。

 そんな多重人格性の一端を垣間見たのが、

「あゆとの、えっち電話」

 だったのではないだろうか。

 あの電話をかける前のドキドキとしていた感覚、そして電話中の自分、さらに電話を切って我に返った自分。それぞれに別の自分がいるようだ。

「どれが本当の自分なんだろう?」

 と思うと、最後の尾罪悪感に苛まれる自分が、本当の自分だと思いたいと感じていたが、実際には、それらすべてが本当の自分に間違いはない。

 一人でも否定してしまうと、自分ではなくなってしまうような気がするからで、その思いが、どこに繋がるのか、考えが及ばなくなってくる。

 その感覚は、初めてではない。

「そうだ、電話に酔って、感覚がマヒしている時だ」

 と思うと、考えが及ばないことも、感覚がマヒしている時のことも、

「自分が、何かから逃げ出そうとしている」

 という感覚なのではないかと思うのだった。

 その考えがあることから、自分を多重人格だと思うようになり、それ以降、絶えず、自分の中に、多重人格というものを考えている自分というのも、存在しているということを感じるのだった。

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